第8話 コーマの館
「そろそろ着くようだ。話の続きは着いてからにしよう」
車は都内では珍しい大きな敷地の屋敷の前で停車した。塀の内側から高木が何本も顔を覗かせている。
電動の門が開いて、車が敷地内に入った。その中には洋風建築の大邸宅が立っていた。冬枯れしている芝生の先には花壇があった。花壇の中には赤、白、ピンクの椿が咲き乱れていた。
「すごい、まるで日本じゃないみたい」
樹希は思わず呟いてしまった。
杏里紗が眠っているので、車は玄関の車寄せにつけられた。
「とりあえず空き部屋のベッドまで運んでくれ」
明良のリクエストに応えて、セバスチャンが杏里紗を抱き上げる。
玄関のドアが開いて、中からとんでもない美人が顔を出した。
美佐も美しかったが、今現れた女性の美しさは、女としてのレベルが違うとすぐに分かった。美しさの中に知性がある。
「綾香さん、突然で申し訳ない。今ここに立っているのが緒川樹希さん、そしてセバスチャンが抱えているのが及川杏里紗さん、二人とも僕の同級生です」
「挨拶はいいから、彼女寝てるんじゃなくて気絶してるんでしょう。早くベッドに運びましょう」
「悪いけど綾香さん、セバスチャンについて部屋まで行ってくれる」
「もちろんOKよ」
綾香が先導して、セバスチャンが杏里紗を抱えてついて行く。
「さあ、僕たちはお茶でも飲もうか」
明良がリビング迄案内してくれた。リビングだけで、樹希の家の全ての部屋を合わせたよりも広そうだった。
明良が自ら紅茶を入れてくれた。熟したベリーの甘い香りが鼻先を擽る。一口飲むとアニスとキャラメルの風味が口の中に広がった。
「美味しい。これなんて言う紅茶」
「TWGティーの一八七三番。疲れているからこれがいいかなと思って」
「ふーん、知らなかった。でもすごくいい」
紅茶の美味さもそうだが、明良の気遣いが嬉しかった。
「ねぇ、さっきの人はお姉さん?」
「ううん、コーマの婚約者」
「えっ、婚約者が一緒に住んでいるの?」
「ちょっと訳有りでね」
「フーン、明良のお父さんとお母さんは?」
「僕も訳ありで、家を離れてここの厄介になっている」
「そうなの、みんないろいろあるんだね。じゃあ、ここはコーマって人の家なの?」
「そうだよ。ここにコーマと綾香さん、セバスチャンと僕の四人で暮らしている」
「こんな広い家に四人で暮らすなんて贅沢だね」
「そうかもしれないね」
話している明良の顔を見ていて、睫毛が長いことに気づき、どうしてこんなに少女漫画風の人ばかり現れるんだろうと、自分の容姿と比較して落ち込んだ。
あの綾香さんは別格だけど、杏里紗だって引けは取らないし、死んでしまった美佐さんもかなりの美人だ。男にしては明良はそうだし、零士さんもワイルドだけどかなりいけてる。これでコーマって言う人も美形だったら、私は完全に外れ者だわと、心の中で毒づく。
「そう言えば、杏里紗がナイフを振りかざしたとき、明良の顔は真っ青だったよ。やっぱり明良でもナイフは怖いの?」
劣等感から思わず訊いてしまった。
明良に怒られるかと思ったが、意外な答えが返ってきた。
「樹希が刺されると思った瞬間、殺意がこみ上げたんだ」
「殺意……」
「杏里紗が最初にナイフを振り上げたとき、投げたら杏里紗の首が折れるかもしれないと思って、思わず生ぬるい蹴りを入れてしまった。それで杏里紗は起き上がって樹希を狙った」
思わず樹希もその時のシーンを思い出した。
もう完全に刺されることを覚悟した。
「零士さんが助けてくれて、僕の殺意に気づいて茶化しただろう。あれで正気に戻ったけど、感情に任せてとんでもないことをするところだった」
明良の後悔とは裏腹に、樹希は心が躍るのを抑えられなかった。
こんなときに不謹慎だと思って、必死で話題を変える。
「あの、さっきの話の続きなんだけど、結局杏里紗を操ってた人っているの?」
「ああいるよ。杏里紗の心の中だけの葛藤なら人を殺したりしない」
「それは誰なの?」
明良が難しい顔をしたとき、リビングのドアが開いて、綾香と一緒に車椅子に乗った男が入って来た。樹希が男の顔を見て、圧倒されるような気高さを感じたとき、家の外でカアと鴉の啼き声が聞こえた。
綾香は樹希の正面のソファに座り、その隣にコーマは車椅子を着けた。
「ふふ、ツノも認めたみたいだ。初めまして、この家の当主の北条昂麻です」
「昂麻さん?」
「みんなと同じようにコーマと呼んでください」
「あっ、コーマさん初めまして緒川樹希です」
「リラックスしてください。私の隣にいるのが朱音綾香、私の婚約者です」
「どうも初めまして、綾香と呼んでください」
コーマと綾香が並んで座ると、初めて会った樹希でも似合いのカップルだと思えた。二人とも気品と優しさに溢れている。二人の絆の強さで、この部屋の雰囲気も殺伐としたものから安心できる空間に変わっていた。
「先ほど、明良に尋ねた裏財閥について、私からお話ししましょう」
いよいよ核心に触れる――樹希は緊張して思わずゴクリと唾を飲んだ。
「裏財閥とは日本の古くから続いている家系の者たちが営む、表には出ないビジネス集団のことです。政界、財界など、各界の表のプレイヤーたちが営む事業を、ビジネスで必要なヒト、モノ、カネで支援する集団だと思ってください」
そんな集団が日本に存在するなど考えたこともなかった。インターネットも含め、こんなに発達した高度情報化社会の日本で、まったく露出しないことが不思議だった。
「不思議そうな顔をしていますね。その気持ちは分かります。ただ、こんな例は社会にはたくさんある。例えばスパイです。日本には各国からたくさんのスパイが紛れ込んで、組織的に情報活動を行っています。しかし、日本国民はその実態を全く知らない。事実とは一枚の布の下で、うごめいてるものだと思ってください」
「裏財閥って、どのくらい昔からあるんですか?」
「裏財閥は大小合わせると日本の中に百以上の家があります。その中で特に大きい家が皇援九家と呼ばれ、京都の素目羅義家から力を分け与えられました。素目羅義家は平安時代に興った家なので、その歴史はもう千年を超えます」
千年なんて途方もない長い時間に、樹希は現実感を持つことができなかった。想像するキャパを超えてしまっているのだ。
「あのもう少し聞いていいですか?」
「どうぞ」
「杏里紗を操ってたのは誰で、何のために、どうやって操ったのか教えてください」
一番聞きたいことであったし、聞くのが怖いことでもあった。でもこれを聞かないとずっと心に
「詳しくは零士さんが来てから、もう一度聞いた方がいいけど、一応今推測できることは話しますね」
「お願いします」
「杏里紗さんを操っていたのは、京都の素目羅義家かその意を受けた家だと思う。人を殺すほど強い思念を残せるのは、皇援九家の筆頭である素目羅義家を除くと、奈良の北畠家、大阪の楠家が思い当たるけど、北畠と楠は単独では動かないはずです」
「ふーん、素目羅義家ってのが親玉なのね。それで目的と方法は?」
樹希は分かったような、分からないような思いを飲み込んで、話を促した。
「何のためかを話す前にやり方を説明しますね。人の脳は神経細胞の塊で、神経細胞の中は電気が流れていて、その動きで思考したり身体に指令を与えたりすることは知っていますか?」
聞いたこともない話だったので、樹希は正直に首を横に振った。
「この電気信号は実は干渉します。その干渉の大きさによって人は意味もなく他人に同意したり、反発したりする。他人に与える影響力の強さは、この電気信号の干渉が強い人なんだ。この力はいろいろな場面で使われる。例えばリーダーシップを発揮するとき、難しい交渉をするときなどです。我々はこれを『思念の伝達』と呼ぶ。武術の世界ではこの力を『気』と呼んで、相手を威圧したり、実際に身体にダメージを与えるのに使ったりする。漫画なんかだとオーラとか呼ばれてるよね」
何となく分かる気がした。喜びや悲しみが大きい状態の人に会うと、なんとなく言葉にしなくても、考えが伝わることがある。これも電気信号の干渉なのかもしれない。
「でも杏里紗が襲ってきたとき、周りに思念を伝えている人はいなかったわ」
「この思念を操る者の中には、残留思念と言って、その人が近くに居なくなっても思念を任意の対象に残せる者がいる。人ではなく無機質の物にも残すことができて、金属などは特に残しやすい」
「残留思念ってサイコメトラーとかが、他の人の記憶を物から読み取ったりするやつですか?」
杏里紗は漫画やテレビで知った単語を思い出した。
「そうだね。近いと思う。使い方としては読み取るのではなく、残すのだけどね。我々は意図的に思念を操る人間を思念師と呼ぶ。思念師のレベルはより長く強い思念を操れることで決まり、現在最も強いレベルの思念師が揃っているのが、京都の素目羅義家なんだ」
話を聞きながら、樹希は自分に対して違和感を感じていた。こんな難しい話がスムーズに頭に入ってくる。しかも一つ一つの単語がしっかりと記憶に植え付けられている。
「あの違ったらごめんなさい。今私にコーマさんの思念を働かせていますか? 何だかいつもより理解力や記憶力が上がっている気がするんです」
コーマは爽やかに笑った。
「鋭いね。その通りだよ。この話を理解するには常識とか邪魔するから、思念を送って素直に受け取れるようにしている。それからこれは保険なんだけど、この話を他の者に伝えようとしたとき、伝達手段は問わず、あなたのやる気がなくなるようにもしている」
「あら、私に伝えるときには、そんなことしなかったじゃない。おかげで私の中の常識を壊すのにずいぶん苦労したわ」
「綾香とは時間をかけてじっくりと関係を築きたいと思ったんだ。悩んだことに対しては申し訳ないと思う」
コーマと綾香が二人で見つめ合っている。愛し合っている思念が樹希にまで伝わってくる。そんな二人の関係が羨ましかった。
ふと、明良を見ると、二人の方を見ないで下を向いていた。その姿を見て樹希の頭に仮説が浮かんだ――明良は綾香さんが好きなんだ。
明良の心の中には綾香さんがいる――そう思うと切なくて悲しくなってきた。
突然、明良がこっちを振り向いた。驚いた顔をしている。もしかしたら樹希の悲しい気持ちが、思念となって伝わったのかもしれない。
「いいなぁ、二人はこれからだね」
明良と樹希がお互いに戸惑う様子を見ながら、コーマが微笑む。綾香も察したのか優しい顔で二人を見る。
カア、庭から再び鴉の声が聞こえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます