第4話 髪は死んだ

 診察室には髪の毛がフッサフサの中年男性がいた。彼が父さんの知り合いの人だ。ネームプレートには稔木みのきと書かれている。


「はい。こんにちは」


「こんにちは」


 お医者さんに挨拶されたので俺も挨拶し返した。


「息子を頼む……」


 父さんは縋るような目で稔木先生を見ている。


「まあ、任せてくれ。薄毛といっても原因は色々ある。遺伝からくるもの。生活習慣からくるもの。ストレスでなるもの。もしくは誰かにかけられた呪いという可能性もある。まずはその原因を特定することから始めよう」


 稔木先生は俺の頭を触った。すると、膝から崩れて情けなく腰砕けの状態になった。


「う、うわぁあああ!」


 稔木先生は立たない足腰で必死に後ろに後ずさりをする。一体なにが起きたんだ。


「こ、これは私には治せない……無理だ」


 稔木先生は頭を抱えてぶるぶると震えている。一体なにが起こったんだろう。


「お、おい! 無理ってどういうことだ! 息子は……頼人は助からないのか!」


 父さんは稔木先生の胸倉を掴んだ。稔木先生の顔面は蒼白状態で、歯をがたがたと鳴らすのだった。


「これは……神の領域だ。薄毛の原因が神が与えた定め。私の触診スキルで得た結果がそれだ」


「なんだと……」


 父さんが歯をギリっと噛み締める。


「え、そ、それじゃあ俺はもう助からないんですか!」


 俺は縋るような目で稔木先生を見つめた。稔木先生は俺から視線を逸らす。


「ああ。無理だ。これは神が与えたスキルなのだ。スキルが与えた運命からは何人なんびとたりとも逃れることはできない。悪いが、私には神の定めを変えることはできない。そんな冒涜的なことをすれば、私に天罰が下りかねない」


 スキルが原因だと……いや、まさか……


「あ、あの……俺実は夢を見たんです」


「夢? どういうことだ頼人!」


「なんか得体の知らない声が聞こえて……俺のスキルは“けがない”だって言ってました。その夢を見た翌日に俺はハゲたんです」


 稔木先生は「ははは」と渇いた笑い声をあげる。


「それは間違いない最高神ハーゲン様のお告げさ。ははは……なるほど。ハーゲン様が定めた運命なら私の力が及ばないのも無理はない」


 え? どういうことだ?


「頼人。人はファーストスキルを得る時は、両親にスキルの内容が告げられる。この時はまだ子供だから言ってもどうせわからないからな。次にセカンドスキルを与えられる時は、ハーゲン様より本人から直接スキル名が告げられるのだ」


「な……それじゃあ、俺が見た夢は」


「ああ。間違いなくハーゲン様のお告げだ。そして、そのハーゲン様のお告げで頼人。お前のスキルは“けがない”になったのだ」


 けがない……毛が無い……毛が無い!? なんてこった。そんなスキルを俺が得てしまったのか。だから俺がハゲたのか。


 だけど、けがないなんてスキルは聞いたことがない。そんなスキルは初耳だ。この人類の歴史の中でそんなスキルが発現したなんて例はない。


 いや、まさかこれは……ハーゲン様が言っていた大型アップデートってやつなのか。新しいスキルをいくつか追加したと言っていた。それがこの“けがない”


「あぁああぁあああああ!!」


 俺は一心不乱に叫んだ。


「ふざけるな! ふざけるな! なにが毛が無いだ! ハゲるだけのスキルだと! こんなものを俺によこしやがって! ふざけるな! なにが最高神ハーゲンだ! 出てこい! 俺がぶっ殺してやる!」


 俺は天に向かってそう叫んだ。自身の思いをぶつける。このハゲに人権のない世界で、絶対に治せないハゲのスキルを抱えて。どうやって生きて行けばいいんだ。


「こら! 頼人! ハーゲン様になんて口をきくんだ」


「ひ、ひい。こ、この命知らず。ハーゲン様の悪口を言うなんて」


 父さんと稔木先生がなんか言っていたけれど、俺にはもうどうでもよかった。この世はハーゲン様が与えている恩寵で回っているようなものだ。だから、ハーゲン様を侮辱する発言をするのは誰であろうと許されるものではない。それが例えどんなに偉い政治家や王族であってもだ。それを一介の高校生が侮辱したわけだ。とんでもないやつだと思われても仕方ない。


 それから先のことは覚えてない。気づいた時には病室ではなく、父さんの車に乗せられていた。全てに絶望した俺は知らない間にどこかに運ばれているようだ。


「頼人……1億歩譲ってハゲは許そう。ハゲはウィッグを被ったり、帽子を被ったりすればいくらでも誤魔化すことができる。だから、ハゲさえバレなければ問題なく日常は帰ってくることになっただろう……だが、ハーゲン様の悪口は到底許されることではない」


 父さんがなにか言っている。耳で聞くことはできでも頭で理解することができない。それほど俺の精神状態は追いつめられていた。


「いや、やっぱりハゲは許せないな。最高神ハーゲン様を侮辱するハゲは。やっぱりハゲにはロクなやつがいない。まさか自分の息子でそれを実感することになるなんてな」


 車が停車した。ここは波止場のようだ。俺は父さんに無理矢理車から降ろされて、無人の小型のボートに立たされた。


「そのボートにはAIが搭載されている。人が操作しなくても自動で目的地まで連れて行ってくれる。行き先は名前すら付けられていない不毛の大地だ。そこで生涯反省しろ」


 俺は父さんに背中を押されてボートに無理矢理乗せられた。そして、ボートに茶色のリュックを積まされる。


「そのリュックには当面の食料が入っている。1週間くらい持つだろう。まあ、それからは飢えとの戦いだな。不毛の大地にまともな食料があるのか知らんからな。ははは」


 要は遠回しに死ねと言っているのか。例えハゲたとはいえ、実の息子によくここまでできるもんだ。


「父さん……」


「俺のことを父さんと呼ぶなァー!」


 父さんが急に大声をあげてキレる。


「貴様が神室家に生まれてきただけで汚らわしいのに、父さんなどと虫唾が走る呼び方をするな!」


「父さん……俺、母さんや瑠奈に会いたい。彼女のヒカリにも……学校の友達にも」


 もう俺は不毛の大地に島流しされているのは確定だ。それでも最後に一目だけでも、大切な人に会いたい。例えハゲだとかなんだの罵られることになったとしても。最後に一目だけでも見たい。


「心配するな。母さんも瑠奈もお前が永遠に治せないハゲだと知ったら、顔も見たくないと言っていた。だから、2人がお前に会うことはない。それに、学校には私から退学届けを出しておいた。担任の先生も校長先生も驚いておられたが、事情を話したら、ハゲは学校にいらないと言って、あっさりと退学届けを受理してくれた。だから、学校の友達に会うことになんの意味もない」


 俺は、すべてを失ってしまったのか。昨日までは順風満帆な人生だったのに。優しい母さん、頼もしい父さん、俺を慕ってくれる妹。そして、愛しい彼女にも恵まれていた。友人もそれなりに多い方だっただろう。だけど、それらは全て、髪と共に失ってしまった。


 そうだ。それ程までにハゲは重罪なのだ。髪がないという理由だけでここまでの扱いを受けても仕方ない。それがハゲの運命なのだ。


 だから、みんな必死でハゲを治療しようとがんばっている。最善の手を尽くしている。そして、フサフサの髪を手に入れている。


 だけど、俺にはその未来すら得ることができない。最高神ハーゲンのせいで。あいつは俺になんの恨みがあってこのスキルを授けたんだ。許さない。ハゲに人権がないこの世界を! 俺を見捨てた世界を! そして、俺から髪を奪った神を!


 ――俺は全てに復讐してやる!


「じゃあな。ハゲ」


 父さんは俺が乗っているボートを思いきり蹴飛ばした。その衝撃でボートが起動して、俺を不毛の地へと運んでいく。

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