第17話 狂った少年と壊れた少女
ズブリ。
額に傷があったはずの場所に、指を突っ込む。
ただ突っ込むだけでは足りない。力任せに傷を広げ、脳への道をこじ開ける。
メキメキ。ゴリッ。
してはいけない音が、頭の中に響いてる。
「あ」
グチャ。
「ああ」
パキ。
「あああ」
憎悪が自分を壊していく。
「(あぁああぁああああぁあぁぁああああああああああぁあああぁあ)」
ゴキッ。プシュッ。
「あ」
音が止んだ。
(思い出せ)
聞きたくも無い。頭痛を伴う謎の声。といっても頭蓋を貫いてる現状で、そんな痛みなど感じるはずも無いのだが。
確かに、鮮明に、痛い。
自分の中で、何かのパーツが合っていくように感じる。
「何をだ?」
(思い出せ)
「分かんねぇよ!!! 何を思い出せば良い?!」
声が重なる。
(思い出せ、目を逸らすな)
「逸らしてねぇだろうが!!! この夢を! 地獄みたいな結末を!」
(思い出せ)
「変える為になら、何度でも自分の頭に指突っ込んでやる!! 何人でもぶっ殺してやる!!」
(大切な物を)
内容が変化した。
(思い出せ)
そんなもの、決まってる。
「明石優、彼女の幸せだ」
それを願い。妄執し、ここまで来た。
まるでそれが何かの証明になるように。
「フーッ」
息を整え、両腕とそれぞれの五指に。有らん限りの力を込めて。
「っく、ああ」
自らの頭蓋を貫き、脳液に触れ、狂気の歌を叫ぶ。
「ぎぃ、あああぁあぁ」
彼女の痛みにほど遠く。分かろうなんて、傲慢な事は言えないけれど。
「あああああああああああああ」
自分は生きているのだと伝えよう。
必ず彼女が生きて、笑える明日を迎える為に、何度でもこの身を捧げよう。
「ああ、ぁぁあああぁあああぁあああああああああ!!!!!」
歌というには、あまりに汚い不協和音が響く。
それはこの世に生まれた悲しみを。
生きねばならない苦しみを。
必死に叫び助けを求め、泣きじゃくる赤子のように。
「さぁ、助けに来たぜ。泣き虫ちゃんよぉ!」
脳が弾ける。視界は暗転する。
*
…………臭え。
鼻を突く、鉄錆のような臭い。嗅ぎ慣れた、汚らしい懐かしさ。
覚醒。
視界が開け、バラシ部屋の天井が目に入る。
「あ」
「目を覚ませ! ゼン!」
一木の拳が近づいて……
「おうっと」
何とか顔面手前で受け止める。
「お、良かった。目が覚めたか」
安心するような一木の顔。申し訳ないが、事態は一刻を争う。
「すまん。あとで説明する」
そう言い残し、外へ駆け出す。
アパートへの道中で、一本の鉄パイプを拾い疾駆を再開。
アパートが見える。明石の家の前、三人の男。
うち一人が、明石の部屋の前で何やらしているのが確認出来る。
ドアを、無理矢理開け、中に入ろうとしている。
「今からするのは便所掃除、糞ども全員殺してやる」
右手に持った鉄パイプを槍投げの要領で投擲する。
「うおっ」
着弾点の方向で声が聞こえる。
若干軌道が逸れ、当たりこそしなかったが、牽制にはなったようだ。
「やめて!!」
「対象を確保! 撤退だ!」
金髪の男が、明石の手を無理矢理引いている。
明石が必死に抵抗している姿に、腑が、傷が、全身が熱を帯びる。
持ちうる脚力の限界で、明石の手を掴んだ金髪の男との距離を詰める。
「速っ」
金髪の手を握り潰し、明石から離す。
「がぁ!」
「善?」
不安そうな明石と目が合う。
「ちょっと待っててね」
(ひゃっは! 明石に名前呼ばれたぜ!)
怯えた表情、しかし他の人間がするそれとは違うことを自分は覚えてる。
「ちょっとチクってしますよー」
「っう」
金髪の男。その胸骨の下、鳩尾に両手を突っ込む。肉を貫く嫌な感触が指先に絡みつく。残り二人に向けての盾となるよう回り込む。
「あがぁあああああ」
皮膚を貫き、横隔膜も、そしてその先にある心臓へ。
「ハート☆キャッチ」
グジュウ。
濡れた雑巾を絞ったような音を出し、金髪男は事切れる。
雑に両手を死体から引き抜き、残った二人を見つめる。
何が起ったのか分からず、呆然とする者。
果敢にも反撃しようとする者。
(げ、銃持ちかよ)
明石の方を見る。怯えて部屋の隅に蹲っている。
「ゴメン、ちょっと借りるよ」
明石の部屋の玄関部分、そこにある傘立てには異常なほど長大な黒い傘。
本能が知っている。コイツの使い方。
「死ねや!」
罵声と銃声。乾いた音が夜空に響く。
「は?」
硝煙が揺れる中、開かれた傘に止められた弾丸がカラコロと落ちる。
「うごぁっ」
傘の先端を胸に突き刺された男が呻く。
鉄パイプのような傘の柄。その中程にある紐を勢いよく引く。
ズパン。
先端の鉄芯に仕込まれた炸薬が、男の体内で爆発する。
「あはっ、真っ赤なお花が咲きましたぁ!!」
散らばった男の肉片は、月明かりに照らされイチゴジャムのようにも、風に散った薔薇の花弁のようにも見える。
「あとは……」
「ひっ」
残った男は体も動かないのか、へたり込んでいる。
「聞いてねェよ! 何だよ、こいつ! ガキ一人犯ったらお終いじゃなかったのかよ!」
「喚くな」
傘をたたみ、その耐久力に任せ殴りつける。
「うっ」
首を狙い何度も殴りつけ、動かなくなるまで、されど虫の息くらいには残すように調節する。アスファルトの地面に男の顔を擦りつけ、傷口を滅茶苦茶にする。
(こいつはバラシ部屋行きだな)
明石の生を、彼女の尊厳を踏みにじろうとしたこいつらを、許しなどしない。
徹底的にこいつらの尊厳を、生きた証を、その全てを自分は踏みにじってやる。
脳裏に焼き付いた。
泣き腫らした瞳。
涙の痕。
切れてしまった口端。
首筋の圧迫痕。
喉に刺さった包丁。
破られた衣服。
………
「う、あ」
許さない。許せるはずもない。
「あああぁあああああああああ!!!!!」
でも、一番許せないのは……
「(あの時、明石の側に居てやれなかった自分だ)」
彼女が暴漢に襲われてる時、自分は何をしていた?
床に這いつくばって、友人と談笑して。人を痛め付けるような事ばかりして。
「あ」
気付いてしまった。
もしかして要らないの自分なのでは?
(そうだよ! さあ、やっちまえ! ほら、早く!)
声が聞こえる。何かが自分と溶け合う。いや、本来の姿へと戻っていく。
自然と額の傷に手が伸びる。そこには確かに有る肉膨れ。
ここに指を入れれば、終わるのでは?
これは全てが悪い夢みたいなもので、ここで死ねば明石は解放されるんじゃないか?
止まらない疑念が、指に力を込める。
「よし」
ここで怖じ気づく訳にはいかない……
「やめて!!」
明石が自分の腕にしがみついている。
「もう許さないとか言わないから! 私頑張るから!! 良い子でいるから!」
彼女の目の焦点が合ってない。
「もうやめて!! お母さん!!」
「……」
自分ではない、誰かに彼女は叫び続ける。
「お母さん、お酒止めて。もう怖い人達家に連れてこないで」
「……明石」
目が合う。焦点の定まらない濁った瞳が、自分を映す。
「いやぁぁ!!」
明石が自分を突き飛ばすようにして離れる。
明石は自らの部屋に、その隅の方へと頭を抱えて蹲る。
「やめて! 痛いよ! 熱いよ!」
彼女の体が震え始める。
「いや! もうやだぁ、怖いよぉ……」
言質を得た。大義名分も。あとは……
「助けて……善」
待っていた、答えは得た。
「ああ、助けに来たぜ。泣き虫ちゃん」
自分と彼女を繋ぐ、確かな言葉。
「遅いよ」
泣き腫れてされど澄んだ夜空のような綺麗な瞳には、赤黒い返り血と臓物を浴び、黒い羽織り物でもしているかの様な化け物。
傷だらけの傘持ちが映っていた。
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