6章 苦しみもがいて、それでも生きる

第29話 彼女の葛藤と友達の贖い

 彼は、善は泣き疲れたかのように寝てしまった。

 私の膝で無防備にも、しかし穏やかに寝ている。


「苦しかったよね、今は休んで」


 そう言うと私は彼の額の傷へと手を伸ばす。

 優しく触れ、指先に少し力を入れる。

 

 するとその指に吸い付くようにして、ズルズルと音を立てつつネジのような螺旋状の構造物が姿を現す。


 私が、彼に課してしまった罪の証。

 彼の記憶の一部を封じ、私の事を忘れて貰うために幸せになって貰う為に葦戸博士に施して貰った手術。


 本当なら、善には会わないつもりだった。葦戸博士とその護衛に任せて、善には別の幸せな人生を歩んで欲しかった。


 だからあのアパートを出て行くつもりだった。私がいたら。彼はまた無茶をする気がしたから。


 なのに私自身の未練があったのか、あの夜の再現をやってしまった。善に会ったあの時、彼は焚き火の処理も、飯ごうを使った米の炊き方さえ下手なことを思い出していた。あの鮮烈な赤い瞳は、治療で別の目を移植する為いらないらしくそのまま私が貰ってしまった。あまりにも酷い妄執だ。思い人の体の一部を持ち去ろうとするのだから。


 感傷に浸っていると、彼が姿を現した。

 その目はかつてとは違い、どこにでもいる様な黒瞳に。

 されど痛々しく残る額の傷は、まさしく来島善本人だと私に教えてくれた。


 記憶も、私との約束も忘れてしまったはずなのに……


 また同じ笑顔で私を笑わせようとしてくるのだ。


 葦戸博士からの治療経過の聞いた。

 傷は本来完治するはずの傷を、善は無意識にその額を掻きむしり頭に指を入れようとする為に傷はいつまでも残り続けた。まるで悪夢から覚めようとするように。


 善との、あり得たかもしれない日常を享受してしまった。


 火傷を見られた。彼が私に事を思い出してくれるかもしれない。そんな期待をした私自身がたまらなく嫌だった。

 

 約束したのに、火傷を見ても引いたりしないって……


 八つ当たりにように彼を突き放したのに、離れて行くどころかプロポーズじみた誓いをされた。どんなになっても変わらない。来島善の意思に私が縋ってしまった。


 護衛の合間をすり抜けてきた研究所の刺客が来たとき。善は本来の記憶を取り戻していたように見えた。臓物を浴び、赤黒く染まったその姿は実験体として彼が苦しんでいた姿そのもの。


「今度こそ私が守る」


 善はもう十分苦しんだ。私には敵を倒す力も、自分自身を守る力すら無い。彼は私の心すら救おうとしていた。ならばせめて私は彼の心を救いたい。


 『心傷風景』。善の治療を目的に構築されたシステムや補助機器。それが無ければ心傷には至れない……はずだった。


 博士の話では善は本来の『共感性』により悪夢を介して、自力で私の心傷に至っていたらしい。


 そして狂った。他者を思い、その心に寄り添おうと悪夢に身を投じた。自身の傷も顧みないままに。


 先程、善の頭から抜いたICチップとは名ばかりの釘のようなデバイス。回収はできた。携帯を取り出し、連絡をする。


「もしもし、一木くん」


「はい、ご用件は?」


「善の体の回収をお願い」


「……了解。あいつは、戻ったんですか?」


 善の治療に、島田と一木は協力してくれている。父への恩義からか彼らは私にも敬意を払っていた。


「いいや、まだ夢を見てるみたい」


「そう、ですか。今回の治療で治ると良いのですが……」


「そうね」


 連絡事項を伝え、静かに通話を終了。

 生きて欲しいと願われているのに、善はどうしようもなく自らを蔑ろにする。その理由、彼の心傷を私は知る必要がある。


 携帯からまた連絡をする。


「はいはい、もしもし」


 電話に応じるのは葦戸博士。


「博士」


「はいはい、何ですかな。優ちゃん」


 父が生きてたときも、こんな感じだったな。


「善の心傷風景を見せて貰えませんか」


 モニター越しなどでは無く、心傷風景に意識を飛ばすことによって観測する事。


「確かに出来るけど……」


「お願いします」


「分かった。でもいいかい? 必ず戻ってくること、じゃないと秀典さん祟られちまう」


「フフ、父はそんなことしませんよ」


 どんな不条理も笑い飛ばそう。連絡を終わらせ、穏やかな表情で眠る善を見る。

 

「善、見てて。あなたが願った明日がもうすぐ来るよ」


 笑う。

 多分君なら、そうしたでしょ?



  


 



 


 


 





 




 

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