第8話 刈り(ハント)

 徒労に終わった火起こし体験を経て、俺はマルガリータに案内されて彼女の居住区まで案内された。マルガリータが住んでいるところは天然の洞窟だ。家なんてものはない。古来、人間は洞窟に住んでいたと言う。正に原始的な生活というわけだ。


 洞窟はそれほど深くはなく、日中は奥まで日の光が届いている。洞窟には、葉っぱで作ったベッドがあり、周囲には木の実の殻が散乱している。


「木の実が主食なのか?」


「まさか。この島には獣がちゃんといる」


「作物が育たない不毛の地にも獣はいるのか?」


 通常、動物は草を食うか、草を食っている動物を食うかして命を繋いでいる。動物の繁殖には植物が欠かせないのだ。この島は不毛の地故に動物が暮らしていくのは厳しい環境と言わざるを得ない。


「カムロは知らないだろうけど、この島には作物が育つ地点がある。私は、神の足跡そくせきと呼んでいるけどな」


「神の足跡……?」


「ああ。作物が育つ場所は一定じゃない。一定の周期で変わるんだ。その移動の軌跡がまるで神様が歩いているかのように思ったから、私が名付けた」


 なんとも安易なネーミングセンスだ。だけど、どうして作物が育つ地点が一定の周期で変わるんだろう。謎だ。


「とにかく、この島は完全に作物が育たないわけじゃない。獣が食いたくなったら、神の足跡まで言って狩りをするんだな」


 そう言うとマルガリータは壁に立てかけてあった先端が鋭く尖らせた木の槍を俺に渡した。


「これはカムロの分だ」


「俺が使ってもいいのか?」


「私には使い慣れた相棒がいるからな。カムロに渡したのは予備の方だ」


「ありがとうマルガリータ」


「農業の生産はアグリコラのスキルを持つ私じゃないと不可能だ。収穫くらいならカムロも手伝ってもらえそうだけど……私は、農業に専念してカムロは狩りに専念する。そして、お互いの収穫を物々交換。これでどうだ?」


「ああ。助かる。この島にマルガリータがいてくれて良かった」


「うむ。感謝するといい」


「ありがとう。マルガリータ。日が沈む前に一狩り行ってくる!」


「今の神の足跡はこの洞窟を出て、右手にずっと進んだところにある。草が生い茂っている地点につくはずだ」


 俺はマルガリータから貰った木製の槍を持って、彼女の案内通りに洞窟を出て右へと進んでいった。マルガリータの言う通り、そこには草原が広がっていた。開けた視界。多くの野生動物たちがそこにいた。草を食べる鹿。それを狙い適正な位置をはかっている狼。鹿も狼に視線を映しながら草を食べている。正に一触即発の空気。厳しい野性の世界では、お互い体力を温存しなければならないのだ。狼は一瞬で鹿を仕留める。鹿は、狼が襲うギリギリまで逃げずに草を食べて体力をつける。そうでないと、生き残れない。


 狼が距離を少しずつじりじりと詰めて、鹿に一気に襲い掛かった。それに気づいた鹿は急いで逃げる。狼の方が足が速い。だが、鹿の方が長距離向けだ。狼の体力が切れるまで逃げ切れば勝ち。正に粘りの勝負だ。狼の爪が鹿の臀部に突き刺さる。鹿はその衝撃で転げ落ちた。ここまで追いつかれてしまっては、最早鹿が助けるすべはほぼない。鹿の首筋を噛み、止めを刺す狼。鹿はうめき声すら出せずにビクンと1回跳ねた後に、ぐったりとしてしまった。


 これが自然界の掟だ。鹿が可哀相。狼は残酷。そうは言ってられない。狼だって食わなければ死ぬ。俺がこの場で鹿に加勢して、狼を撃退したところで、狼は腹をすかせたままだ。そうしたら、今度は別の獲物が食われるだけ。この鹿は助かっても、別の鹿は助からない。全ての鹿が助かると今度は狼が助からない。一時の感情で、食物連鎖に人間の手を加えるのは、ただの自己満足でしかない。


 だから……俺は、鹿が食われている様を黙って見ているしかない。狼の狩りを見て、俺自身学ばなければならない。間合いの取り方、距離の詰め方。攻撃をするタイミング。それらが噛み合わなければ、狩りは成功しないのだ。


 狼は動かなくなった鹿の腹部に食らいついた。肉食動物はまず、草食動物の贓物を食べる。草食動物が食べた未消化の草も肉食動物の貴重な栄養源なのだ。本能に刻まれた行動に従う獣たち。


 狼は俺を一瞥すると、特に気に留めることなく、鹿肉に貪り付く。俺は脅威ではない。そう判断したのだろう。実際のところ、俺に狼を襲う意思はない。狼の肉を食べるつもりはない。正直言って、食えるのかどうかすら知らないし。つまり、俺と腹が膨れた狼はお互いに戦う理由はないのだ。尤も、飢えた狼相手ならば、俺が被食者側として戦う必要はあるのだろうけど。


 とりあえず、いつまでも狼の食事シーンを見ていても仕方ない。俺は、俺で別の獲物を探そう。そう思って、その場を立ち去ろうとした次の瞬間だった。


 狼が急に「きゃいーん」と高い声を出して、その場から急いで立ち去ってしまった。まだ大量にある鹿肉を残して……


「なんだ……この感じは……」


 都会の空気に慣れた俺でもわかる。生物としての根本的にある生存本能。それが、俺に危機を知らせてくれている。来る! 圧倒的な捕食者が……! 遥か遠くから物凄い速さでなにかが跳躍してくる。遠近法で小さく見えるはずの遠くからでもわかる巨体の存在感。まずい。早くこの場から離れないと……しかし、そう思っても俺の足が言うことをきいてくれない。腰が抜けたような金縛りにあったかのような、初めて経験する恐怖からくる体の硬直。俺はその場から動けずにいた。


 巨体はだんだんとこちらに近づいてくる。熊より一回りほど大きいであろう巨体の兎。生態系では捕食者側に位置するはずの生物……だが、その兎は明らかに生態系の上位者……頂点に立つ存在。剥き出しになった歯茎に生えている牙を俺に向けて、威嚇している。


 “狩られる”。俺の本能はそう察知した。冗談じゃない。毛まで刈られているのにこれ以上狩られてたまるか! 俺はこの兎を逆に食ってやる! 兎なら食用として利用できるだろう。そう思って槍を構えた。


 兎は、鹿の死骸に目もくれずに俺に近づく。その速さはまるでブレーキの壊れた自動車のよう。加速して加速して加速し続けて、俺を轢き殺そうとする勢いで駆けてくる。俺は思いきり叫んだ。心の底から叫んだ。叫ぶことで恐怖心を打ち消して、体の震えを止めた。そして、兎に轢かれる直前に、横方向に移動して、やつの突進攻撃を躱した。


 危なかった。一瞬の判断が遅かったら、俺は今頃吹き飛ばされていただろう。最悪、骨が5、6本砕けていたかもしれない。それくらいの衝撃があったであろうことは、兎の放った風圧から察せられる。


 兎は前脚でふんばり急ブレーキをかける。そして巻き起こる砂煙。どう考えてもパワーが違う。こんな化け物がこの島に生息していたなんて。俺は少し前までは普通の高校生だったんだぞ。そりゃ、仙術で自分の髪の毛から分身を作り出せる能力はあったけれども。それで、この巨大生物に対抗できるほどの力はない。しかも、今はハゲているためその力も封じられている。


 でも、やるしかない。この兎はかなり足が速い。逃げた所で、俺を延々と追ってくるだろう。だから、生き残るためには勝つしかない! 俺にはマルガリータから貰った武器がある。リーチがある分、俺の方が有利なはず……人間の最大の強みは道具を使えることだと見せつけてやる!


 完全に停止した兎は向き直り再び、歯茎を見せて威嚇の所作を見せる。兎が可愛い生き物だなんて誰が言った。この凶悪な面構え。明らかに凶暴性を持っているソレだ。狼ですら逃げ出すほどの巨大兎。こいつをなんとかして倒すんだ。俺はこんなところで死にたくない。俺には、復讐しなきゃいけない相手がいるんだ!

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