ピザ丸異聞

きんちゃん

 前編


「石田さんの分焼き上がったよ!」

 長嶋が柄の長いピザピールを用い、石焼の窯の中から焼き上がったピザ2枚を取り出した。チーズのとろける濃厚な香りと、小麦粉特有の芳醇な香りとが、狭い店内に充満する。

「はいよ!……小林さん家の分はあと何分かかる?」

 俺は焼き上がった石田さんの家の2枚のピザを箱詰めしながら、厨房の長嶋に声を張り上げた。

「そうだな……あと10分、いや12分だな!」

 長嶋は窯の小窓から中の様子を覗くと、正確に告げた。

「了解、じゃあ石田さんの分だけ先に配達行ってくるわ!」

 保温バッグにピザを入れ、店外に置いてあるスクーターに向かって走り出そうとした所で、パソコンから次の注文を報せる着信音が鳴った。

「長島、また注文!……シーフードMとマルゲリータMね!河野さんからの注文だから、ちょっとバジルソース多めで頼むわ!」

「河野さんね!了解!」

 長嶋に次の注文を告げると、俺は石田さん家の配達へとダッシュした。

 狭い街だからほとんどの家の場所は頭の中に入っている。そもそも新規の注文よりも、リピーターとして注文してくるお客さんの方が圧倒的に多いのだ。

 石田さんの家はスクーターで3分ほどの場所にある、4階建てマンションの405号室だった。空色の外壁が柔らかくおしゃれな雰囲気を醸し出している。

 マンションの下にスクーターを停車し、リアボックスから保温バッグを取り出すと、階段を一段飛ばしで駆け上がる。階段は子供の頃から得意だった。まだまだ4階程度で息を切らすほど俺のハムストリングスと心肺機能は衰えてはいない。

「お待たせしました!『ピザ丸』です!」

チャイムを鳴らすと間髪を入れずにドアが開いた。出てきたのは石田家の長女優香ちゃんだ。たしか小学校5年生くらいだったはずだ。ピザが届くのを今か今かと待ち構えていたのだろう。ひょっとすると下にスクーターが停まったのも分かっていたのかもしれない。

「あ、待ってました。ありがとうございます!」

 優香ちゃんは満面の笑みで迎えてくれた。

「こちらこそ、いつもご注文ありがとうございます!」

 俺の返答は業務用の定型文ではなく本心だった。こうやってお客さんの笑顔に直接触れる機会は何物にも代えがたい。たとえ相手が小学生だとしてもその気持ちには何の変りもない。

「あ、ピザ丸さん。いつもありがとうございます」

 優香ちゃんにピザを渡したところで、後ろから赤ちゃんを抱いた奥さんが顔を出した。

「あ、こちらこそ、いつありがとうございます!……ではすみません、またよろしくお願いいたします!」

 奥さんとは顔馴染みで普段街中で会えば雑談もする間柄だが、何しろ今は金曜の夜だ。挨拶もそこそこに石田さん家を飛び出した。

 最近はキャッシュレス化が進み、ウチの店もカードによる事前決済という方式でやらせてもらっている。配達の度に現金のやり取りをしていた昔がウソのようだ。この制度が普及したおかげでウチの店が成り立っているのは間違いないだろう。


 配達に向かったのと同等のダッシュで店に戻ると、次の小林さん家のピザが焼き上がったところだった。今度は配達の効率を考え、さらに次のピザが焼き上がるまで俺も調理を手伝う。

 そしてまた次の注文が入ってきた。今度は長嶋がパソコンのモニターを確認し俺に注文内容を伝える。

「吉川、次の注文な!……4丁目の小島さんにデラックスと照り焼きチキン、両方Lな。あとチキンナゲットも30ピース!」

「了解……あれ、児島さんて3丁目じゃなかったっけ?」

 俺は一瞬分からなくなった。

「あー、違う違う!小島さんの方!」

 危うく間違えるところだった。3丁目の児島さんは老夫婦二人だけの世帯で、大抵はSかMのピザを1枚と飲み物くらいの注文だ。対する4丁目の児島さん家は男3人兄弟全員野球部という体育会系の一家だ。注文内容を考えればこちらに決まっている。

 ……だが今は金曜の夜、我が店にとって一週間で最も忙しい場面だ。過ぎたことにクヨクヨしている暇はない。余計なことを考えているヒマがあったら手を動かせ!足を動かせ!


 こうして瞬く間に金曜の夜は更けていった。






「おつかれ!何とか乗り切ったな……」

「な、思ってたより今日は忙しかった……」

 午前0時を回り、閉店した店内で俺と長嶋はコンビニで買ってきた缶ビールでささやかな乾杯をした。

 薄暗い店内は二人の充実感で満ちていた。

「焼けたぜ」

 長嶋がチーズを鉄板で焼いたものを出してくれた。俺も冷蔵庫に残っていたトマトをカットしてバジルをかける。ピザ生地も余っていたが仕事中に嫌になるほど見てきたため、ヤツらを食欲の対象として認識する能力を俺たちは失っていた。つまみはこの程度で充分だ。

「……もうすぐ3年だな」

「ああ……もうそんなに経つんだな」

 感慨深げに呟いた長嶋の言葉で、もうそれだけの月日が経とうとしていることに少し驚いた。

 3年前に俺、吉川文晴にピザ屋を開こうと言い出したのは、小学生のころからの幼馴染、長嶋良二だった。

 大学を卒業してそのまま東京で就職した俺だったが、人間関係に疲れ地元に帰りたい願望が強くなっていた、ちょうどその頃に長嶋に誘われた。長嶋は別の街でイタリアンのシェフとして働いていたが、彼もちょうどその頃に独立したい願望が強くなっていたそうだ。

 長嶋がなぜ俺を誘ったのか、理由を聞いたことがあるがよく分からなかった。多分強い理由があったわけではない。昔からの友人で気が合い、それなりに気の利く人間だと判断した……という程度のことだろう。

 俺の方も店を始めることにさして強い決意をもって臨んだわけではなく、こうして軌道に乗るとも正直思っていなかった。どうせ半年くらいで店舗の家賃が払えずに店を畳むことになるのだろうと思っていた。次の仕事が見つかるまでのつなぎ、若い内にしか出来ない思い出作り……くらいの意識だった。

 だが3年経った今も店は続いている。経営は予想以上に順調だ。

 そうなった要因だが、まずは当然ながら長嶋の作るピザが本格的に旨い……ということに尽きる。学生時代はちゃらちゃらしたヤツで、バイトもバックレてばかりだったのだが「美味しいものを作りたい」という情熱だけは本物だったようだ。

 俺も始めてみると、この仕事が予想以上に楽しかった。オフィスでパソコンの前で座っているよりも街中を走り回っている方が俺の性に合っていた。それにお客さんの反応が直に伝わるという喜び、アイデアをすぐに実行できる環境。それがまたお客さんの反応を呼び、それをきっかけにアイデアが生まれる……という好循環だった。俺は生まれて初めて仕事を面白いと思った。

 現在店はデリバリーとテイクアウトをやっている。最初はデリバリー専門でやるつもりだったが、俺一人ではどうしても配達に時間がかかるため、お客さんからの要望が出てテイクアウトもやるようになった、という感じだ。

特に忙しい時間帯などは、お客さんの方から気を使って受け取りに来てくれたりもする。申し訳なくも思ったが「こっちは美味いピザを食うのに待ってられないんだよ!」というお叱りなのか照れ隠しなのか判然としない言葉そのままに受け入れてしまっている。

 小さな街の小さなピザ屋。子供の頃はおろか5年前にもこんなことをしているなんて、毛ほども想像していなかったが、今とても充実している。





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