第10話 迎えた朝と炊き忘れた米

「うっ」


 路地裏に入ってきた男はあっさりと捕まった。男が島田の背後に近寄ろうとした瞬間、一木が悪鬼の形相で襲いかかった。


 一木は男に足払いをかけ転倒させる。すかさず首を絞め、ほんの数秒で気絶させた。

(しまった、今回自分何もやってない!)


 くっそ、その通りだよ。チクショウ。

 一木の鮮やかな動作で仕留められた哀れな犠牲者をのぞき込む。


「え、死んでない?」


 情報を引き出すためにも、今回は生け捕りが目的だ。殺してしまっては意味が無い。


「大丈夫、ちょっと強く圧迫しただけで骨は折ってないから」


「首の骨折れる力はあるのね……」


 もし、あの実験の内容とやらが『バラして遊ぼ! 改造人間シリーズ!』みたいな感じだったら、一木は間違い無く怪力か何かをコンセプトに改造されたのではなかろうか。


「別に良いんじゃないの?」


 囮役でご活躍の島木がフォローを入れる。


「どうせ生かして返すつもりないし」


「まぁ、それもそっか」


 研究所の関係者は被検体の子供たち以外は皆、その非人道的な実験を知っている。知っていて助けないどころか、何なら積極的に殺しに来る。そんな奴らにかける情けはあるだろうか。


「じゃ、いつものバラシ部屋に運んどけば良いかな?」


「そうだな、他のメンバー呼んで後はやっておくから。よし、今回はこれにて終了。お疲れ様~」


 最後に一木に確認し、彼の指示を受けて帰宅する。


 時刻は午前5時15分。もうすっかり朝だ。

 明石は目覚めているだろうか。


 何だかとても気分が晴れやかだ。東の空には朝日が見え始めている。

 暖かな光が徐々に街を照らしていく。足早にアパートへ向かう。


 到着。玄関とは反対側にあるガラス戸は施錠出来なかった為、少し心配だ。アパート裏手に回り込み、彼女の部屋に向かう。


「へ~、朝帰り?」


 ガラス戸の下枠にある小さな縁側に腰掛け、ふくれっ面の明石がそこにいた。

 額を確認する。傷は……ある。確かにある。醜くくて、およそ自分のコンプレックスにしかならなかった肉膨れが、今はこんなにもあって嬉しいと感じる。


「頭を抱えて言い訳もない感じですか~?」


 何だか自分が浮気をした上に、朝帰りをしたみたいな構図になってないか?


「いや、バイトに行ってたんだ」


 嘘をつく。

 言えるものか。自分が実験体であった過去も、これから人を殺すかもしれないことを……


「そう」


 まだ不満そうだ。よし笑って誤魔化そう。


「あはは、(一人にしてごめん)」


 思いがけず、と重なる形で出た謝罪。驚きを隠せず口に手を当てる。


「ん~まあ、良いよ。作ろっか今日のお弁当」


 明石は立ち上がると台所へ向かおうとする。


「……やばい」


「何が?」


 明石は立ち止まり、振り返る。


「米、炊くの忘れた……」


「え?」


 二人とも、時間が制止したかの如く動かない。米を炊いていたのはの中での出来事。現実の自分は炊いていた覚えもない。そして、伏見先輩へのお礼を買っていないことも思い出した。


「ゴメン!今日、昼飯何かおごるよ。約束しといて本当にゴメン!」


「……っく、ぷはははは。うふ、ふふふ」


 満面の笑みで明石が笑っている。怒ってない?

 でもああ、くそう。


 心の暗い部分に光が指すように、暖かい何かが自分の中で広がっていくのが分かる。これを、この気持ちを何と名付けるのか、自分は知らない。


「私が飯ごうで炊いてあげよっか?」


 悪戯っぽく、彼女は微笑む。


「さすがに間に合わない……かな」


 苦笑しつつ、自分の財布を確認する。大丈夫、足りる。多分……


「学校行く途中でコンビニに寄ろう。そこで何か買おう」


「高くつくよ~」


「お手柔らかに頼むよ」


 学校へ行く支度を、二人は始める。

 満開の桜並木、通学路を二人は行く。

 宝物と名付けるに相応しい思い出を忘れないように。



 そっと右手にかき傷を残した。

 


 




 





 


 



 



 

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