第22話 心傷風景 ケース1Ver2「暖かな狂気」
ファイルを閉じ、善に向き直る。
「これ……君の事よね?」
「んぁ? あぁ、そうだよぉ」
書かれている内容は目の前の彼を実験体として行われた研究。
内容から推察される事として、彼はその誕生すら他人に弄ばれて来た。
「辛くは、無かったの?」
「……まぁ、多少は。仲間が目の前でバラされたりしたし」
少し困ったように彼は笑う。
先程の幼い少年のような眩しさは消え、苦渋を味わった大人の表情。
その表情にどれだけの苦しみを伴ってるかなんて、私には分からない。
「まぁ、でも自分はどうなっても良いさ。人がキツい目にあってるのが自分は辛い」
「それ……偽善だよ」
吐き捨てるように言うと、彼は少し驚く。
「ハハ! 間違いねえ!」
爽やかに笑い、自身への侮辱すら流す。
彼の性格なのかもしれないが、そのあり方は何処か
「自分の事後回しにしてたら、いつか後悔する……」
家で、学校で、必死に自分を押し殺して耐えてきた。
そんな日々、戻りたいとは決して思わない。
「でもよ、ファイル見たでしょ? 自分は犯罪者の遺伝子で作られた出来損ないだ」
急に、彼は自らの額を掻きむしり始める。
「あぁ、ああああぁぁぁあぁぁ」
ガリガリと嫌な音を鳴らし、次第に血すら滲み始める。
「……ホントなら、自分は生きてちゃイケないんだよ」
ボロボロと、血の混じった涙を彼はこぼし始める。
彼の目を見ていた時、感じていた恐怖の正体がやっと分かった。
彼は狂っている。
『本来、他者への思いやりなどの感情は自己保存の一環だ。人間という群生生物が共同体の中で生きる為の本能だよ』
父が生前、研究について尋ねる私に語った言葉。
その時は意味が分からなかった。
だけど今なら分かる。
「貴方を生かす」
彼は続ける。
彼は自己保存を放棄して、他者を思いやろうとするものだから温もりの中にどうしようもない不純物が混じってしまう。
「博士との約束を守る為に、この汚物を生かしてくれた恩義に報いたい」
もはやそれは「共感」とは呼べず、他者の感情に依存した暖かな狂気に他ならない。自己犠牲を是とし、進み鉄火場へとその身を投げるあり方を正常と呼べようか。
「その為ならこんな命、幾らでも賭けるよ」
しかもその歪さを自身への攻撃に変換して。
他者への「共感」を有する代わりに、自身への「共感」を放棄した。
そんな決定的に何かを違えた感情を、狂気と呼ばずして何と呼ぼう。
私の語った言葉を、死ぬ気で守れなどという戯れ言を、彼は本気で実現しようとするだろう。故にその目は見開かれ、自身をゴミ屑のように軽く扱うのだろうか。
「やめて……」
更に額を掻きむしろうとする彼の手を掴んで止める。
ファイルに書かれていた事、少なくとも彼を人間として父は扱おうとしたらしい。
何かしらの手段で助けようとしていた。どうしようもなく、狂っている彼を。
「君が、博士が! 受けた痛みだってこんな物じゃ足りないんだ……」
右腕にも、無数にある引っ掻き傷。
彼の左手はまるで千切ろうとするかのように執拗に傷を増やす。
「やめて、私の心の痛みが貴方に分かる? 馬鹿言わないで」
彼の引きつった笑み、震える手。
何で彼は自身の体も心も傷だらけで、他人を助けたいだなんて思えるのだろう。
「それって凄く傲慢……お父さんに言われたから? 共感しろだなんて私頼んでない」
できる限り強い言葉で、そうでもしないと彼は止まれない。
「私はもう大丈夫。だから、もう関わらないで!」
言い切った。突き放してしまった。
でもこれで良かったんだ。私は彼を疑い、利用しようとした。
最低だ。
だから、これ以上関わらせない。
父への恩義、私の命令なら、彼は喜んで死ぬだろう。
そんなのずるい。
生きて、苦しめ。
私みたいに。
「分かったよ……でも君には笑っていて欲しいな」
血涙を流し、それでも彼は柔らかに相好を崩す。
「なんで……?」
「だってさ、君の笑った顔。とても自分は好きなんだ」
「は?」
涙を流しながら、唐突な告白。
「さっき君が少し笑った時に、もっと笑っていて欲しいって思って……」
あぁ、私は勘違いをしていた。
「その為に、命賭けるなら何だかとっても嬉しいんだ」
彼は狂ってる? いやそれだけではない。
私自身の頬が微かに熱を帯びる。
「っつ、馬鹿じゃん。そんなの」
そう、彼は途方もない大馬鹿野郎だ。
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