第37話 馬鹿な傘持ちと彼女への……

 あまりの自分自身の傲慢にわらってしまいそうになる。


 トイレのドア越しに、話しかける。博士の様子は酷く悪いのに、自分はまた彼に悲しい顔をさせてしまいそうだ。


「……善。どうした?」


 それでも実験体達の命を守れるのは彼しかいない。故に彼はいくら傷ついても奮起する。その不屈のあり方に自分は憧れたんだ。


「すいません。お願い、いいですか?」


 博士は顔をしかめ、まるでこの先の言葉を予想しているかのように。


「……ダメだ。みんなで逃げるぞ」


 『お願い』すら聞かず、取り合おうとしない。


「博士も分かってるんでしょう? このままじゃ、みんな死にます」


「……」


 また彼は歯を力いっぱいに食いしばる。


「逃げる案は言わずもがな。ミィ兄達の足止めがあっても会坂がいるんじゃ、どこまで持たせられるか」


 項垂れ、その先を言って欲しくないのだろうか。でも、この方法が最善ではなかろうか。


「自分が行きます」


「ダメだ!!」


 博士が語気を荒げる。


「お前は! あの子は! 優ちゃんはどうなる……お前死ぬ気だろうが……」


「実験体の序列は心核型ハートコアタイプ基準です。脳核型ブレインコアタイプは含まれていません」


「島田にボコされていて何言ってんだ!」


 格闘訓練の成績はあんまり良くなかったな。


「それに……もう時間がないんです」


「……善。お前」


 博士の表情が歪む。


「脳を酷使しちゃったみたいで、色々ガタが来ちゃって」


 自分の頭に入れていたICチップ。正式名称メモリービス。ネジ状の情報端末で『来島善』のオリジナルの記憶はそこにある。それと同時に脳にある覚醒核の抑制装置としても機能もある。


 半年前、銃弾で頭を貫かれた際に脳を損傷。オリジナルの体を補う様にクローン培養の肉体パーツで治療されていた。修復できなかった部分はクローンに置き換えられている。


 度重なる心傷風景への接続、発狂によって脳を掻きむしった事による損傷。いくら実験体だとはいえ、耐えられる限界を既に越えている。だからいきなり鼻血が出たり、五感の一部を消失したりと前兆も現れている。


「多分、あと何日かの命ってとこじゃ無いですか?」


 自分の体だ。違和感で何となく分かってくる。


「でもまた直せばいい! また核移植とメモリービスも付ければ元通りだ! お前が戦う必要なんて無いんだよ……」


「他の仲間たちの心臓のコピーもありますよね?」


「……気付いてたのか。」


「診察や実験で入り浸ってましたからねえ」


 心臓のコピー。

 心核型の実験体は性質上、心臓・循環器等の摩耗は激しく、実験体が早死にしてしまう原因の主たるものである。そのため彼らの細胞の一部から心臓を生成。機能停止する前に移植手術により延命しようという試み。葦戸博士の執念のたまものだった。覚醒核は後天的に埋め込まれるため、体細胞からクローンとして生成された心臓には覚醒核が無い。


 つまり普通の人間に戻る事が出来る。

 脳という複雑な人体パーツに覚醒核がある自分を除いて。


「手術用の設備も、逃げればすべて失われてしまう。ミィ兄達、一木や島田が普通の人間に戻れるかもしれない。ミィ兄も腕の壊死えしして黒くなってるとこを切ればまだ助かる」


「実たちと一緒に襲撃するのではダメなのか?」


「巻き込んでしまいます」


 明石に触発されて、少し自分も我が儘になった気がする。


「お願いします。博士、傘の改修の許可を。今夜、会坂に仕掛けます。あいつはさっきの襲撃で追撃してこなかった。もしかしたらチャンスかもしれないんだ」


「一人で背負おうとするなよ……」


「今回は一人の方が都合が良いんですよ」


 嘘は言ってない。その意味を博士も分かっている。


「……必ず帰ってこい。敵は、会坂だけじゃ無いんだ」


 普通の人間の私兵も研究所にはいる。当面の襲撃を凌ぎきらなければならない。少なくとも、みんなの手術が終わるか。手術に必要な施設を移す時間がいる。


「あ、それと博士。もう一つお願いです」


「何だ?」


 これを頼む事が一番気が引ける。


「博士、記憶を消すやり方、知ってますよね?」


 自分の記憶の抜け方に違和感があったのは、恐らく人為的に記憶が消されてた。もし狙撃の傷が原因の記憶喪失で明石の記憶だけ抜けているなら、神様は相当意地が悪い。


「それも気付いてたんだな」


 自分の治療や実験の副産物で出来た技術。人の記憶を壊す。ただそれだけだが、心傷を負った者に、辛かった過去の記憶が残り続ける事は地獄のような日々なのだろう。そのトラウマの記憶を壊すことで心を治療する試み。明石の父親、彼の理論を元に、葦戸博士が完成させた。


「……頼みます」


 彼女の道行きに、溢れんばかりの幸せを。

 自分もそこに居たいけど、叶わないのなら。


 せめて彼女の幸せだけは守れるように。



















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