第23話 心傷風景 ケース1Ver2「額の傷」

「嘘ばっかり……」


 彼に聞こえないように小さく呟く。


 大口を叩いてるだけだろう。

 彼自身には何の見返りも無く、ただ私の笑顔の為に命を賭けると宣ってる。


「ホントは博士との約束守る為って言えたら良いんだけどね」


 照れくさそうな表情をして頬を掻く。

 焚き火の弱い灯りからの熱が、思い出したかのように疼く私の火傷を刺激する。


「あぁ、軟膏持ってる。それを塗ろう」


 近くに置いてあったリュックサックから取り出した薬を渡される。


「博士にも怒られちまうな、奥さん救えなかったし。剰え娘さんに惚れるし」


 また少し軽薄さを感じ始める。

 掴み所が無く、様々に変わる表情は万華鏡を見ているよう。


「どこぞの馬の骨とも知れん男に、私はやれん!」


「普通それお義父さんが言うやつ」


「『おとうさん』部分に何か含みを感じたなぁ」


 ふざけ続ける。

 二人とも、決定的な何かからは目を逸らそうと。

 苦悩と痛みを笑みに隠し、涙を溶かす。


「「っく、ははははははは!」」


 一頻り笑う。

 酷く歪な、笑い声。


 でも、この一瞬。

 たまらなく、心が暖かかった。





「よし、じゃあ仲間と合流して葦戸博士のところに向かおうか」


「……うん」


 暗く、厚い雲が覆っていた空は微かに白む。


 少し疲れた。

 状況に流されまいと抗った。たくさん泣いた。

 瞼は腫れて重く、微睡みへの誘惑に負けそう。 


「糞が、こんなとこ居やがった。こっちだ!」


 どこかで聞いたことのある怒号が聞こえる。


「おうおう、来やがったよ。研究所の糞犬どもが」


 彼の口調に憎悪が混じる。

 

「少し、待ってて」


 優しく彼は微笑むと、うとうとする私を寝かせ傘を地面から引き抜いた。

 番傘のようになってはいるが、その先端には鋭い鉄芯、柄も鉄パイプに似た素材。

 

 柄の中程から出るヒモを右手首に掛け、左手は革製のベルトを巻いている。

 薄れる意識の中、黒いレインコートを来た化け物を見た気がした。


 彼は母がけしかけた男達を容赦無く殺し、蹂躙するのだろう。

 あとで自らの心傷になると分かっていながら。


 ある者は重い傘を振り下ろされ、頭蓋は砕け脳を晒した。

 ある者は彼にナイフで斬りかかったが左手のベルトで受け流され、喉に鉄芯を突き立てられた。吹き出る血が噴水みたいだった。

 

 ある者は銃で彼を撃った。彼は傘を開き、その身を隠す。弾は傘を貫けない。


「は?! ふざけんな」


 男が喚くが、彼は止まらない。

 左手を男の腹部に突っ込む。男は口から血の混じった吐瀉物を出して動かなくなった。


 最後の一人が、仲間を置いて逃げ出した。

 そいつに彼は傘を閉じ、その先端を逃げる男に向ける。

 柄のヒモを勢いよく引くと、


 ガンッ。


 大きな音がして鉄芯が発射される。

 鉄芯は刺さるだけでは飽き足らず、弾けて逃げた男の上半身を消し飛ばした。


「よし、終わり」


 爽やかに言いつつ、その表情は苦虫を噛み潰したよう。

 狂ってる。

 でも、一番狂ってるのは寝ぼけ眼でこの光景を見れてしまう。

 私自身なのかもしれない。


「行こっか」


「うん」


 眠い。

 疲れたよ。


 歩く。歩く。


 彼の後に続いて。


 歩く。歩く。


 意識は揺蕩い、思考は霞む。


 歩く。歩く。


 張り詰めていた心が解けて緩む。


 歩く。あr……


 シュッ。


 瞬間、鋭い風が目の前を通る。

 ボッと近くの地面で音がする。


「くそ、狙撃か!」


 彼が叫ぶ。

 傘を開く。河原沿いの開けた場所。

 遮蔽物など無く。


 鈍い堅い物同士がぶつかる音が聞こえ、傘が貫かれる。

 開いた傘の中、彼は私に覆い被さった。


 断続的に鈍い音が響く。傘が貫かれ始めた事が分かる。


 「ぐッ……!」


 彼の腹部から血が滴る。

 自身の血の気が引いて行くのが分かった。


「あ……」


「大丈夫、掠っただけだから」


 青ざめた顔で、何とも説得力が無い。


「え、嘘。やめて!! 死なないで!」


「はは! 中々上手くは行かないね~」


 何を悠長な事を言っているのか。

 二人話す間も銃雨は止まない。

 見えない距離、複数の場所から撃たれてる。

 傘の穴も次第に増えてきてしまった。


「なあ、泣き虫ちゃん」


 彼は私の左頬、火傷痕に触れる。

 狼狽える私は身動きがとれない。

 彼はこのまま私の盾になって死ぬつもりなのか。


「違う」


「ん?」


「優って呼んで、ちゃんと名前で呼んで」


 こんな時に何を言っているのだろうか。

 でも、彼に呼ばれたかった。

 彼は驚いたように眉を上げ、困ったように八の字になる。


「えへー! いきなり名前呼びは恥ずいって!!」


 会話だけ取れば、何処にでもあるラブコメディ。

 名前呼びを強要する少女と、それを恥ずかしがる少年がいる。

 不可抗力で少女を少年が押し倒す。かといって手を出す度胸も無く。

 そんな手垢の着いた物語。


 だが微笑みと愛情など何処にも無く、血と臓物、憎悪と狂気だけが確か。

 差し込んだ朝日が、寝不足の目に眩しい。

 遠くで、誰かの声が聞こえる。


 銃雨に震える私を、少年は傘を持ち守る。

 その願いを言葉に託して。


「優。自分はさっき嘘をついてしまった。自分は君の事が好きじゃない」


 頭をいきなり殴られたような衝撃が走る。

 

「なんで……今」


「何かね、君と笑ってるとさ。心が凄く熱いんだ」


「……」


「友達の事も好きなんだけどさ、君に感じる好きは何か違うんだ」


 鈍い音と共に彼の腹が裂け、中身が私にかかる。

 熱い。


「何で?」


「何でだろう、自分はあんまり頭良くないから分からないや」


 恥ずかしそうに目を細める。


「だからさ。この気持ちが分かったら、もう一回君に伝えに行くよ」


 滴る血は止めどなく。涙が頬を伝い続ける。

 何で世界は私から奪い続けるんだろう。


「その時にやり直しだ」


「やだなぁ……」


 彼を困らせたくはないのに。


「はは……ゴメン。はここまでだ」


「絶対、もう一回会いに来てよ」


 雨が止まない。


「ああ、約束する」


「この火傷見てもビビらないでね」


「うん」


「守らなかったら許さない」


「……そうだな」


「なあ、優」


「何?」


「自分は君の事が大好きだ」


「……そう」


「今持ってる言葉じゃ、これが精一杯だ」


「……」


「ごめん、今は……さよならだ」


 傘が風で少し動く。

 赤い光の点が彼の額に狙いを定める。

 音を置き去りにした弾丸に。


 彼は額を貫かれ動かなくなった。


「馬鹿……」


 小さく呟く。倒れ込んだ、彼の骸を抱きしめて。

 溢れる涙は止めどなく、銃声は何時しか止んでいた。


 程なくして、右手に金槌、左手にノミを持った少年と三白眼に白鞘の日本刀を持った少女が現れる。


「約束だから」


 路傍に生える草花に残る雨粒を、朝日が照らす風景の中。

 意味など無くとも、そこに芽吹くべき感情が確かにあった。


 私が呟く戯れ言は、少年の残した願いなのだから。



 


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