後編
「クワトロチーズMとガーリックシュリンプSね、おまたせ!」
「はいよ!」
長嶋から2枚のピザを受け取ると、俺は配達用のスクーターに走った。
まだ午前11時を過ぎたばかりなのに注文が殺到していた。
開店当初は注文が全く来なかったのだが、サイトに「今日は元気に営業いたします!」という一行を載せただけで注文がじゃんじゃん入ってきた。
どういう経路かは分からないが、昨日店を休んだことは俺たちの思っている以上に街の皆に知れ渡っているようだ。その反動で今日は注文が多いというのは嬉しくもあるし、昨日休んでしまったことが余計に申し訳なくも思えてきた。
「お~い、メキシカンチリとツナマヨ、あとスパイシーチキン全部Lな!」
配達から帰るとパソコンにはもう次の注文が入っていた。
「……ったくL3つって、どこだよ?」
不機嫌そうな口調を装ってはいたが、本心では長嶋もこの状況を楽しんでいることが伝わって来る。
「シューベルトだよ」
「ああ」
俺が答えると長嶋も納得したように小さく笑った。
『シューベルト』というのは駅前にある昔ながらのカラオケ喫茶だ。カラオケ喫茶で楽しんでいるのは恐らく年配の方々だろうが、カラオケに熱中していると腹も減ってくるのだろう。ほとんど毎週末こうしたカラオケ客からの注文が入っていた。
『シューベルト』の配達を済ませるとさらに2件の注文が入っていた。
「長嶋、2件な!シーフードM、こっちは安東さんの家!あとスパイシーチキンL、こっちは東野さんな!」
「オッケー!あんどうさん、とうのさんだな!」
長嶋に注文を伝えると、俺も厨房に入り調理を手伝った。
時刻は正午をとっくに回り13時30分になろうとしているところだった。
やがて安東さんの分を含めて3件分のピザが焼き上がったので、俺はまた配達に走った。
「あれ?」
戻ってきたところで俺は異変に気付いた。
「長嶋!東野さんの分、何でもう出てるんだよ?」
東野さんはここから徒歩で3分、スクーターを用いれば1分もかからない近所に住んでいる、単身のおじさんだ。クレーマーというわけではないのだが、多少こだわりが強く「とにかく焼き立ての熱々を持ってきて欲しい」と言われたことがある。お客さんの要望にはなるべく応えたいので、東野さんの注文に関しては他の配達と組み合わせたりせず、焼けたらすぐに届ける……というのが決まりになっていた。それなのに長嶋は、東野さんの分のピザを焼き上げて作業台の上に出してしまっている。
「は?……5丁目のとうのさんだろ?」
「バカ!東野さんって言っただろ!5丁目は塔野さん!」
仕方ないので東野さんの分のピザを箱から出して温め直す。
そこで俺はふと嫌な予感がして、恐る恐る長嶋に尋ねた。
「なあ、一応確認だけど……さっきの安東さんの注文大丈夫だよな?」
「ん?……ああ、チーズだろ?わかってるよ!」
平然と答えた長嶋に俺の頭は混乱させられる。
「……チーズ?何の話だ?……って、ああ!そっちの安堂さんじゃなくて、3丁目の安東さん!アンチョビだよ!何やってんだ……」
5丁目の安堂さんには、一度手違いでチーズを増量して配達してしまったことがあったのだが、ご本人は大層それが気に入ったらしく、そのお返しに果物を持ってきてくれた。それ以降安堂さんから注文が来た際は、特にトッピングの注文がなくてもチーズを気持ち多めに乗せるようにしていたのだ。ただ安堂さんから注文が来るのは半年に一回のペースだ。むしろ長嶋がよく覚えていたものだ、と感心する。
問題は本来対応しなければならなかった安東さんの方だ。安東さんは毎月2、3回注文してくれる常連だが、アンチョビが苦手らしく「どのピザからもアンチョビを抜いてくれ」と言われていた。
これはまずい。いやもちろん確認を怠った俺にも責任があるのは間違いないのだが、しかし………………
そこでまたパソコンから注文を告げる着信音が鳴った。
注文主の名前を見て、俺の気持ちは暗澹たるものとなった。……いや、普段ならなんてことはないのだが、この状況では……
「……長嶋、次の注文な。マルゲリータのL、立花さんからだ」
一言ずつ区切って確かめるように言った俺を、案の定長嶋は怪訝な表情で見てきた。
「……たちばな?どっちのたちばなさんだよ?」
「だから……1丁目の立花さんだよ!」
苛立ち混じりに俺は叫んだ!
今まで3年間、二人で店をやってきてこんなにコミュニケーションが破綻したことなど一度もなかった!一体長嶋はどうしてしまったというのだろう!?
「にもじのほうのたちばなさんも、きへんのほうのたちばなさんも、どっちも1ちょうめだろうが!」
長嶋に言われて初めてどちらの常連も……立花さんも橘さんも……1丁目だったことを思い出した。
だが、そんなことは後回しだ。恐る恐る俺は尋ねた。
「なあ、おい長嶋……お前ひょっとして……漢字を喋ることが出来なくなったのか?」
ついさっきから、コイツは漢字が聞こえなくなっていることには気付いていたのだが、さっきの会話で決定的になった。コイツは漢字で喋ることが出来なくなっているのだ!
これが昨日さらわれた影響なのだろうか?これは業務上とても支障が出る!もしかしたら、この街のピザ市場をウチが独占していることが気に入らない誰かの陰謀かもしれない!
だがそれに対しても長嶋は、怪訝そうな表情で答えた。
「かんじでしゃべる?くだらないはなしはいいかげんにして、とっととピザのはいたつにいけ!」
やめてくれ、やめてくれ!悪夢みたいだ!ふざけてるなら勘弁してくれ!
「頼む長嶋、ちゃんと漢字で喋ってくれ!いや……最悪喋れないなら仕方ない、責めて俺の言う漢字をちゃんと聞き分けてくれよ!」
俺の絶望的な叫びだった。
だが絶望に陥った人間をさらに叩き落すのは、さらなる悲劇や不運ではない。ましてやその叫びを聞いた人間の嘲笑でもない。そして、その叫びが誰にも届かないことですらない。
聞こえている叫びが誰にも理解されないことだ。
「なあ、きっかわ……おまえこそ、おちつけよ!さっきから、かんじでしゃべれ!とか、かんじをきけ!とか……おまえはいったいなにをいっているんだ?なあ、きっかわ……」
長嶋の困惑した表情を見て、俺は絶望した。
だが……そう問われると、急に不安になってきた。俺は一体長嶋に何を要求していたのだろう?
あれ?俺が、おかしいの、か?
俺は今までずっと漢字で喋ってきたし、かんじを聞き分けてきた。
それは、長嶋もいっしょだとおもっていたが、ちがうのか?おれだけがそうしてきたのか?
なあ?おれがわるいのか?おれがおかしいのか?
なあ、ながしま!こたえてくれよ!ながしまぁ!!!
「おい、きっかわ!ボーっとするな!はやくピザのはいたつにいけ!……おい、きっかわ!おい…………」
ながしまの、ことばが、おれの、あたまのなかで、ゴーンゴーン、と、いつまでも、こだましている、ようだった。
(了)
ピザ丸異聞 きんちゃん @kinchan84
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