第9話 皇援九家

 零士がやって来た。かなり憔悴している。コーマとは初対面のようで、先ほどまでの自信満々な不敵さは薄れていた。

 まだ眠っている杏里紗を除き、全員がリビングに集合した。マホガニーで作られたアンティークテーブルを囲むように、ウィリアムモリスの生地で作ったソファが並ぶ。綾香が座ったソファの隣には、コーマが車椅子で並び、樹希と明良は三人掛けソファに二人で座る。その対面には零士が座った。執事のセバスチャンは立ったままだったが、コーマから座るように命じられると、綾香の対面の席に着いた。

「杏里紗さんに憑りついていた残留思念は払っておきました」

「申し訳ない」

「失態を犯しましたね」

 コーマが遠慮なく零士を責めた。

「ああ、俺のフォロー不足だ」

「そちらもですが、中学生の杏里紗さんと結ばれてしまったことが、あなたの犯した一番の過ちです」

「それについては一言もない。漸く巡り合った種子に我慢ができなかった」

「いずれにしても、あなたが守っていくしかありません」

 コーマは嘆息をついた。

 零士は唇を噛みしめて、自分に対する怒りを堪えている。

 膠着したムードが漂う。


「すいません。私も理解したいんです。私にも分かるように話してください」

 樹希の必死の表情に全員がハッとした。

 樹希は、明良はともかくとして、普通の中学生の自分がこの場にいるのは、他の人にとっては邪魔であることは分かっていた。本来ならここは黙って聞いているのが筋であろう。

 だが、今日は生まれて初めて殺人を見た。しかも犯人は同級生の杏里紗だ。

 理解できないまま家に帰れば、言い知れぬ不安と恐怖に憑りつかれ、気が狂ってしまうかもしれない。だからみんなの迷惑に成ることは承知で、説明を求めた。

「皆さん、彼女を巻き込んでしまった原因は、僕にあります。申し訳ないですが、僕が彼女に全容を説明することを許してください」

 明良の申し出に、コーマと零士は承諾の印として頷き、綾香は飛び切りの笑顔を明良に向けた。セバスチャンだけ無反応だ。


「裏財閥の概要はだいたい分かったよね」

 明良のいつになく真剣な眼差しに、樹希もまじめな顔で頷いた。

「裏財閥はそれぞれできた時代は違うものの、土地に根差した産業の調整役のような立場から発展していった」

「そんなの教科書には載ってない」

「それはそうさ、だから裏財閥なんだ。例えば静岡の三刀屋家なんかは、その漁業界に対する影響力は日本全国に及ぶ。例えば政治家に対する漁業界の意見集約なんかは、三刀屋家の力無しではできない世界なんだ」


「いったい裏財閥っていくつあるの?」

「産業別に県レベルまで含めると百は下らないと思う。でも三刀屋家のような大きな力がある裏財閥も、北条家や里見家とは違う」


「何が違うの?」

「さっきコーマが説明したように、三刀屋家は素目羅義家から力を分け与えられてない。つまり九家には属してないんだ」


「ねぇ、ずっと出てきてる素目羅義家っていったい何なの? そいつらが杏里紗にあんなことをさせたんでしょう?」

「素目羅義は厳密に言うと裏財閥じゃない。元々は皇室の侍従だったが、平安時代の後期に武家の力が強まって平氏が権力を握ったとき、危険を感じた後白河法皇の意を受けて、影ながら天皇家を守るために野に下ったんだ」

「野に下って何をしたの?」

「皇室には神武帝以来、人心を纏める不思議な力があって、これを我々は思念干渉と呼ぶ。この力が健在な限り、武力が無くても民意は皇室に集まり、権力者も容易に手が出せない、いや権力者さえも心の中では従っていた」

「じゃあ、何で後白河法皇は危険を感じたの?」

「その力がどんどん弱まってしまって、力のない帝さえ現れたんだ」

「どうして?」

「神武帝以来千五百年もの間、皇室は近親婚を繰り返した。その結果として失ってしまったんだ。思念干渉を行える者は神樹しんじゅと呼ばれるんだけど、神樹の脳内には種子たねと呼ばれる不思議な神経細胞があって、神樹が種子を持つ子を得るには、同じように種子を持つ異性と結ばれた方が確立が高くなる。皇室の結婚が政治の道具と成っていく過程で、種子を持つ子が生まれる確率がどんどん下がっていった」

「ふーん、種子を持っていたら必ず思念干渉は使えるの?」

「それは違う。その血筋に対して呪術的な儀式が必要で、それは皇室だけが持つ力だったんだ。それを後白河法皇は素目羅義家に施した」


 いったん樹希の質問は途絶えた。今の現実離れした膨大な情報を必死で頭の中で整理している。明良も察して黙って見ていた。

「じゃあ、素目羅義家との関係というのは、今度は素目羅義家から北条家や里見家が、その呪術的な儀式を施されたの」

「すごい! 柔軟で正確な理解力ですね」

 コーマが感心したように呟いた。

「その通りだよ。素目羅義家は歴史上の転換点で、しばしばこの力を使える家を増やしている。まずは建武の親政が崩壊し、正統王朝である南朝が滅亡の危機を迎えたとき、奈良で天皇を守った北畠家と、大阪で勢力を持っていた楠家の末裔にこの力を授けた。次に明治維新のときに、福岡の少弐家、静岡の今川家、山梨の武田家、新潟の上杉家の末裔を仲間に加えた。最後は、太平洋戦争が終わった後、北条家と里見家を加えて、合計九家と成り、今はこれを皇援九家と呼んでるんだ」


「全部で九家か。じゃあどうして同じ皇援九家で争うわけ?」

「外国人の増加だ。皇室に対する敬意のない外国人には、思念干渉は効かない。だから日本に在住する外国人が増えたり、日本の政治経済に外国が影響力を持つのは困るんだ」

「どうして外国人には効果ないの? 日本人だって最近の若者は、私も含めて天皇を意識してないわよ」

「それは皇室二千六百年の歴史の中で培われた特別なものだから。日本人であれば無意識の内に、脳内で思考力のベースとして備わっている。日本人に特有の謙譲とか恥なんて思考は、教わらないでも普遍的に持つだろう。それと一緒だ」


「そういうものなのね。であればどうして同じ九家が争うの?」

「現状に対する取り組みの違いだ。里見は政治や警察力、防衛力といった部分を強化して、外国人と積極的に交渉しようとしている。つまりグローバル化路線だ。我々北条もグローバル金融の世界に飛び込んでいる。一方で素目羅義は究極的には鎖国を目指している」

「鎖国! 私たち海外に行けなくなっちゃうの?」

「まあ、江戸時代ほどじゃないにしても、それに近いだろう。少なくとも外国人の帰化や永住は絶対認めない」

「それ絶対おかしい!」

 樹希は誰にともなく憤慨してた。

「まあ、そういうけど、ちょっと前までテクノロジーの世界では、ガラパゴスなんて考え方がまかり通っていたんだ」

「そうか。でもどうしてその争いに杏里紗や私が巻き込まれるわけ?」


「俺のせいだ」

 零士がポツンと呟いた。

「どうして零士さんは悪くないじゃない」

「俺は禁を犯してしまった」

 零士は悲壮な顔で項垂れた。

「禁って何?」

「種子を持つ者は同じ種子を持つ異性に強く惹かれる。コーマにとってそれは綾香さんであり、杏里紗は零士さんにとってそういう対象だったんだ」

「杏里紗も種子を持ってるの?」

「持ってる。特に九家の当主は種子を持つ異性と結ばれれば、守護獣の魂を宿せる子供を得ることができ、その家の力は何倍にも増幅される。ただ、パートナーはその子供を産むにあたって、大きなリスクにさらされるから、その決心がつく年齢まではパートナーに触れてはならないことに成っている。昔と違って今はその年齢が高くなっていて、一応二二才という暗黙のラインがある。さらに結ばれるときには守護獣立会いの下で、リスクについてきちんと説明しなければならない。禁を犯すとは、このプロセスを守らずにパートナーに触れてしまうということだ」


「ちょっと待って、守護獣って何? 大きなリスクって何? 杏里紗は私と同じ中学生だよ」

「樹希さん、落ちついてください。明良はあなたの求めに応じて、説明しただけです。ここから私が説明します」

 コーマに諭されて、樹希は深呼吸した。息吹を行ったのだ。興奮が少しずつ治まり、リラックスしてきた。

「取り乱して申し訳ありません。説明をお願いします」

 樹希の澄んだ瞳を見て、コーマは「ホー」と感嘆し、満足そうな目で明良の顔を見た。


「では説明を始めます。九家の当主は、それぞれ一つずつ守護獣を持ちます。それは元々皇室のもので、素目羅義に渡され、更に八家に分配されました。当主は守護獣と思念を持って意思疎通ができます。そして守護獣が持つ特別な力が分け与えられます。その力はパートナーや当主に極近しい者にも伝播してゆきます」

「北条家の守護獣って何なんですか? ここにいるんですか?」

「ツノならもうそこにいますよ」

 コーマが後ろを指さした。その先には大きな窓があり、窓の先にはテラスが設けられていた。そのテラスを覆う格子の柵の上に大きな鴉がとまっていた。


 その鴉は大きな目でじっと樹希を見つめていた。樹希は鴉を見ながら、あることに気づいて思わず声をあげた。

「足が三本ある!」

「気づきましたか。ツノは八咫烏なんです。今日は樹希に挨拶するために、木から下りてきたようです」

 ツノは一声「カア」と啼くと、飛び立っていった。

「ツノもあなたが気に入ったようですね」

 コーマが再び微笑むので、樹希も思わず嬉しくなった。

 顔が緩んでいることに気づき、ふと我に返る。

 こんな非日常な世界にいて馴染んでる場合かと、自分を戒めた。


「さて、次はリスクの話ですが、明良、私が続けて話してもいいですか?」

「いえ、僕に話させてください」

 明良は今までにない覚悟を決めた表情に成った。

「ここでいうリスクとは死のことを言っている。パートナーに成った女性は、当主の子供を産むときに、次期当主に相応しい資質を宿すために、相当なエネルギーを消費する。それは大変な身体への負担と成って、高い確率で命を落としてしまうんだ」

「死んでしまうの?」

「うん、コーマのお母さんもコーマを産んだ日に亡くなった」


「綾香さんはそのことを承知で婚約したんですか?」

 樹希は急に綾香のことが心配に成ったが、当の綾香は全く動じず、凛とした表情のままで話し始めた。

「もちろんです。コーマからちゃんと聞いています。私はこの宿命に立ち向かう自信があります。でももう少しだけ、コーマとの幸せな時間を過ごすことにしていますけどね」

 綾香の揺るがぬ決意を聞いて、樹希は圧倒された。


 圧倒されながらも、杏里紗の死が思い浮かび、視線を零士に向けた。

「杏里紗にはもう話したんですか?」

「いや、まだ話せてない」

 零士は再び肩を落とした。


「零士さん、あなたは早急に彼女に、このことを告げなければなりません。あなたがやろうとしていることを、私は凡そ把握しています。我々にそれへの協力を依頼したいことも分かっています。協力したいと考えていますが、パートナー問題で挫けるようでは、あなた自身この先、この大事業を成し遂げることは難しいでしょう。とにかく、彼女はまだ中学生なのに境界を越えてしまった。今度こそきちんとケアしてください」

 コーマの注文に零士が答えかけたとき、突然リビングのドアが開いた。そこには寝ているはずの杏里紗が立っていた。

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