第19話 意地
「クク…… やはり正臣は面白いですね。まさか明良たちの先生になるとは。行動の読めなさでは九家一ですね」
コーマは明良から正臣の話を聞いて笑いが止まらないようだ。
「コーマは正臣さんが大好きなんですね。九家会議の後も正臣さんの話しばかりしている」
綾香が久しぶりに明るく笑うコーマを見て、嬉しそうにしていた。
綾香のお腹は日増しに大きくなっていく。もう出産が近いと思うと、そちらも明良にとっては大きな心配ごとだ。
「正臣と零士は私の大学時代の同級生なんですよ。これに北畠顕恵も交えて四人でよく一緒にいました」
初耳だった。四人がそんな古くからの知り合いだとは思いもしなかった。
「まだ、全員当主に成る前ですから、家に縛られることなく、自由な立場でのびのびと活動していました」
コーマはよほど楽しい日々だったのか、懐かしそうな顔で目を閉じた。
「大学卒業が間近に迫った頃、私は正臣と顕恵が愛し合っていることに気づきました。零士はもっと早く気づいていたようですが、私はどうもその辺の機微に疎いですね。しかしお互いに九家の当主を継がなければならない立場、卒業と同時に想いを殺して家に帰っていきました」
「それは辛いな。種子を持つ者同士が愛し合って、別れなければならないとは、正臣殿と顕恵殿の心は凍る思いだったろう」
智成が礼美の顔を見ながら、自分のことのように苦しそうな顔をした。
「正臣はいろいろ考えることがあったのか、それから五年間海外に旅に出て帰って来なかった。たまに来る手紙には、世界は既に一つにつながっている。島の中に閉じこもっていては、今に裏から侵略されると書いてあった」
「その頃から海外からの侵攻は予期されていたんですね」
明良は正臣の先見性の高さに感心した。
「帰国して楠木家の当主に成った正臣は、楠木家の家業の大半を弟の
明良は中学時代の担任だった松宮を思い出した。樹希へのいじめを、見て見ぬふりをしていた情けない教師だが、同情すべきことに彼は一人だった。普通の人間なら一人で戦うことは難しい。もし松宮に仲間がいて、その仲間が正臣のように力強かったら、もしかしたら彼も自分の意志に忠実であれたかもしれない。
その意味でも正臣の業績は効果的だと思えた。
セバスチャンが現れて、八雲と雷の来訪を告げた。
二人はリビングに入るなり、礼美と二人で座っている智成を睨みつけた。
「まあ、今日は不戦協定ということでいきましょう。まだ先生も来てないし」
樹希が慌てて二人を宥めて座らせる。
これから協力してことに当たる上で、この関係は厄介だなと明良は思った。
八雲と雷には協力して欲しいが、智成に対する反発が治まらない以上、分かれて戦うしかない。それを解決する手段が、今の明良には思いつかなかった。
コーマはどう考えてるのか知りたくて、顔色を窺う。意に反してコーマはニコニコとこの対立を眩しそうに眺めていた。
セバスチャンが再び現れた。
「楠木様が零士様、杏里紗様とご到着です」
――零士も呼ばれていたのか。
先ほどのコーマの話しからすれば、零士が呼ばれて不思議はないが、多忙極まる中でよく時間を作らせたものだと、正臣の力に改めて感心する。
「コーマ、久しぶりだな。相変わらず家の中でも車椅子生活か。」
正臣が旧友との再会に笑顔で応えた。入って来てすぐに、コーマの隣の綾香に気づく。
「おお、彼女が噂の綾香さんか。初めまして、コーマの悪友の楠木正臣です」
「綾香です。先月北条の家に籍を入れました」
「分からないものだな。一番色恋から遠かったコーマが、一番最初に結婚するとは。ところでそのお腹、予定日はいつですか?」
綾香は少し顔を赤らめながら、「七月七日です」と告げた。
「七夕か、なかなかすごい日だな」
正臣は何事か考えることがあるのか、しばし口を閉ざした。
「正臣、早く始めてくれ」
コーマは何かを危惧したのか、正臣の思考を中断させるように、説明を急かした。
「ああ、悪い。それじゃあ始めよう。みんな座ってくれ」
「正臣殿、話を始める前に少しだけ私に時間をくれないか」
雷がいきなり立ち上がって、正臣に要求した。
「どうした、雷。俺の話の前に智成とやり合うのか?」
明良はハッとして、正臣の顔を見た。その顔はコーマと同じく、困った風ではなくむしろ楽しんでいる顔だった。
「その通りです。戦いの
「私は自分で決着をつけたい」
「お願いでございます。今回だけは、雷にも男として意地を通させてください」
雷は真剣だった。普段柔和で線のように細い目が、鋭い殺気を発していた。
「よし、これは男の勝負だ。八雲は結果がどうなっても受け入れること。お前のためにこんなに真剣になる奴がいるんだ。それを受け入れることは、次期当主としてのお前の器を試されていると考えろ」
八雲ははっとして、すぐに真剣な顔で深く頷いた。
「智成、お前も四の五を言わずにこの勝負を受けろ」
「元よりそのつもりだ」
智成はやる気満々で立ち上がった。
明良は戸惑った。この二人の力がまともにぶつかったら、勝敗は別にして命に係わる大怪我につながりかねない。それなのに、コーマも正臣も、止めるどころか楽しそうに見ている。
「がんばれ、雷。今回は智成をぶっ飛ばしても許す」
「何を言ってるんだよ、樹希」
樹希までその気になっている。誰か止める人はいないのかと思って、周囲を見渡す。
零士もコーマたちと同じようにニヤニヤしながら成り行きを見ている。杏里紗に至っては、零士の腕にすがりながらうっとりして雷を見ている。
――礼美、礼美は止めないのか!
礼美は智成に頑張れよとはっぱをかけている。
頼みの綱の綾香も、二人を見ながら、「どっちも頑張れ」と励ましている。
自分だけ、頭がおかしくなったのかと思った。
「さあ、庭に出よう」
正臣が立ち上がって先導し、その後を雷と智成が続く。更にその後をギャラリーとして零士たちが続く。コーマと綾香はリビングの窓から、観戦するようだ。
庭に出て、二人が対峙すると、間に正臣が入る。
「いいか、この決闘は一つだけルールを設ける。九家の力は私闘に使うものではない。だから思念と特殊能力の使用は封じさせてもらう。二人ともいいな」
二人が承諾すると、特殊結界が二人を包む。おそらく特殊能力と思念干渉を無効化する結界なのだろう。
「これでお前たちは、自分の拳で戦うしかない。その結果死のうが手ひどい怪我を負おうが私は関与しない。自分たちの気のすむまで戦うがいい」
正臣が後ろに下がると、二人はシャツを脱ぎ捨てて上半身裸になる。智成は小柄な身体だが、肩から腹にかけて見事な逆三角形を形成している。特に背中のヒットマッスルは、見事なこぶを描いていた。
一方、雷は長身で服の上からはきゃしゃに見えるぐらい細い体躯だが、樹希の息吹に似た呼吸を行うと、腕や肩・首の周りにしなやかそうな筋肉が浮き上がって来た。
肉弾戦の準備が整い、二人は静かに間合いを詰める。
先に仕掛けたのは雷だった。ハイスピードの正拳突きが、嵐のように繰り出される。智成は両手の平で突き出される拳を、左右に払って勢いを殺すして捌き続ける。攻防共に瞬きも許さぬ連続技が続く。先に調和を崩したのもやはり雷だった。
手の平で払われた右拳を胸まで引いて、渾身の左ハイキックが智成の後頭部を襲う。死角から突如現れる雷の左足甲がヒットする寸前に、智成の身体が沈む。雷は空を切った左足を軸足にして、今度は後ろ蹴りを放つ。智成はジャンプしてこれを交わし、そのまま後方に着地する。
雷の先制攻撃がようやく止まった。
「速いな」
智成は肘を曲げて手の平を顔の前に出し、やや腰を落として、両目を閉じた。
肉眼で捉えきれない雷の高速拳に対して、目で捉えることをやめたのだ。
「小癪な」
呼吸を整え終わり、再び雷が間合いを詰める。
雷の攻撃が開始された瞬間、雷の身体が左後方に吹っ飛んだ。
明良は一瞬何が起こったか理解できず、目で捉えた映像をもう一度頭の中で組み立てた。
智成は、雷の右正拳を今度は払わずに、右の掌底で叩き落す。バランスの崩れ無防備になった雷の右テンプルに、智成の左掌底が入って智成は自ら吹っ飛んだのだ。飛ばなければKOされていた。
雷は口の中を切ったようで、起き上がると同時に口の中の血を吐きだす。
智成は再び目を瞑って構えなおす。雷の攻撃は完全に見切られ、うかつには踏み込めなくなった。
雷の動きが止まったので、智成がゆっくりと間合いを詰めてくる。じわりじわりと近づいてくる智成に対し、雷は拳を固め左拳の後ろに右拳を配し、神速の構えを取る。
周囲の物音が消え、二人の気の高まりに、見ている者は呼吸をすることすら忘れる。
二人の間合いが一メートルを切った。次の一歩で二人は互いの攻撃圏内に入る。
雷の姿が消えた。智成の左に回り込み、神速の左拳が智成の右側頭部に放たれる。智成は身を屈めて髪の毛一筋でこれを交わすと、今度は雷の左膝が智成の背面を襲う。
智成が神技ともいえるステップで、身体を左にスライドしてこれを交わし、戻りの動作で右の掌底が雷の顔面を襲う。雷は額で掌底を受け止め左の正拳突きを放つ。智成は掌底を素早く引き、右拳を雷の肝臓に打ち込んだ。
雷の正拳は智成の左頬にヒットし、智成の右拳は雷の肝臓にめり込んだ。必殺の拳は相打ちと成った。見ている者全員が息を飲んで決着を見守る。
雷の身体がゆっくりと揺れる。崩れ落ちる瞬間に正臣が抱きかかえた。
智成が左頬を抑えて頭を垂れる。頬骨にひびが入ったかもしれない。
明良は智成がわざと、雷の攻撃を受けたことに気づいた。雷はまだ前回礼美に打たれた傷が治っていなかったのだ。それは一撃目でテンプルを打ったときに気づいたのだろう。
傷が癒えずとも八雲のために立った、雷の男気が智成の心を動かし、雷の一撃をあえて受け、止めは顔面でなく腹を狙ったのだった。
礼美も気づいたらしく、「お疲れ」と機嫌よく智成の背中を軽く叩いた。
雷は意識は失ってはいなかったが、打たれた痛みで動くことができなかった。
正臣は雷の身体をゆっくりと仰向けにして、腹の傷を確かめる。雷の腹は赤黒く内出血していた。
「杏里紗、来てくれ」
杏里紗はなぜ呼ばれたのか、よく分からず戸惑いながら走り寄る。
「俺が今当てている手の上に、君の手を重ねてくれ」
言われたままに両手を当てる。
「いいか、心を静かにして、ゆっくりと深呼吸するんだ」
杏里紗は雑念を払い、深呼吸を始める。
「いいか、傷ついた内臓を感じたら、意識を手に集中しろ」
視線を手に集中すると、重ねた手の先にある内臓の傷を感じた。それを押し包むように意識を集中する。手の平が熱くなる。
「よし、もういいぞ」
雷がゆっくりと起き上がった。
「さっきまでの痛みが消えた」
「もう大丈夫だ。さあ、みんなでアンデッド対策を始めよう」
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