第38話 傘持つ少年とただの兄貴

 結局、全員がアパート周辺に待機。襲撃に備えている。やけに月が綺麗な夜。


 傘を持ち、あとは特に何も持たなかった。必要が無いから。

 会坂の住む場所の情報は、島田に貰った。一木だと止めてきそうだったから。


 準備を整え、向かう。


 道中、明石と通った公園の桜がすっかり散ってしまっているのを見た。若々しい緑の葉が色ずく頃に、自分は果たしてこの世にいるのだろうか。


 夜の街を歩く。


 あの日、研究所を脱走した自分たちが向かったのはスラム街のような所だった。研究所の追手を巻くに、これ以上に適した場所がなかった為だ。


 ネオン看板。そのほとんどの内容は酒場か風俗店のそれだった。路地裏を見れば、青いゴミ箱からは人間の腕と思しきものが飛び出ている。


 女性の悲鳴が聞こえる。目線を声の方へと向けると、複数の男に組み伏せられている女性の姿。


 傘に新たに取り付けられたグリップを引き、先端を男達へ向ける。引き金に指を掛け、絞る。体の芯にくるような轟音をいくつか響かせ、男達のうち何人かは挽肉になった。生き残りも、顔の皮が吹き飛び悶えていた。


「あああああああ!」


 目の前で、いきなり肉塊が生成され混乱した女性が発狂している。近づくと彼女は酷く怯えたように、頭を抱え後ずさった。


 近づくのはかえって良くなさそう。だからせめて、彼女の目を見て言う。


「(大丈夫、もう大丈夫だよ)」


 それだけ言って立ち去った。力が抜けたように、女性は静かになる。


 博士に頼んで改造して貰った仕込み傘には、強力なショットガンが内蔵されている。威力は先程の光景から申し分ない事が分かった。


 思えば随分と可笑しなものだ。こんな糞の塊のような世界で、たった一人の少女の幸せを願おうなどと。周りを見渡してみれば凄惨、残酷、淫猥。こんな世界ずっと見ていると発狂しそうになる。


 目的地が見える。


 会坂の住居は、自分たちが住んでいるアパートによく似ていた。近くには河口があり、もう少し歩けば海を見渡せそうな堤防がある。


 雲が遮っていた月が露わになり、ゴミのような街を照らし出す。


「よっ」


 ふと後ろから声を掛けてきたのは。

 聞き覚えのある。しかし記憶より、どこか大人びた古い友人の声。


「会坂……」


みことでいいよ。昔みたいに」


 優しげな目と、落ち着きのある低い声。眼鏡と本が似合った友人は見る影も無く、左手は何処へやってしまったのか、余った袖が風に揺れている。髪は色素が抜け真っ白に。顔の左半分の皮膚を喪失していた。


 顔の左半分はまぶたが無くなり、赤い瞳が生々しく動いていた。まだ血が固まりきっておらず、その様子は痛々しい。


「すまんな、こんな姿で」


 開幕、即戦闘。とはならないようだ。むしろ敵意を感じない。


「いいさ、その傷はどうしたんだ?」


 何となく、会坂は自分を襲って来たりしないんじゃないかと思っていた。同い年で、しかも妹は自分と同じ脳核型だから。でも正直、何となく以外の理由は無かった。


「野木さん、来てただろ?」


 野木真奈美のぎまなみ。自分たちより二才年上だった実験体の一人。先程の襲撃で死亡していた。


「ああ、来てた……お前が殺したのか?」


「そうだよ」


 随分とあっさり認めた。


「彼女のさ、心臓潰した時なんて言ったと思う?」


 趣味の悪い質問だ。断末魔を当てさせようなどと。


「さぁ」


「『愛してる』って耳元で言われたよ」


「……」


「それで判断が一瞬遅れた。彼女は体に爆薬を巻いていてね、最後に左手を振りほどけずに巻き込まれてこのザマさ」


「そう……か」


 会坂の傷は未だ止血が出来ていない。服には先程から、血がにじんでいる。彼もまた、限界が近い。


「まったく、勘弁して欲しいよ。こっちは彼女いない歴=年齢なんだぜ? そんな事言われたらドキッとしちまう……」


 実験体とはいえ、自分たちの中身は未だ十五歳のガキのままだ。


「一本取られたな」


「文字通り一本、腕を持っていかれたって訳だ」


 冗談を言い合う余裕も、享受されるべき幸せも本来はあったはずだった。


「何で裏切ったか、聞いてもいいか?」


「いいよ、つか、もうバレてるから隠す意味ないし」


 長くなるぞと言い、会坂は堤防の方へ。そこにあったベンチに座る。自分は少し離れた他のベンチに腰掛け、距離を取る。


「妹の、美湖十みこと覚えてるか?」


「ああ。体が弱くて、いつも研究室の方にいたな」


「研究所に人質に取られてたって訳じゃねえんだよ。実験も辛かった。でも研究所に協力したらよ。あいつを治療して貰えたんだ」


「……」


 治療、実験。美湖十の方もよく耐えたものだ。


「あいつ走り回れるようになってよ。学校にも行ってんだぜ。まだ中学生なのによ、最近は彼氏が出来たらしい。まったく、先越されちまったよ……」


 ああ、そうか。こいつも……


「でもよ。あいつが、美湖十が生きる為には研究所の協力がないとダメなんだ。妹の幸せのためだったら、何だって犠牲にしてやる。善、お前なら分かるだろ?」


「分かる。痛いほどに……」


 大切な人が笑える日々を送るためなら、消えかけたこの命。なんと軽いことか。


「何だって、ここまでする?」


 一応の確認。まだ、彼を敵と認められない。また友人に戻れないか、愚かしくもそう願ってしまう。


「そりゃ、兄貴だからな」


 あまりにも綺麗に笑って、会坂は答える。

 愚問だった。


「さあ、立て。俺を殺しに来たんだろ? やってみせろよ」


 会坂は立ち上がり、腰に隠していたのであろうナイフを取り出す。三日月みたいな刃をした、刃渡り十五センチ程の小さなナイフ。彼が研究所に来た時からずっと持っていたもの。


 実験体の仲間を裏切り、自らの腕すら失い、たった一本のナイフで戦い続けた最強の実験体。会坂命あいさかみこと


 彼は実験体でなく、ましてや憐れな孤児でもなく。

 ただの『兄』であろうとした。


「分かった」


 決して相容れないのだろう。守る者がそれぞれあるのだから。自分も傘を持ち、引き金に指を掛ける。


「ごめん」


「殺し合うんだ。謝る必要なんかねぇよ」


 ナイフを逆手に持ち、会坂は構える。右手の甲を見せる様に突き出す、彼の独特の構え。


「起動」


 会坂は呟くと同時にナイフの柄で心臓の辺りを叩く。心核型が本来の能力を引き出すために必要な行程。


「っつ」


 させてなるかと打ち込んだ散弾。着弾痕には誰も居ない。


「じゃあな」


 後ろから声がしたかと思うと、視界が揺れて音がする。湿った重い何かが地面に落ちる音。遅れて自分が首を切り落とされた音だと理解する。


「お前はさ、優しすぎるんだよ」


 口や鼻、耳。身体のあらゆる穴から血を流し、会坂が立ち尽くす。その光景を最後に、視界が黒くなった。

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