中編
次の日、開店時刻の10時になっても長嶋は姿を現さなかった。
こんなことは今まで一度もなかった。俺が寝坊したことは何度かあったが、長嶋が開店時刻に姿を見せないことなど、この3年間でただの一度もなかった出来事だ。何度も電話をしたが当然繋がらない。
(……やべえな、どうする?)
昨日と同様、土曜は店の書き入れ時だ。そして土曜は昼間の注文も多い。あと数十分もすればぼちぼち注文が入ってくるだろう。
別に売り上げなんかはどうでも良かった。俺と長嶋の二人だけでやっている店だ。ノルマがあるわけでもないし、二人ともそこまで金を必要としている人間でもない。
ただここで一度店を休んでしまえば、お客さんに迷惑をかけることになる。それで客が一気に離れるとは思わないが、楽しみに注文してくれたお客さんにただただ申し訳なかった。
それに何より、今すぐにでも長嶋がふらっと現れそうな気がしたのだ。アイツは本来いい加減な奴だ。「悪い悪い、目覚まし鳴らなくってよぉ!」と、さして悪びれもせずに5分後に現れそうな気がした。
……だが結局、長嶋はその日姿を現さなかった。
(……アイツ、飛んだんじゃねえか?)
午後2時、食材の整理をしている時にふとそんな考えが頭によぎった。
結局その日店は開けなかった。
俺一人でもピザを焼けないことはなかったが、長嶋の作ったものと比べると味は落ちるし、時間もかかってしまう。そもそも配達も含め二人でやっている仕事を一人でこなすのはどうやったってムリだ。
午前中すでに注文をくれていた5件のお客さんには、電話で事情を伏せて平謝りに謝った。どのお客さんも怒った様子などなく、ただただ心配してくれた。俺も事情を全部ぶちまけてしまいたい気持ちになったが、何の見込みもないため説明のしようがなかった。
「アイツ……このまま飛ぶんじゃねえかな」
さっき思ったことをそのまま独り言として吐き出してみた。
どう考えても悪い予感しかしなかった。それをあえて口にしてみれば何か印象が変わるかもしれない、と淡い期待を抱いての行動だったが……言葉以上のイメージは全く浮かんでこなかった。
昨日の時点で長嶋に何の異変もなかった……というのは俺の印象でしかない。
実はずっと俺に対する小さな不満を溜めており、蓄積したそれがもう限界になり全てを投げ捨ててどこかに行ったのかもしれない。……きっとそうだ。理由はないがそんな気がした。多分この3年間が上手く行き過ぎていたのだ。……いや上手くいっていると思っていたのは俺の方だけだったのかもしれないということだ。
片付けも適当に店を出ると、俺はとぼとぼと自分のアパートに逃げ帰った。
季節は12月上旬。駅前のイルミネーションが苛立たしかった。全部ぶっ壊れればいいと思った。
次の日曜日、俺はいつもより1時間早く朝9時に一応店に行ってみた。
昨日は夜中まで起きていたから、眠気とだるさが重くのしかかってきている。長嶋からの連絡が来るのではないか、と眠れなかったからだ。もちろん連絡はなかった。
今日も店は開けられないだろう。いや、恐らくもう二度と俺たちの店『ピザ丸』が開くことはないのではないか?……こんな安易な名前の店がよく3年も続いたものだ。
となると残った食材や機材の片付け、その他の諸々の手続きも俺が一人でやらなきゃいけないのか……となると、むしろ誰かを雇って店を存続させた方が楽なのか?……だがなあ……
そんな重い気持ちでドアを開けて店に入る。
…………ん?鍵が、開いている?
「おう、おはよう。早いな」
長嶋が居た。普通に食材を切っている。
……あれ?俺の頭がおかしくなったのか?昨日の出来事は夢の中の出来事か?それとも今が夢の中か?
「早いのはいいけど、お前今日の分の食材の仕込み全然やってねえじゃん」
「ああ、悪い…………いや待て、そうじゃねえだろ!お前昨日どこに行ってたんだよ!」
流石に俺も声を荒げた。そこで初めて長嶋はいたずらの見つかった子供のように舌を出した。
「あっはっはっは!悪い!……実は悪い奴らにさらわれていたんだ」
「……ふざけんなよ!」
言葉を理解するよりも身体が先に反応していた。気付くと俺の左手はヤツの胸倉を掴んでいた。長嶋と目が合う。ヤツはキレ返すでも、謝るでもなく、少し悲しそうな表情をした。
「吉川……お前がそう思うのも当然だと思う。俺自身信じられないんだけどな、嘘をついているわけでも、ふざけているわけでもないんだ。……とりあえず仕事しながら俺の話を聞いてくれないか?今日は店開けるつもりなんだろ?」
今まで見たことのない真っ直ぐな目に、俺はヤツの真剣さを感じざるを得なかった。
「……はあ?マジかよ。しょうがねえな」
俺は苛立ちから頭を掻きむしり、仕事に取り掛かるため着替え始めた。
今日の分の仕込みを昨日していかなかったため、いつもは余裕のある開店前のこの時間も二人でフル回転しなければならなかった。だが二人とも必死に手を動かしながら、頭と口は別の方向にフル稼働していた。
長嶋の言うところによると、昨日の出勤時、アパートの目の前に停まったワゴン車から男が二人出てきて突然さらわれたそうだ。ワゴン車に押し込まれてからの記憶は無く、夜になると再び自分のアパートの前で座り込んでいるところで意識を取り戻した、のだそうだ。
一応医者にも警察にも事情を話したが、身体にも家の金品などにも実害は全くなく、記憶のない間に何をされていたのか、誰も見当が付かないようだ。……まあそこまでの大事になっているのだったら、俺への連絡まで手が回らなかったのも仕方ないのかもしれない。事情聴取から解放された深夜に俺に連絡するのも悪いと判断したのだろう。
「しかし、何なんだソイツらは?お前の方で何か心当たりはないのか?……ほら親の借金のカタとか、ヒドい捨て方をした彼女の恨みとかさ」
絶対に無い。と長嶋は言い切った。長い付き合いだから、俺にはそれが嘘をついているものでないことは分かった。……とすれば、この店に何か恨みや敵対心を持った人間の行動だろうか?とも考えた。
俺たちは決してあくどい商売などはしてはいない。というか二人ともさして金を儲けることに執着がない。しかしだからと言って、誰かから恨みを買っている可能性がないとは言い切れない。そうした経営の仕方が巡り巡ってどこかの誰かに被害をもたらしていないとは言い切れないのだ。
開店時刻ギリギリ、何とか仕込み作業を終わらせた頃になると、俺の気持ちは少し落ち着き始めていた。長嶋の話を100パーセント信じた訳ではないが、ヤツが嘘をついている感じではなかった。
とりあえず今日は開店出来そうだ、というそのことに尽きる。昨日の真相がどこにあるかは徐々に探ってゆけば良いのだ。昨日一日空いたことで、こうして通常通り店で働ける喜びを俺は強く感じていた。
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