第50話 橋下の捨て子と青空の傘

 耳障りな機械音が響く。モーターとセンサー類特有の脳天に響く不快な音。


「ん、なぁあああ!」


 奇声を発しながら少年が起き上がる。


「おお、起きたか」


 ひとまず安心。旋回を繰り返した軍用機から搭載武装の起動音がする。


「あ、ヤバい。逃げるぞ!」


「は?」


 まだ意識を取り戻したばかりの少年の襟首を掴み、遁走する。轟音と土煙。河原の石も、廃棄された実験体達の死体も等しく鉛玉が宙に舞い上げる。


 赤い、雨が降る。場所は開けた河原、姿を隠せそうな物もない。ならばと空いてる手で傘を開く。


「ははははは! これは土砂降りだな?!!」


 走りながら喚く。横には首を掴まれながらも何とか追いつく少年も喚く。


「ぁぁ?! 言ってる場合じゃ無い!!!」


 機関銃掃射に負けない大声と俊足。悲しいことに彼も実験体。人間の子供では考えられない身体能力が発揮されている。とはいえまだ未発達、足をせかす銃弾の雨が容赦無く、疲れを見せる少年に襲い掛かる。逃げた先、河川に接続する人一人入れるほどの排水路への入り口がある。そこに逃げ込む前に少年が追いつかれそう。


「下がれ!」


 軍用機の方へ振り返る。少年を背後に突き飛ばし、庇えるように前へ。傘を差す。


「あっ」


 轟音と弾丸。傘を貫いた、いくつかの弾に左手は吹き飛ばされた。急に走る速度を落としたことで、勢いそのままにヘリもどきは通り過ぎてゆく。


「っく、ぁぁあ」


 身体の左側が熱い。呆然とした少年がこちらを見つめる。足は震え、顔面は蒼白。でもそれでいい。君はそれでいいんだよ。どうか血に慣れてくれるな。


 ヘリもどきの軍用機は旋回に手間取り、今少しの猶予がある。その間にこの子を逃がさねばならない。水路は乱立する建造物と上をコンクリートで舗装されている上空からでは攻撃できないだろう。


「はは、こんなん屁でもねえから……先、逃げな」


 正直、もう身体が動かすのが難しい。出血で遠のく意識は脳核型の末期症状によって保たれている。排水路を指さし、笑ってみせる。少年は自分に背を向け、走り出した。


 ヘリもどきは旋回し、再びこちらに標準を定める。穴だらけの傘を持ち、重たい足を引きずるようにして前に進む。その歩みは遅く、実験体としての力の使用限界はとうに超えている。それでも行かなければ。傘を差し歩く。


 機銃掃射。しかし、彼ら軍隊の目的はあくまで自分の確保。殺害するなら最初から軍用機の搭載武装で蜂の巣にすればよかったのだから。


 傘はすでに穴だらけ、それでも直撃よりダメージは軽減できる。駆け抜ける弾丸は、右ふくらはぎを貫く。それでも歩く。メキメキと右足から骨が軋む音がする。


「威嚇射撃を当ててどうするよ……」


 動け。身体を引きずり歩く。恐らく、軍用機から兵が降下してこないのは兵員がもう軍用機の中にいないか、先程のような一掃を恐れているのか。


「どうでもいい……にげ、なきゃ」


 引きずる足に、次第に感覚が無くなってゆく。まだ皮膚のある部分から汗が腹の傷口に入り、その痛みが薄れた意識を叩き起こす。


 プロペラの音は遠くへ。

 水路は、ゴミ、流木、果ては死体まで溢れてる。死体は腐っているのか黒ずみ、異様な臭いを発している。実験体か、はたまたスラムの住人なのか。水路は水かさ一センチも無く、チョロチョロと濁った水が流れてる。


「ハァ、ハァ、うっ……」


 足がもつれ、倒れる。地面から跳ねた濁った水が顔に掛かる。もう、起き上がるのもダルくて。出来る事なら、このまま寝たい。でも……


「ぁう……ああああ!!!」


 身体を引きずり前に進む。使い物にならない右足。一本しかない腕。脳はまともに機能しているのか怪しい。ズリズリと這って進む様はまるで虫のよう。それでも傘は手放さない。


「うぅ……」


 機能不全の脳が、映像を見せてくる。古い映画の始まりみたいな、色あせた、しかし確かにあった心傷風景。


「明石……」


 そこには夜空みたいな瞳をした少女がいる。彼女が夜に泣いている。ならば自分に出来る事は何だろう。


「泣かないで」


 朦朧とした意識の中で、浮かぶ少女の顔が、泣いているとはどういうことか。彼女の記憶の消去。自分に関わる記憶の消去を博士に頼んだ。だから、もう彼女が泣く心配なんて無いのに、なんでこんな景色を見るんだろう。


「……やだ」


 分かってる。本当は。


「嫌だ」


 この心傷は自分のものだ。


「死にたく、ない」


 浮かぶ明石の泣き姿。走馬灯なら、もう少し良い思い出を見せてくれたっていいだろうに、浮かぶのは彼女の泣き顔と頬の火傷。醜く、惨めったらしく、這い進む。


「もう一度、優の笑顔が……見たい」


 なんでこんなささやかな願いすら叶わないんだ。


「もう……少し、生きたい」


 薄れる意識に、走馬灯が見せる涙は、生きる事への妄執か。


「……」


 眠い。ずっと頭がぼんやりしてる。薄暗い、ジメジメとした場所。そこらに横たわる死体のように、流れる水が少なくて淀み止まってしまったゴミのように、こんなとこで……


「たった一人で死ぬのか」


 這うことを止め、仰向けになる。もう少し、行った先。排水路の天井が空いている。そこから漏れる陽光が水の涸れたコンクリートを照らす。昔はここも川だったのだろう。橋を思わせる構造物の名残が見える。


 重たい瞼を閉じると、浮かび上がるのは地獄のような日々。血に濡れ、狂気にまみれ、悪意だけが確か。そんな、救いようのない日々。


「…………ふざけるなぁぁ!!!!!」


 勢いよく叫びすぎて、辺りに血反吐をまき散らす。まだ、前に進まなければ。


「生まれた事すら、蔑まれ」


 血に淀んだ瞳は前を、微かに見える青空をまっすぐに見据える。


「必死に生きてんのに、嗤われる」


 これは恨みでは無い。ただ、少年から見た世界はいつも狂ってた。それだけのこと。


「こんな世界に、あの子一人残していけるものか」


 軋む身体を無理矢理起こし、傘を杖にして立つ。傷口がまた開き、ドロドロと溢れる。


「誰にも、愛されなかった」


 望まれた命じゃないから。


「自分自身すら、愛せなかった」


 知りもしない感情を、いくら他人から真似ても再現出来るはずも無く。


「でも、君がいた」


 声すら控えめに、夜空のような瞳に魅入られて。左頬の火傷すら君の生きている証に思えて美しい。知らなかった感情を知り、失いたくないと縋る様は母を求める子供にも似て憐れでしかないのだろう。


「だから……だから…………」


 泥に足を取られ、転倒。橋の下に倒れ、傘だけが日の当たる場所に残される。


「まだ…………生き、たい……」


 目から溢れる涙は、一筋だけで良い。未だ幸せすら見いだせず、また捨て子が橋の下に捨てられる。それでも世界は回っていて。


 ただ空だけが青く、澄んでいた。



 

 

 


 朝日がカーテンから差し込む。


「……ん」


 どうしても朝は弱い。低血圧の疑いがある。


「あ、今日は」


 カレンダーを見る。平日故に本来なら学校に行かなければならないが近辺のスラムで起きた殺人事件によって休校となっていた。憂鬱な学校が休みになるのは嬉しいが、事件の犠牲者に申し訳なく、あまり喜ぶことは出来ない。


 寝ぼけた頭で、冷蔵庫を開く。


「あっ」


 中身は空に等しく、下の方に転がるジャガイモから芽が生えている。


「これ、庭に植えたら生えるかな」


 今度大家の葦戸おじさんに聞いてみよう。何かと私に甘いあの人の事だ。許してくれそうな気がする。


「今月いくらかなぁ」


 財布を用意し、ATMのあるコンビニへ向かう。研究者の父と交流があった葦戸おじさんによって治験のバイトを手伝っている。割の良い収入によって、高校生ながら一人暮らしが出来ている。


「ん?」


 スマホに届いた通知には、付近で起きた事件を取り扱ったネット記事。タップし、開く。


「うわ、ひどい」


 スラムの先にある孤児院が火災に遭ったらしい。職員が何人か犠牲になった事が分かる。


 コンビニへ向かう通りは狭く、車は殆ど通っていない。人はまばらに確認出来るが、みな表情は暗い。確か大国同士で近々戦争になるかもしれないらしい。この国は参加するのだろうか。


 コンビニがあと数メートルの場所。元は小さな川があったのか、橋とその防護柵のような手摺りが確認出来る。その水路に、傘が落ちていた。


「何だろ……」


 一般的な物とは違い黒く、無骨で、映画で見る銃の穴のようなものがいくつも空いていた。


「え……あれ、何で私。泣いてるんだろ?」


 心がざわつく。涙は一筋のみで、晴れた空の暖かな風に揺れるボロボロの傘はどこか懐かしく、私の傍にいた気がした。


 私も道行く人々と同じように、暗く。

 見上げた空だけが、やけに青かった。

 

 


 


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