第20話 ファルカシュ家

 コーマの屋敷のリビングは八人掛けソファだが、セバスチャンも入れて十一名いるので、明良、樹希、セバスチャンの三人は、普段は窓から庭を眺めるために、窓の近くに置いてある椅子を持って来る。

「では、始めるぞ」

「始める前に一つ聞いていいですか?」

「なんだ、明良」

「先生と杏里紗が雷に対して行ったのは、もしかして……」

「そうだ手当だ」

「手当?」

 樹希が要領を得ないように首を傾ける。

「手当と言っても、傷を治すために一般的に使われる手当ではない。文字通り手を当てて思念を送る技だ」

「そうするとどうなるの?」

 樹希は興味津々の顔で訊いてくる。

「送り込んだ思念が幹部の細胞に作用して、新陳代謝が急促進され傷が治る」

「それって、内臓だけじゃなくて、切り傷とかにも効くの?」

「そっちの方が簡単かな。杏里紗、ちょっと来てくれ」


 杏里紗が立ち上がって、正臣の元に近づく。

「智成の左の頬の青痣に成ってる部分に、さっきの要領で思念を送ってみてくれ」

 杏里紗は頷いて、智成に近づき、左頬に手を当てた。

「うほっ」

 智成は美少女の手の感触に、変な声が上がる。

 それでも徐々に真剣な顔に成り、最後は目を閉じた。

 杏里紗が手を離すと、智成の頬の痣は綺麗に消えていた。

「頬の痛みも取れたか?」

「もう、完璧だ。全然痛くない」

 智成が不思議そうに頬を撫ぜる。


「武田の技か」

 礼美が腕を組んで正臣に尋ねる。

「そうだな。綜馬の爺っちゃまの不死身の力も原理は同じだ」

「犀の力ではないんですか?」

 綜馬と戦った明良だが、気づかなかったとばかりに声をあげる。

「大半は犀の力だが、九家の強力な攻撃の前には多少の貰い傷ができる。それが積み重なると、犀の力をもってしてもいつかは倒れる。その死角を消したのが、綜馬が編み出した思念による自己回復術だ。一定箇所の新陳代謝力を急速に上げて回復させる。杏里紗の手当ても原理的には一緒だ」

「ではなぜ、僕の攻撃は効いたのですか?」

「あのタイミングは犀の力だけじゃなく、思念も弱まる奇跡的なタイミングだったからだ」

 綜馬を倒せたのは、偶然だったと言われて、明良の顔が曇る。

「でも杏里紗凄いね。そんな技が使えるなんて。私もできるかなぁ」

「樹希には無理だ。お前は自分の技に磨きをかけろ」

 樹希がシュンと成る。


「いいじゃないですか。これで杏里紗が新たな戦力になることが分かったんだから」

 コーマが笑いながら樹希を慰める。

「じゃあ、始めよう。まずアンデッドを送り込んだ黒幕だが、グリムスター家じゃないかと思っている」

「グリムスター!」

 明良は思わず大声を上げてしまった。

「グリムスター家って何?」

 樹希が困惑した表情で訊いた。

「アメリカに本社がある裏財閥だよ。元々英国の巨大な銀行コンツェルンだったんだけど、二度の世界大戦で力が無くなって解体されたんだ。だけど、アメリカに渡って独立戦争のときにアメリカ側についた連中の子孫は、今でも生き残って、ユダヤ勢力と並んでウォール街で力を持っている」

「要するにアメリカの凄いお金持ちね」

  超要約的に樹希は納得した。

「でもどうしてグリムスター家が九家を狙うんですか?」

 明良はグリムスターが黒幕だとは、まだ納得できないようだ。

「それを調べるのはお前の役割だろ」

「はい」


「今までに判明している事実は以下の通りだ。まず零士が掴んだ情報」

「俺の息が掛かっている現職大臣は法務大臣秋永総一郎と、防衛大臣首藤忠勝の二人だ。皆も知ってる通り、グリーンスパークの一件で、秋永の首相就任は目前に迫っている。ところが、秋永が命を狙われているという情報が闇筋より俺の耳に入った」

「今川雅ではなく別の者という意味ですか?」

「明良、分かるだろう。狙っているのが皇援九家の誰かなら、闇筋が情報を掴むことは日本においてはできん」

「零士の言う通りだ。日本においては、我が少弐の行く手を阻める者は皇援九家の者しかいない」

「俺は里見の持つ全情報網を使って刺客を調べてみた。そうすると、意外な人物が浮かび上がった。ルーマニアの伝説的殺し屋ファルカシュだ。もし奴が秋永への刺客なら里見だけでは手に負えん。それで正臣に相談した」

 零士は少し悔しそうだった。

「ファルカシュってそんなに凄いんですか?」

「まあ、東ヨーロッパの素目羅義家みたいなもんだ。通称はアンデッド」

 何人かのため息が聞こえる。


「質問はそのくらいにして次の事実だ。これはコーマから話してくれ」

「いいですよ。米国北条ファンドの市場調査部隊からの報告で、変な金の流れを見つけました。ニューヨーク・インターナショナル・バンクからフランクフルトのアシュリー・トラストに二百万ドルの送金がありました。アシュリー・トラストというのはファルカシュ家の財産管理会社なんです」

「その送金は見落としてました」

「明良は、素目羅義の襲撃に備えなければならなかったので、見逃しても無理はないと思います。実際、私のサキヨミにもヒットしていません。ファルカシュには少し縁があったので、気づいただけですから」

「それは暗殺の依頼料と考えればいいのか?」

 智成がこともなげに訊く。

「間違いないだろう」

 零士が断定した。


「最後は俺から話そう。零士の依頼を受けて、ファルカシュに対抗するために、俺は秋永の傍に張り付いた。同じ時期に北畠もこの屋敷の襲撃のために上京していた。関西が手薄に成った状態で、儀介殿が襲われた」

「もしかして、その刺客がファルカシュだと思っていますか?」

「まだ事実は分からない。だが、この屋敷の襲撃に思念を集中していたとはいえ、儀介殿を抵抗もさせず襲うことができる者は、世界を探してもそう多くはない」

 正臣の顔を見る限りファルカシュだと確信しているのだろうが、言葉では断定しなかった。


「まとめるとグリムスターの狙いは分からないが、ファルカシュのターゲットは皇援九家と考えて間違いなさそうですね」

「私も明良がいう通りだと思うけど、今川雅の動向が分からない以上、秋永大臣を護衛対象から外すのは早くない」

「樹希の言う通りだ。だから俺は実川に里見家の優秀な戦闘員をつけて、秋永の近くに送っている」

「実川さんって誰?」

「里見家の優秀な執事よ。セバスチャンみたいな感じだから、樹希は心配しないでも大丈夫よ」

「へー、杏里紗いつの間にそんなに里見の家に詳しくなったの?」

「あなたが北条の家に詳しいのと一緒」


「正臣殿、状況は理解した。それでこれから我らはどう動く?」

「とりあえず、地方の各家にはファルカシュへの注意を連絡した。各家の当主と執事が固めればそう簡単に敗れることはないだろう。問題は里見と北条だ。里見は各大臣の警護で主要な戦闘員が屋敷からほぼ出払っている。北条は――」

 正臣はお腹の大きい綾香を見つめる。

「そう、私以外にもターゲットが存在する。だから私は綾香から絶対に離れることはできない」

 コーマの表情に珍しく悲壮感が現れていた。

「皇援九家にとって、神樹同士の子供の出産は、何よりも優先する。だから、当面この屋敷を固めることにした。俺と零士はグリムスターの狙いが分かるまで、少弐と共にこの屋敷に居候する。里見にいるよりも安全なはずだ。同じように八雲と雷もこの屋敷に移ってくれ」

「承知した。上杉の屋敷は、親父殿と弥太郎がいれば、問題あるまい」

 八雲は快く同意した。

「樹希と杏里紗にも、申し訳ないが家族と別れてしばらくここで暮らしてくれ。神樹であるお前たちが敵のターゲットに成り得る可能性が捨てきれない。それぞれの両親には俺から話して、了解を得ている」

 樹希と杏里紗は嬉しそうに頷いた。


「智成、礼美、申し訳ないが、この屋敷にいる間、八雲と雷を鍛えてやってくれないか。他家の者に力を貸すのは不本意だと思うが、非常事態なので承知して欲しい」

「少弐の家はそんな細かいことにはこだわらん」

 智成は少し上気している。

「智成、八雲が可愛いからと言って、鼻の下を伸ばさないでよ。八雲、あなたのイカヅチは強力だけど、それに頼りすぎてる。イカヅチを効果的なタイミングで打てるように、もっと体術を鍛えた方がいいわ。雷もそうよ。あなたはスピードはあるんだから、後は一発の重みよね。明日から二人とも私が鍛えてあげる」

「おい、私が頼まれたんだぞ」

「智成は教え方下手くそでしょう。擬態語が多くて何言ってるか分からないし。私が実演するとき、受けをやってくれればいいから」

 周りがどっと笑った。

 強敵を迎えるにしては、悲壮感が欠片もない、いいチームだと明良は思った。

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