第39話 心傷風景 ケース3 ver1.2.3「会坂命」

 身体から溢れた血を拭う。


「畜生が、痛えな」


 覚醒核の起動。

 無理矢理に拍動を上げ、人間が本来持っている身体能力の限界を引き出す心核型のみ出来る荒技。人間離れした動きが出来るようになっても心臓以外は人間のまま。当然身体に負荷は掛かり、その命は削られる。


 髪は色を失い、左目はもう見えていない。左顔面の損傷に伴って、瞼が焼き切れてちょうど良い。千切れた左手、余った袖が風に揺れる。


「もう、頑張らなくて良い。ゆっくり休め」


 動かない、首の無い友人の亡骸に呼びかける。首、その見開いた瞼を閉じてやらなければ。


「お前は、昔から変わんないな」


 善はここに来る前。遠くから伺っていると、『人助け』をしていた。まさか一般人を犯罪者だからといって、撃ち殺すとは思わなかったが。


 苦笑してしまう程に、彼は『善』であろうとする。

 強迫されてるように。取り憑かれているかのように。


「折檻のキツい訓練教官とか陰湿な研究員の下着盗んでは旗にしてたもんな」


 まるで報復の方向性を間違ったこの義賊もどきの名前は確か『チェリーパンツブラザーズ』だっただろうか。懐かしい。


「それでよ。自転車で爆走してさ、運転が苦手だったお前は土手から転げ落ちて……」


 今でも、鮮明に思い出せる。


「一木と島田がイチャついてるとこに出くわしちまったんだったな」


 美しい日々。


「何で出て行っちまうかねえ……」


 結果として、彼らの脱走計画は露見。脱走者に紛れ、その情報を流す役割を任じられた。泳がされた脱走者はしばらくの空白を置いた後、脱走の首謀者、明石博士を筆頭としてそのほとんどが殺された。ただ明石博士の助手と幾人かの実験体を除いて。


 終わったと思った。殺さなくて良いと思った。手がかりらしい情報も送られてこなかった。妹、美湖十の治療は行わた。実験によって機能不全になっていた彼女の下肢は再び動き出した。研究所に嘆願し、妹を学校に行かせて貰った。


 研究室の真っ白な壁の中ではクスリとも笑わなかった妹は、よく笑うようになった。日々、家に帰った彼女が話す学校の話は自分の選択は間違ってなかったと思わせてくれた。


 救われていたのだ。


 仲間を裏切る罪悪感から。

 友人達の心臓を握り潰す感覚から。

 自らの父母、友人。たくさんの大切を切り刻んだナイフの歪みから。


「救いようがないな」


 思い返す、記憶の中。

 およそ『家』と認識する空間には暴力と、罵声が満ちていた。


 生まれてまだ一月もしないの妹に、煙草の火を押しつけようとした父親は煙草と一緒に燃えてもらった。ライターの中にある液体を掛けたらよく燃えた。


 だけど液体があまりにも少なくて、顔を少し焼いただけで直ぐに反撃されてしまった。何度も蹴られ、意識が遠のきそうだった。机から落ちたナイフを手に取り、必死で父親を刺した。何度も刺した。変な音がしたかと思うと、もう彼は動かなかった。


 家に帰ってきた母親が、絶叫する。すぐさま自分に駆け寄り、首を絞めてきた。また刺した。今度はあまり時間が掛からなかった。


 ナイフの刃が骨に当たってしまったのか。

 まっすぐだった刃は少し歪んでいた。


 両親を殺したら、物音に気付いた隣人が来て、妹とはここで一回引き離された。当たり前だ。自分は人殺しなのだから。そのあとはたくさんの大人に会った。たらい回しのようにされていく内、『スギノ園』に着いた。そこには妹もいた。


「兄さん!」


 顔も覚えてないくらいに、小さかっただろうに、妹は自分をこう呼んだ。だからだろうか。この時、涙が止まらなかったのは。


 少なくとも、『兄』と呼ばれるからにはそう振る舞わなければならない。


 少しでも賢くあろう。本を読んだ。

 少しでも強くあろう。ナイフの使い方を覚えた。

 少しでも優しくあろう……


 優しく、なれなかった。


 当たり前だ、この人殺し。

 過去が、両親が、裏切り殺した友人が、妹すらも。

 自分を責め立てる。


 そんな夢を何度も見た。


「グ、ボッェ……」


 大量の血液が口から漏れる。

 眠りに入る瞬間のように、視界に靄が掛かり始める。


「兄さん」


 優しく微笑むその姿。この汚らわしい命であがなおう。

 どうか、彼女の道行きに抱えきれないほどの幸福が満ちますように。

 どうか、彼女が一人にならぬようたくさんの人に見守られますように。


 この命で、彼女の不幸を露払い出来たなら。

 それはどれだけ幸せなことだろう。


「どうか、ど……うか」


 願う。


「(大丈夫、もう大丈夫だよ)」


 優しげな、聞き覚えのある声。


「どうか、せめて夢の中くらいは君が幸せでありますように」


 遠くから、そう聞こえた気がした。


 

 

 

 





 


 


 


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