1-6 巨大堰堤樹エキナレシル 序章6


堰堤樹を近くから見ると、その高さがより非現実的に理解できた。山であれば三角形のようにゆっくりと高くなっていくが、堰堤樹の幹の部分は直線的に高くなっていく。その急激さは自然のものでありながら、非自然的なものを感じさせた。


 露呈するまで乾燥しているとはいえ、湖底はジメジメしていて、長い影の中は冷たく冷え込んでいる。無論、山の上に比べればどうと言うことはないが、見上げるとそこにある空の深淵と相まって足がすくむような思いにさせられる。

 あまり上を見ないように、と色葉が自分に言い聞かせながら二人は根に近づいていく。


 最初は壁のように見えていた根だったが、ある程度の距離で堰堤樹といえど根の構造は普通の植物と変わらないことが分かった。とはいえもちろん、一本あたりの太さや長さは比類無きものだがそれでも俯瞰的に見れば一般的だった。


 そして、そのような構造故に人間も通り抜けられそうだった。


「最初は堰堤樹を乗り越えて向こう側の村に行くつもりだったんだが、根を通り抜けられそうだな」


 根に触れて状況を確認したり、湖底の土壌を確認したりしていた彩道が色葉に言った。


「堰堤湖に水がないから出来ることですね」


 色葉が、放置した大根のように皺だらけになった根を見ながら言う。緑の要素による効果もある程度落ち着いてきていた。


「水がないから萎れたというよりは、水で膨れるような根の性質なのかも知ん」


「そんなスポンジのような性質があるんですか?」


 彩道の予想に、色葉が食いつく。幼い故の知的好奇心の暴力に彩道は必死に次の言葉を考える。幼い子との会話は案外大きくなっても中枢の部分で覚えている、あるいはその影響が残っている。だからこそ、大人は大人への回答よりも慎重に子供の質問へ答えなければならない。


 そして、彩道の結論が出される。


「性質があるかどうかは分からない。俺は、俺たちは虹幻術士だからね。もっと詳しいことが知りたいなら村の長老にでも聞いたらいいさ。長老という生き物は郷土と昔のことを喋るために存在してるんだからな」


 その緊張は知らない色葉は早速、次の興味へ関心を移していた。先を急ぐ気持ちはあったが、どうしてもその純粋な好奇心を遮りたくないという思いに駆られた彩道はしばらくそれを見守っていた。


 主根を探したり、かつて住んでいたであろう魚を探したり、堰堤樹に上れるか試してみたり。好奇心の旺盛さは、気づきの力に繋がり、やがては自然を感じ取る力になる。それは虹幻術士に必要な力だった。


「そういえば、急がなくていいんですか?」


 根を上っていた途中で滑って落ち、泥だらけになった色葉が横たわったまま心配して駆けつけた彩道に言う。


「ああ、そろそろ行こうかと思っていたところだ」


 そんな大人な台詞をしっかり言い切ると彩道はあえてゆっくりと歩き出す。どの口が、などと突っ込みたくなる気持ちを必死に止めた後の行動だ。


――全く、普段は大人びているのにたまにたがが外れたように子供に戻る。大人びているだけよりはマシだが、本当に歪な子だな

 そんなことを考えながら二人は目の前にある根をのれんのように手でかき分けると先へ進んでいった。


「根の中はまだ水気というか、湿度があるんですね」


 色葉が顔に当たった一本を振りほどきながら言う。緑の要素の一件がなければ気持ち悪く感じるだろう、というほどのジメジメした湿気と暗さ。ひとけの無いトンネルのような中を進んでいく。


「この樹の生物的な部分はこの湿気で保たれているんだ。冬眠的な感じだな。いくら要素の力が大きくても、その力を一つの生物に宿している以上、生物の宿命からは逃れられない」


 色葉は彩道の背嚢の紐を掴んで進んでいた。内部には当然道しるべなど無いため、はぐれたり道に迷ったりすれば一生出られない可能性すらある。

 緑の要素の足下でそんなことは起こらないはずだが万が一に備えて、そして少しの不安から色葉はその紐を堅く握っていた。


「故にこの湿気が喪失する前に、生物的な部分の影響を減らすために私たちは急いでいた、と?」


 色葉が説明の途切れた先を予想して発言する。確かに、日向のように進むにつれて少しずつだが、湿気がなくなってきたように感じる。風通しがよくなったような、そんな感じがした。


「そうだ。実際に見てみないことには確信できなかったから言わなかったがな」


「聞きませんでしたからね」

 

 さらりとそう答えると色葉は鼻から息を吸い込む動作をする。

「なんか、懐かしい匂いがします」


 色葉が言わんとする匂いは、薪が燃える匂いに生臭いような匂いが混じったような、いわゆる獣たちが認識するところの『人間の匂い』のことだろうと彩道は想像する。

「ああ、近いな」


 彩道も感じ取っていたその匂いは次第に強くなっていき、あるとき、前方に明るい点が一点見えるようになった。

 その正体は言わずとも堰堤樹の反対側である。

 彩道が最後の根をかき分けると、まばゆいばかりの光に包まれる。漆黒の中から一気に純白の世界に出たことで目が慣れない。目を細めてかろうじて認識するところでは、渓谷の上に橋が架かりその上に家々が並んでおり、渓谷の斜面には段々に畑が出来ている、そんな情景だった。


「長かったな」


 ようやく目が慣れてきて詳細が分かるようになった時に彩道が一言言う。

 それはお疲れ様や、ありがとう、これからが本番だから頑張ろう、と無数の意味が籠もった、短いからこそ意味を持つ、そんな対等な者への言葉のように感じられるものだった。


「はいっ!」


 大きく返事をすると、二人の存在に気がついた村民が走ってくるところだった。

 



 二人は村で英雄のような扱いを、受けなかった。

 当然である。金を受け取り、お金の分だけ仕事をする人間を人は英雄と呼ばない。その可否にかかわらず、そういうものである。

 それに、初対面の時に見習いのほうが泥だらけ、とあっては呼びたくとも呼びにくいのだろう。


「まさか、村がアーチの橋の上にあるとは思いませんでした」


 泥を落とした色葉が彩道に言う。二人は今、渓谷の中央から堰堤樹の根の中腹を眺めている。一本目のアーチの最上部にある村長の家の応接間に居るからだ。


「合理的だな。さっきトイレ行ったときに偶然小耳に挟んだんだが、どうやらこのアーチ含めて木材は全部堰堤樹の落とし物らしいぞ」


 彩道が床をコンコンと叩きながら言った。


「そう聞くと大いなる自然から直接授かったものとして貴重に感じますが、下に居る者からすれば災害級の出来事ですね」


 彩道は村にいくつも架かるアーチが彼方の空から降ってくる様子を想像して苦笑いする。色葉もつられて苦笑した。


「確かに、避けられる自信もないな」


「師匠なら虹幻術でなんとか出来るんじゃないですか?」


 杖を咄嗟に懐から出した彩道が杖を受け止めて何処かに飛ばす様子を想像しながら色葉が言う。


 虹幻術の最速展開速度について軽い講義をしようとしたとき、この村とこの家の主である村長が入ってくる。


 二人は立ち上がって頭を下げる。


「この度は遠路はるばるどうもありがとうございます」


「こちらこそ、呼んで頂けて光栄です」


 そんな、不要でも無いと差し障る定型文通りの会話を一通りすると本題に入る。


「それで、異変はいつ頃から起こったんでしょうか?」

 

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【未完】見習い虹幻術士、七瀬色葉の旅路 天波匠 @amanami_takumi

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