4章 過去の傷
第19話 心傷風景 ケース1Ver2「雨晒しの思い出」
私は、『不幸』なのかな?
それなりに幸せな家庭だった。
研究職の父、専業主婦の母。母も元は父と同じ研究に参加していたらしい。
厳しくも優しい、そんな両親だった。
休日には、よく家族で出かけた。父がくだらない冗談を言い、母と私が苦笑する。そんな時間がたまらなく好きだった。
これを世間一般では幸せな家庭というはず。
うん。幸せだった。あの日までは……
十五歳の誕生日。雨の降っている日だった。
父が家に帰ってこなかった。理由は単純明快、事故にあったから。
研究所で起きた事故。それによって遺体は面会出来ないほどにぐちゃぐちゃになったみたいだった。
母は無理を言って面会させてもらったらしい。
あまり感情を表に出す人ではなかった。なのにその時だけは声を上げて泣いていた。
そこからの事は記憶が曖昧。
母は次第に酒浸りになった。家に帰るのが嫌になった。
学校でも私を目の敵にする奴が増えた。
何故かは、大体想像がつく。
父が死んで以降、母の分まで家事をしていた。
料理に慣れず、手を怪我する。
早起きに慣れず、授業中に居眠りする。
遊んでいた友達も、私の付き合いが悪くなった時期から嫌がらせをされるようになった。
ある日、男子に校舎裏へと呼び出された。
この日も雨が降っていた。
呼び出された場所には他の男子もいた。
無理矢理手を引かれ、人目につかない所へ連れて行かれる。
あぁ、何でこんなに。
人はこんなにも残酷になれるんだろう。
現実から目を逸らす。服を脱がしきられてしまいそうになる。
目を閉じる……瞬間に、目の前の男が爆ぜた。
胸骨、体の中心がいきなり膨らんだかと思うと空気を入れすぎた風船のように弾けて散った。
「はぁ?!」
誰一人として状況を理解出来ていない。狼狽える男子達の間に、何か黒い影が通ったような気がした。
震える足を、無理矢理にも言うことを聞かせ走り出す。
帰りたくない。そう思った家までただ走る。
通行人の目が痛い。見ないで欲しかった。
見てるだけじゃ無く、助けて欲しかった。
家に着く。脇目も振らず、自分の部屋に逃げ込む。
そして、出られなくなった。
部屋のドアを開けるのが怖かった。
幸いなことにはトイレは部屋の直ぐ側にあったことだろうなぁ。
引きこもって分かった事がある。
母は家に男を連れ込んでいたこと。
日によって聞こえてくる人の声は違うが、内容はどれも同じ。
聞きたくなかったから、耳を塞いだ。
窓の外からの光が鬱陶しくて、カーテンは閉めた。
煙草の臭いが充満する、この家で自身の部屋に引きこもる。
愚にも着かない思考の連なりをすることで、辛うじて保たれる精神の安定はいつも外からの刺激で乱される。
部屋のドアが母の連れてきた男達によって破壊されそうな時があった。
母は私を男達に差し出すつもりで居たらしい。
彼らが帰った後、部屋の前で喚いてた。
聡明だった母はもういない。
引き籠もって、一日も経たずして引き籠もる家にすら居場所がないことを自覚する。
辛かった。
でも私より辛い人が世の中にはいっぱい居るのだから、辛いと思う資格なんかないんだと、私は私を戒めた。
日にちの感覚が曖昧になり始めた頃、部屋の外を警戒しつつトイレに行こうとした。
トイレのドアを開けると、煙草を咥えた母が居た。
明らかにまともでは無い目。
私の髪を掴むとリビングまで引きずっていこうとする。
「い、痛い! お母さん、やめて!!」
「お兄さん達に、女にしてもらいなさい。乳臭い処女のまんまは嫌でしょ?」
何を言っているのか意味が分からなかった。
怖かった。だから抵抗した。殴られた。
「聞き分けがない……愛して貰えるんだから喜びなさいよ」
痛い。何それ。
「お、康奈さん。その子娘さん?」
嫌な目をした男達が、近寄ってくる。
「へー、かわいいじゃん」
手を掴まれる。
「こっち来てさあ……」
連れて行かれる。どうなるかなんて分かりきってる。
「嫌ぁ!」
男を突き飛ばし、逃げようとする。
「なっ、痛ってえな! 何しやがるガキがぁ!!」
他の男達に押さえ付けられる。蹴られる。
痛い。
「はっ、優しくシテやろうかと思ったけどその必要はないみたいだな」
男が自身の腰のベルトへ手をかける。
い、や。いや。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。いや。嫌。嫌。嫌だ。
嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。嫌。
激しい嫌悪感が、痛みを忘れさせる。男の股ぐらを狙い、蹴りを入れる。
蹴りは逸れ、男の太股に当たったがそのポケットからライターが落ちる。
踵を振り下ろし、ライターを割り、中身をまき散らす。
「ちっ、暴れんな」
拳が顔に振り下ろされる。
痛い。
「ははは、時間かかり過ぎ」
娘が暴行されそうになっている姿を、笑って見ている母親。
その腕には無数の注射痕。
あぁ、何で。
何でここまで苦しまなきゃいけないの?
壊されたライターから漏れたオイルが、私の抵抗によって男達にもまき散らされる。
母親が吸っていた煙草から灰が、床へと落ちる。
瞬間、私を襲おうとしていた男の太股が燃えた。
「熱っ!」
私を押さえつけていた男達も後ずさる。
当たり前だ。ライターオイルは私に一番付いていた。
燃えていた。
熱い。
炎を纏って、私は外に飛び出した。
幸い外は雨だった。滝のように絶え間ない雨粒が、私を焦がす炎を消してくれる。
痛いなぁ。
頬を伝う涙も。
襲われそうになった恐怖から寝れない夜も。
目の下の消えないクマも。
私に暴力を働こうとする大人達も。
この体中の火傷も。
全て、
全て、すべて、全て、すべて、すべて、すべて、すべて、すべて。
全てが。
私の周りの全てが、私の憎んでる。
全ての人が私の敵なんだ。
なりふり構わず、行く当ても無く。
濡れたアスファルトが、裸足の足を傷つける。
無意識に、橋の上に居た。
ここから飛び降りれば楽になるのかな。
眼下には増水し始めた川がある。
手摺りに足を掛ける。
これからもこんな苦しみが続くなら、
生きていたくなんかない。
私は、生まれてくるべきじゃ無かった。
泣いた。いっぱい泣いた。苦しくて、キツくて。痛くて。
目がしみる。開けているのが辛い。
それは涙の所為だけで無く、橋の下から煙に気付く。
ホームレスでも居るのかと、こんな時にふざけるなと。
半ば八つ当たりのような気持ちで覗いてみた。
そこには真っ黒なレインコートを羽織り、身の丈以上の大傘を持った少年が焚き火をしている。しかも近くには飯ごうが吊り下げられ、米か何かを炊いている事が分かる。
「は?」
あまりにも意味不明な光景に、思わず声が漏れる。
「あ、やべっ」
振り向いた傘持ちの少年は、血のように真っ赤な目をしていた。
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