第23話 天眼

 コーマは大きくせり出してきた綾香のお腹を見ながら、父のことを思い出していた。

 コーマの母は、コーマを産むとすぐに命が尽きて帰らぬ人と成った。だから母のことはよく知らない。父は自分の顔を見ると母を想い出すせいか、いつも悲しそうな顔をしていた。

 今、自分も父と同じ道を歩もうとしている。もしこの出産で綾香を失ったとき、自分は残された子供に笑顔を向けることができるのか、それを考えると胸が苦しくなる。分かっていながら、綾香にこの危険な試練を課してしまった。そんな自分を許せない限りは、生まれてくる子供に笑いかけることはできないだろう。


 ふと、自分と同じように不幸を引きずって、生まれてしまった弟の顔が浮かんだ。明良は父の後妻が四人目の弟として産んだ子だ。父の後妻は種子たねを持っていなかった。それ故に、写真で見る母によく似た後妻は、父に心から愛されたことはなかったように思える。

 それでも北条家の当主であるが、表に出れぬ自分の代わりに、事業責任者と成るべき弟を後妻は生み続けた。三人の弟はそれぞれ優秀で、コーマの名代として懸命に働いてくれている。

 だが最後に生まれた明良は、父から引き継いだ種子を持って生まれてしまった。当然のように種を持たない後妻は、あっけなく明良の誕生と同時に死んだ。北条家の種子はそれだけ強力で、生まれたときからその力は発動してしまう。自ら種子を持たない後妻には、その負担は想像を絶する苦しみがあったのだろう。


 父は明良が生まれると同時に屋敷を出て、八王子に移り住んだ。兄弟たちは生まれてすぐに、北条家に所縁ゆかりが深い家に養子として送られる。次期当主は誰かはっきりさせる意味と、ツノのいるこの屋敷は種子のない子供にはいい影響を与えないからだ。

 明良をどうするかコーマは迷った。普通の家でツノの影響を受けずに育てば、もしかしたら成長に伴い力が消えて、北条家の辛い宿命を負わずに育つことができる。その可能性に掛けて、明良を戸鞠家に送った。

 しかし、その願いは虚しく消えた。明良は小学校に上がった頃には、強いサキヨミの力を保持し、その力の強さは自分と比較しても遜色ないレベルだった。最早、普通の家に置いておくには危険すぎる存在だと判断し、コーマは戸鞠の家から明良を呼び戻し、ここに住まわすことに決めた。


 今後、明良は樹希との間で、自分と同じような悩みを持つことに成るだろう。以前、綾香に明良と樹希はこの問題を乗り切れるかと、訊いてみたことがある。そのときの綾香の答えは秀逸だった。

「あなたが私を求めたとき、深刻に考えなかったでしょう。男と女はそういうもの。所詮は生物界の一部でしかない。私たちと同じように、二人はもう強く惹かれ合っているのだから、先の危険なんて見えはしないよ。だけど、もし私に万一のことがあったら、明良は悩むかもしれないわね。樹希のためにも、そのときはあなたが二人の前で、堂々とした態度を示してあげてね」

 今は綾香の無事を祈るしかないが、もしそのときが来てしまったら、どんなに苦しくても綾香の言葉に従って、強い意志を示さなければならないと、コーマは辛い決意をした。


「ツノ?」

 誰かが屋敷に侵入したのか、ツノから警戒を呼び掛ける思念が伝わって来た。セバスチャンにも伝わったらしく、階段の前に彼の意識が移動した。

「コーマ、侵入者が来たの?」

 綾香が心配そうな表情で眉根を寄せる。コーマは笑顔を見せて頷いた。

 明良たちの不在を狙って、この屋敷に何者かがやって来た。ファカルシュ家にしてはえらく単純な襲撃だが、強い殺意を二階にいても感じる。

 階下で鋭い打撃音が聞こえる。セバスチャンが侵入者と戦闘を始めたようだ。応援に行きたいが、綾香の傍を離れるわけにはいかない。コーマはツノとつながって、侵入者の人数を確認する。

――四人か!

 屋敷内であればセバスチャンも無理はしないだろう。一人足止めしたら十分だ。


 階段を登って来る気配がする。気配だけで足音がしない。侵入者は相当訓練されているのだろう。

 ドアが開いて、三人の男が現れた。彫りが深くて鼻が高い。長身ではないががっちりしている。ルーマニア人でないことは確かだ。

――アラブか?

 コーマはグリムスターの配下に、中東系の殺人集団がいることを思い出した。彼らがその部隊のメンバーであれば、グリムスターはファカルシュ家に依頼しながら、自分たちの配下もこの作戦に投入したことになる。

 侵入者たちは、コーマと綾香の姿を見て、音もなく間合いを詰めてきた。


 カア――ツノの啼き声が屋敷中に響き渡る。

 三人の侵入者は突然綾香の姿が消えたので、戸惑いながら立ち止まった。

 周囲を見渡すが、綾香の姿はどこにもない。

「悪いが、人手が足りないんで思念結界を張らせてもらった」

 コーマはサキヨミでタイミングを計って、三人を思念結界の中に閉じ込めた。九家の中でサキヨミを持つ北条家だけが、外国人に思念を使うことができる。

 三人の内一人が、アラビア語で何か叫んだ。言葉の意味は分からないが、言葉に乗る思念が伝わって来た。どうやらコーマを倒してここから出ると言ってるようだ。


 侵入者たちが手にした拳銃を見て、コーマが車椅子から立ち上がる。三本目の足を目にして、侵入者たちの顔に驚きが現れる。

 ダァーン――恐怖に駆られた男の一人が発砲した。

 弾はコーマのはるか頭上に逸れ、発砲した男の拳銃を持つ腕が、複雑な形で後頭部に折れ曲がった。

 コーマの額に青白い瞳をした目が現れている。その目を見て三人とも昏倒した。


「封印を解かれましたか」

 セバスチャンが、意識のない四人目の男を担いで部屋に入って来た。四人目の顔は醜く腫れあがっていた。

「綾香に心配を掛けたくなかったので、止むを得なかった」

 セバスチャンは、ケブラー繊維で作られたワイヤーで、侵入者たちの両腕を縛り始めた。

「私はまるで化け物だな」

 コーマが自分の姿を思って自嘲する。

「何をおっしゃいますか。その全てを見通す天眼てんげんは、人類の希望です」

 珍しくセバスチャンがムキになった。

「そうよ、化け物とは人の肉を食らうような行為を、心を傷つけることなくできる人間のことよ。見た目の違いを気にしないで」

 綾香の目からは強い信念が発せられていた。

「君のおかげで私は救われる」

 コーマが再び車椅子に座ると、額の目は消えていた。


「この男たちをどうしますか?」

 コーマがいつものコーマに戻り、セバスチャンは安どの色を浮かべながら指示を仰いだ。

「もうすぐ零士が来るから、後の始末は任せよう。彼らがグリムスターの手の者なら、何を目的に九家に戦いを挑んだのか、分かるかもしれない」

セバスチャンは四肢を縛られて転がっている男たちを、一度に二人ずつ担ぎ上げて隣の部屋に運んだ。


「綾香、胎教に悪いね」

 綾香が微笑む。

「大丈夫、あなたの私たちを守ろうとする意志を、この子も感じて喜んでいるわ」

 侵入者が来る少し前の明良からの連絡では、智成がファカルシュ家の者に襲われ、瀕死の重傷を負ったらしい。そしてこの襲撃だ。

 グリムスターの真の狙いはまだ分からないが、その魔の手は確実にこの屋敷に近づいてくる予感がした。

 何か手を打たないとさらに犠牲者が出る。目的だけでも知る必要がある。

 コーマはもう一度天眼を使う決意をして、隣の部屋に向かった。

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