第24話 グリムスターの野望

 北条家のリビングでは、明良、樹希、杏里紗、八雲、雷の五人がセバスチャンの入れてくれた紅茶を飲んでいた。重傷を負った智成は別室に寝かされ、礼美が看病のために付き添っている。北条家の主治医である伊集院からは、智成は命の危険はないが全治三ヶ月の重傷で、三週間ほどは絶対安静だと言われた。

 コーマと零士、そして正臣はグリムスターの狙いを聞き出すために、刺客を監禁した別室にいた。

 綾香はさすがに疲れたようで、二階の智成の隣の部屋で休んでいる。


「一気に攻めて来たな。次はどう来ると思う」

 八雲が険しい顔で、明良に意見を求めた。

「今、コーマたちがグリムスターの刺客を尋問しているから、敵の狙いはそれで分かると思う」

 明良がそれまで待てと言わんばかりに答えると、八雲は少し苛ついた様子を見せた。

「敵も一流の戦士であるなら、簡単に目的を明かしたりはしないだろう」

「それは大丈夫だ。刺客たちが知ってることはもちろん、その先の雇い主しか知らないことも分かると思う」

「拷問でもするのか? それとも自白剤か? いずれにしても雇い主しか知らないことは分からないだろう」

「コーマが自ら調べている。天眼の力で奴らが直接接した雇い主の心までは読むことができるはずだ」

「天眼? それはどんな力だ?」

 八雲の声音には、聴き慣れない能力ちからへの疑いが混じっていた。

「そうだな、サキヨミの上位能力と言えばいいかな」

「サキヨミとはどう違うんだ?」

「一番の違いはサキヨミした未来を、少しだけ変えることができるんだ。例えば八雲が僕に向かってイカヅチを放つとするだろう。それを僕の隣の椅子に、目標を変えることができる」

「それはもしかして私自身に狙いを変えることも可能なのか」

「可能だ」

 八雲の顔に驚愕が走る。

「それは最強ではないか?」

「だが制約がある。身体、特に脳への負担が大きいんだ。あまり使いすぎると脳細胞が少しずつ死んでいく」

 あまりにも高いリスクに、さすがに八雲も言葉を失った。


「それを使えば、ここにいない人間の考えも分かるのですか?」

 雷が不思議だと言わんばかりの顔をして訊いてきた。

「うーん、僕は使えないからよく分からないけど、コーマの話だと天眼で見ている相手の心の中に、他の人と接している光景が見えるらしいんだ。その光景に登場した人間の心も読めるらしい」

「凄い能力ですね」

「まったくだ。ときどきコーマは人間じゃなくて、神ではないかと思うよ」

「ねぇ明良、ここで天眼を使うとやっぱり能力は強くなるの?」

 今度は樹希が訊いてきた。

「能力の強さはあまり変わらないけど、身体への負担は全然違うらしいよ。ツノが半分受けてくれてるんじゃないかと、コーマは言っていた」


「それにしても強い敵だったな。三対一とは言え、あの智成が瀕死の重傷を負うとは」

 八雲は智成の強さをよく知ってるだけに、未だに信じられないようだった。

「これからは単独行動は危険だな。もし杏里紗がいなかったら智成は死んでいたかもしれない」

「でも私は死なせないようにするだけで精いっぱいだった。最後に礼美さんが力を吹き込まなかったら、肺の穴は塞がらなかったと思う」

 樹希がそのときのシーンを思い出して顔を赤くした。


 ドアが開いてコーマたちが戻って来た。どうやら尋問は終わったようだ。

 三人ともいつもとは違う深刻な表情を浮かべている。

「グリムスターの狙いは分かりましたか?」

 明良が待ちかねたようにコーマに尋ねた。

「ええ、彼らは日本経済を支配することを考えています」

「日本経済を? いったいどうやって……」

「今、日本政府は債務超過に陥っています」

「国債と借入金の合計が千百十五兆円に対して、税収が六三兆円という構造ですか? それでも財政破綻は起きていない。なぜなら、借入金の海外保有比率は十パーセント程度だし、いざとなったら日銀が国債を買う」

「でも、おかしいとは思いませんか? 本来政府と一体である日銀が国債を買うことは、一種の自転車操業です。それでも債権はデフォルトしないなんて」

「一つは国民の金融資産残高が千九百兆円も有り、預貯金だけで一千兆円あるからじゃないですか?」

「そうですねぇ。いったんハイパーインフレに成れば、これらの預金は紙くずになってしまう。それは国民の預貯金を担保にしているとも言えませんか?」

「そうはならないでしょう。リーマンショック以来、世界中でマネーはだぶつき気味だし、国民が預金を崩さず維持し続ければデフレ状態は続きます。うっ、待てよ……」

 明良は何かに気づいたようだ。信じられないという顔で、コーマを見ている。


「ちょっと待って、何が何だか分からない」

 樹希が口を尖らせて、明良に抗議する。八雲たちも頭が割れそうな顔をしている。

「明良、気づいたことを分かりやすく樹希に説明してください」

 コーマに促されて、明良が説明を始めた。

「日本国民は文句を言いながらも政府を信頼しているんだ。だから政府が発行する日本円を信用してるし、円建ての預金も崩さない。だけど、いったんその信頼が崩れて、各自が預金を崩して、不動産や貴金属を買い始めたら、一気にハイパーインフレに成りかねない」

「ハイパーインフレに成ったら、どうなるの?」

「毎月、物の値段が五十パーセント以上上昇し、百円のおにぎりが一年後には一万三千円に成る」

 樹希たちの顔が青ざめる。

「どうやって、物価上昇を止めるの?」

「ドイツが第一次世界大戦の敗戦後、ハイパーインフレに陥ったとき、レンテンマルクという、不動産との兌換を保証した銀行券を発行して、物価を安定させた。でも日本にはそれだけの資産がない」

「じゃあ、どうするの?」

「仮想通貨だよ。おそらくグリムスターは、自分たちが発行するグリムコインを円と交換することを提案する。グリムコインにはグリムスターがドルとの兌換を保証するから、これが日本全体に流通すれば、日本の物価は安定するだろう」

「よかった」

 樹希はホッとした顔をした。

「良くないよ。実質通貨としてグリムコインが流通してしまえば、通貨発行権が政府からグリムスターに奪われるということだ。日銀に変わってグリムスターが、日本の金融を意のままにすることになる」

「乗っ取られるってこと?」

「そうだ」

 途端に樹希の顔は青ざめた。


「明良、ちょっと待て。それはハイパーインフレが起きるという前提だろう。その機転が政府に不信を感じた国民の預金解約ならば、日本人はその手のパニックが起きにくい国民だぞ」

 雷は冷静に明良の意見を否定した。

「そうだ、雷。だからこれだけの債務超過が許されるんだ。でもね、日本人が国を信じる精神性は、皇室を中心にする長い歴史で作られたきたんだ。その意識の源は帝から素目羅義に、そして今は素目羅義から皇援九家に分散して託されている」

「そうか、分かったぞ、明良!」

 雷には事態が飲み込めたようだ。

「つまり、皇援九家を倒せば、日本を支配できるとグリムスターは考えたのだな」

 雷の言葉に、コーマと明良が頷く。


「先生、各地の九家は大丈夫ですか?」

 八雲が心配そうに正臣に訊いた。

「剱山殿も含め、各家の当主は警戒していたら、そう簡単に倒されるような人たちじゃないだろう」

 正臣は八雲を安心させるためか、笑顔で力強く答えた。

「問題はファカルシュ家が狙っているここだな」

 零士は心配そうな顔をしている。

「ここって、この屋敷のこと?」

 樹希が怪訝な顔で訊き返す。

「そうだ、奴らの狙いは九家の当主と、明良、智成、八雲、それから綾香のお腹にいる子供だ」

 零士の言葉に、明良は顔色を失う。

「ファカルシュ家の刺客たちが我々ではなく、他の九家の当主を狙うことはないか?」

 八雲が心配そうに訊く。

「それはない。彼らは儀介殿の暗殺に失敗している。彼らの誇りに掛けて、まず我々をターゲットにするはずだ」


「そうか、それなら借りを返せるな」

 戸口からの声に驚いて振り向くと、そこには智成が礼美に支えられて立っていた。

「智成、無理をするな。まだ絶対安静だろう」

 正臣が慌てて注意する。

「心配無用、杏里紗のおかげで回復が早い。少弐の誇りにかけてお返しをしないとな」

 智成はまだ一人で立てないにも関わらず、目には気迫が宿っていた。

 止めても無駄だと思ったのか、正臣もそれ以上言わなかった。

「頼もしいわね。まあ、智成なら大丈夫か。ところで皆さんお腹が空きませんか?」

 樹希が明るい声で食事を提案すると、セバスチャンがさっとダイニングに消える。

 綾香が狙われてることに暗い気持ちになっていた明良も、樹希の明るさに癒されて、思わず笑顔になった。

 見ると他の者も笑っている。

 カア、ツノが安心しろと言わんばかりに一声啼いた。

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