第33話 心傷風景 ケース0 ver.3「笑顔は死体と共にある」
暗転した視界の中、頭に直接響くようにして、葦戸博士の声がする。
『まもなく深度3に到達する。善の体は大丈夫だ。以降、こちらからのオペレーションは難しくなるが大丈夫か?』
良かった。
善は発狂の度、自身の脳へ指を突っ込もうとしていた。当然脳は、ズタズタになっていた。特に前頭葉にかけての損傷が激しかったらしい。
『大丈夫です。博士、私はこの先も行けます』
彼の傷は深く、治りなどしないだろう。心も体も、傷だらけ。生まれた事さえ否定されても、彼は願った。
だから、
『私も善を救いたい。救うなんて、傲慢な考えかも知れないけど……』
『ハハハ! 善の話し方にそっくりだな。言葉尻にしたがって自信が無くなってるとこがよく似てる……』
ノイズのような雨音が響く中、博士の笑い声はよく通った。
『頼めるかい?』
『善は私のものですから』
『ワアォ、まさかの所有物宣言とは! こりゃ期待できるな』
無理に明るく振る舞っているのか。いや、違う。
『必ず連れ戻します』
強く、私自身に誓うように言葉を浮かべる。
博士は何も言わなかった。
視界が開ける。
ここから先は来島善の無意識の世界。
まず、目に付いたのは傘だった。
善が持っている見慣れた仕込み傘。それに寄りかかるようにして、ボロボロの黒い布をまとった少年がいた。布の隙間から覗く手足には醜い傷が無数にある。ボロ布がフードのように覆い被さっていて表情はうかがい知れない。
背景は全て塗りつぶしたかのような白だった。
恐らくは善を思わせる傘持ちの少年が作る影には、二人の男女の虚像があった。ホログラムのように透き通り、何処か不確かさを感じさせる佇まいで、一木と島田の虚像がそこにはあった。その虚像を守ろうとするかのように傷ついた体で傘を持つ。
傘の影に、虚像が増える。葦戸博士。その中には私の父もいた。誰だか分からない眼鏡の少年。毛布を被った少女。
しかし雨が降り始めて、傘に入りきらない虚像は消えてった。まず私の父、眼鏡の少年。毛布の少女。
一つの虚像が消える度、泣きそうな呻き声が聞こえる。
しばらくして、雨が止んだ。
そしてまた虚像が現れる。
私の虚像だった。少年は傘を傾ける。
他の虚像と少し違っていた。左頬の火傷だけ、妙に透き通っておらず生身のような鮮明さがあった。そしてその虚像の私が少し笑った時、透き通った虚像は実体になる。あの日、橋の下で善と会った私だった。
白かった背景が破けるようにして、無数の死体が現れる。
その全てが私だった。
死に方は同じ者はなく、首に刺し傷のある死体。焼け焦げた死体。首に縄の痕のある死体。損壊し、バラバラになった死体。腹部から臓物を溢れさせた死体。何かに貫かれたかのように、ポッカリと頭に穴が開いた死体。獣か何かに食い荒らされた死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体。死体……
総勢182体の私の死体がそこにはあった。それは恐らく、私と善が会ってからの半年間、彼が見た悪夢の中で死んだ私の数。一番奪われたくない者を守れなかった。そんな悪夢を見させ続けられた来島善の心傷風景。
彼の母親が死ぬ光景。それと重なってしまった私の笑顔。
「いやだ!!」
突如として、傘持ちの少年が叫ぶ。
「いやだいやだ嫌だ!! 死なないでくれ! 明石!!!」
世界がどんどん暗くなる。少年は嘆き、うずくまる。誰も彼を助けない。誰も彼を愛さない。大切な人の幸せに自分は必要無い。だって生まれて良い命じゃ無かったのだから。
やがて世界は真っ暗になった。誰も居ない。傘も無い。惨めな少年だけがそこにいた。
「何でみんな自分を置いていくんだよ! 一人にするなよ! 優を奪うんじゃねえ、あの子が笑ってなきゃ、生きてなきゃ、そんなの全てが無駄なんだよ!!! 悪夢も! 狂気も! ゴミみたいな物しか自分にはねえよ。自分が! 生まれなければ……」
消え入りそうな声。
「母さんは死ななくて済んだんだ……」
違う。
「自分が居なければ! 全て上手くいったんだ、優だって幸せに……」
『違う!!!!』
少年と目が合った。
『違う!!! 貴方がいたから私は笑えた。貴方がいたから、私は……』
言うべき言葉を飲み、少年を指さす。
『続きは君が起きたら、教えてあげる……早く起きろ寝ぼすけ!!』
伝えなきゃいけない事がある。
心傷風景、悪夢の中でじゃなくて。
もう一回、もっと強い言葉で伝えてやる。
これだけ傷つき苦しんだ。
とびきり幸せになる権利が君にはあるんだ。
悪夢が終わる。
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