第25話 欧州の虎狼
屋敷が襲撃されてから二週間が過ぎた。あれ以来襲撃はなく、刺客の影すら現れなかった。智成は驚異の回復力で、既に学校に登校できるまでに回復している。伊集院先生もその強靭な肉体に驚いていた。
綾香はいよいよ臨月を迎え、北条屋敷に緊張感が漂い始めた。刺客の存在はもちろんだが、綾香が出産時に直面する死のリスクが、重い空気を生んでいる。
「まったく仕掛けてこないな」
セバスチャンが入れてくれたコーヒーを飲みながら、智成が物足りなそうに呟く。
今日も学校に行って帰って来る間、何も起こらなかった。
「死にかけたくせに、偉そうだね」
礼美は相変わらず智成には厳しい。
「次は三対一でも大丈夫だ。あいつらの手の内はだいたい分かった」
「いや、一人だけ分からない奴がいるし、そもそも相手は三人だと、特定されたわけじゃない」
リベンジに執念を燃やす智成にブレーキを掛けるよう、明良が忠告した。
「明良、今分かってることでいいから、あいつらのことをもう一度おさらいさせてくれないか?」
雷はあくまでも冷静だ。八雲のためにあんなに熱くなったのが嘘のようだ。
「まず、智成と直接戦闘をした男だが、身体から発した金色の光と、獣のような姿に変化したことから、ファカルシュの魔狼だと思う。名前はラウル。彼に関する最古の記録は、百二十年前のロシア陸軍大将の暗殺だ」
「ヒュー、見た目は二十代だったぞ」
智成が妙な関心を示している。
「アンデッドというのもまんざら嘘ではないようだな」
雷は相手の驚異的な生命力に眉をひそめる。
「おそらく、智成のアラシを受けて倒れたのも演技だろう。次の一手に誘うための」
「そうだ。奴が倒れたことで油断してしまった。武人としてまだまだだ」
智成は死にかけた場面を思い出して、悔しそうに顔をしかめる。
「次に智成に超音波の槍を放った男は、名をリリアクと言って、あまり記録はなかったが、一九七二年に同じような技でFBI長官が暗殺されている。当時FBIが必死で調査した結果、名前だけは掴んだようだ」
「あの技はやっかいだ。気配も音もなく、気が付くとやられているという感じだ」
「超高周波の音声を発することができるようだ。超音波メスだと思えばいい」
「まるで蝙蝠だな。接近戦での強さはどうなんだろう」
そう言えば、雷と礼美、それに樹希も得意とするのは打撃系の近接戦闘だ。リリアクのような距離を取る相手は苦手とする。やるなら、八雲か智成あるいは自分かだと、明良は思った。
「最後に、全体を指揮していた男だが、彼に関する記録はない。だから、どんな技を使うかも未知数だ」
「前回も一人冷静だったな。先生が来たのを見た途端に退却した」
「八雲の言う通り、彼があの三人の指揮官役であることは確かだ。おそらく正確に僕たちの力を見極めて、先生が来たところで力の均衡が崩れたと判断したんだ」
「それならば、正臣殿と別行動をとれば、我らの前に現れるのではないか?」
智成がいいアイディアだろうとばかりに胸を張る。
「危険過ぎないか?」
雷が智成の蛮勇を危惧する。おそらく自分ではなく、八雲が傷つくのが怖いのだろう。
「いや、少し危険を冒す必要はあるかもしれない。このままの状態で綾香の出産を迎えるのは、正直に言うと回避したい」
明良にとっては、ファカルシュ家以上に綾香のコンディションの方が気に成った。一方、雷はまだ顔が迷っている。
「ならば私と礼美、それに明良と樹希、この四人で誘ってみるのはどうだ。絶対に食いついてくるぞ」
「いいねぇ。私も早くあの蝙蝠野郎を、ぶちのめしたいと思ってたんだよ」
礼美は目をギラギラさせている。智成を傷つけたことを許せないのだろう。
「ちょっと待て、なぜ上杉を置いていく。雷、ここで憶しては九家の者として、一生こいつらに頭が上がらなくなるぞ」
「はい……」
雷はそれでも戸惑っていた。明良にはその気持ちが少し分かる。
「雷、お前は強くなってる。心配しなくても守れるよ」
智成は八雲の立場と雷の気持ちを察して、結局雷の背中を押した。
「分かりました。六人で仕掛けましょう」
「私は?」
杏里紗が不満そうな顔をしている。
「杏里紗は先生の引き留め役だ。二時間経っても僕から電話がないときは、先生に訳を話して、探しに来てくれ」
「分かったわ。まあ、私は戦いの役にはたたないものね」
「絶対生きて帰って来るから、治療を頼む」
「分かったわ、絶対だよ、樹希もね」
樹希は頼もしそうに杏里紗を見ている。この二人いじめなどなかったかのように、すっかり仲良くなっている。きっと、綾香と同じリスクを持つ者として、恩讐を超えて分かり合ったのかもしれない。
翌日、授業が終わると、六人は密かに学校を出て行った。いつもは正臣と集団下校のように一緒に帰るのだが、今日は杏里紗が相談と称して引き留めている。
「本当に現れるかな?」
智成が心配そうに明良に囁く。
「間違いなく現れる。先生がいなければ、戦力的には半減していると思うはずだ。罠だと思っても誘いに乗ってくる。それに、素目羅義に智成と、彼らは狙った殺しを二つとも失敗している。ファカルシュの名にかけて、焦りを感じてもおかしくない」
「ふっ、気合が入るな」
戦いのことだけを考えている智成を横目に、明良は別のことを考えていた。
臨月になってから、綾香のお腹から綾香のものではない、強い思念を感じるのだ。まだ生まれてないのに思念を発しているとすれば、その潜在的な力は相当強い。それは綾香が、出産を無事に済ませられない可能性が、高いことを示していた。
それでも綾香は、凛として出産への不安を口にしない。自らの生命をかけて、新しい命を生み出そうとしている。そんな綾香を狙うグリムスターに対し、激しい怒りが湧いてくるのを消すことができない。
その怒りは黒い炎に成って、明良の身体を焼き尽くすようだった。
明良たちは屋敷と反対側に向かって十分ほど歩き、戦闘場所として選んだ中央自動車道沿いの荒れ地に着いた。ここならばこの時間帯は人は少ないし、戦う上で邪魔になる障害物もない。六人で背中合わせに成り、敵が現れるのを待った。
学校を出てからずっと、何か強い意志が自分たちの周りにいることに気づいていた。その感覚がだんだん強まってくる。
「来るぞ」
智成を傷つけた超音波の槍の気配を感じて、明良が叫ぶと同時に、六人は三組に分かれて三方に跳んだ。
八雲と雷が跳んだ先には、既に
ラウルは構わずに雷の脇腹に、左のミドルキックを蹴り込んでくる。雷はラウルの爪を跳ね上げて、後方に飛びのく。ラウルの蹴りは空を切り、無防備な身体に八雲のイカヅチが命中した。
ラウルは後方に三メートルほど飛ばされ、背中から地面に叩きつけられた。
だが何もなかったかのように、ラウルは跳ね起きてくる。
不死身の身体は嘘ではないようだ。
智成と礼美の目の前には、リリアクの姿があった。
「ちょうどいい。ぜひお前にお返ししたいと思っていた」
言葉通り智成の顔には喜びが溢れていた。
「油断しないで」
楽しんでいる智成に礼美が注意する。
リリアクが灰色の光に包まれた身体を反らして、口から殺人音波を放つ。智成はそれを避けもせず、正面から受けた。確かに命中したはずだが、智成は平然と立っている。螺旋状に回転した空気の層が、智成の身体の周囲を覆い、音波を砕いたのだ。
「そっちの武器が空気の振動であるなら、俺の風の鎧には効かぬぞ」
智成はニヤリと笑って、リリアクに向かってダッシュした。智成の拳がヒットする瞬間、リリアクは上空に高く飛んで再び音波を放つ。
「だから効かぬ――」
音波の後ろから、リリアクの蹴りが智成の頭上を襲った。
次の瞬間、リリアクの身体が再び上空に上がり三メートル後方に着地する。
「油断するなって言ったろう」
礼美の蹴りがリリアクの蹴り足を、跳ね飛ばしたのだった。
明良と樹希は謎の男と対峙していた。
「さすがに九家の直系者は強いね。ラウルとリリアクが苦戦している」
男は楽しそうに笑った。
「お前は誰だ」
戦闘中にも関わらず他の戦いの感想を述べる敵に、明良は問いかけてみた。
「僕の名はヤニス。ラウルやリリアクと違って、君たちと同世代さ」
「なぜ、グリムスターの依頼を受けた。ファカルシュ家にとって、グリムスターは信頼できる相手ではないはずだ」
ヤニスは少しだけ悲しそうな表情を見せた。
「その通りなんだけど、こっちにも事情があってね」
明良はヤニスの表情から、これが単なるビジネスではないことに気づいた。
「引けない事情なのか?」
「そうだ。申し訳ないけど死んでください」
ヤニスの身体が赤く光った。
――炎?
明良が光の正体が炎と気づいた直後に、ヤニスがするすると間合いを詰めてきた。
ヤニスのショルダーアタックを間一髪で交わすと、空気が焼けるような匂いと、たいまつが鼻先を掠めたような熱さを感じた。
「樹希、君は手を出すな。彼に触れたらやけどぐらいじゃすまない」
ヤニスの身体の炎は一層大きくなって、人の形では無くなった。ヤニスが動くと炎が揺らめくように見える。
「彼の言うように、君は手を出さないでね」
ヤニスが再び明良との間合いを詰めてくる。
明良は脳裏に死のイメージが走った。
こんな相手とどう戦えばいいのか分からなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます