第7話 揺蕩う脳と決意の嘘
「あ」
「ぁああぁあぁあぁあああぁあ! あ……」
壊れた機械の様に、一つの音を再生し続け、そして止まる。何も見えない。
(自分は、俺は、僕は、私は誰だ?)
自分の声だけが聞こえた。不思議なことだが、何故かこの声は自分のものだと自覚出来る。徐々に、定まっていなかった意識が取り戻されてくる。
遠くで誰かが呼んでる声。
「おい、善。どうした! おい!」
何度も、繰り返し呼んでいる。
(すんません、ちょっとまだ状況を飲み込めてないです)
「くそ、こうなったら……」
声の主はまだ取ることの出来る手段がある様だ。
「お前は、来島善。推定15~18歳。スギノ園にて、チェリーパンツブラザーズなる自転車暴走族を組織。トレードマークとして掲げた白地にサクランボが印刷されたパンツを掲げた様は周辺住民の失笑を誘った」
暗闇で自分以外の誰かの声がとんでもない事をばらしてくれた。
(あああああ! ヤメロォ!!)
「何で自分の黒歴史知ってるのォ?!!」
赤っ恥どころではない自分の過去を聞かされる程キツいことは無い。
自分の情けない声が反響する。すると遠くに見える星のように小さな光が出現する。
光が弾ける様にして、視界が復活。そこは見慣れた木製の天井、しかし天井にあるシミが自分の部屋の配置とは異なることに気づく。ここは……。
「ここは一○一号室。お前さんはバイト中に文句垂れてたと思ったら、いきなり気絶しやがったんだよ」
のっそりと起き上がり、せんべい布団の様な診察台から体を起こす。横には急いで外されたのであろう、接続されたチューブが絡まってしまったフルフェイスヘルメットがあった。そして息を切らした、長い白髪を後ろで束ねた白衣姿の男性が居た。
「
「よし、意識はまあ……大丈夫そうだな。危なかったぁ」
この人は
「博士、いくら何でもあの起こし方は無いと思うんですよ」
「あの思い出は私が墓場に行くまで、方々で語りまくってやるからな」
「良い性格してやがる……」
実験機材、その他諸々が所狭しと並ぶ。この部屋だけは、管理人たる博士の都合もあり、少しだけではあるが広くなっているはずだが……
「相変わらず、狭くて空気が悪い」
愚痴をこぼす。
「ほっとけ。例え狭くてもな、あの糞孤児院の時よりマシなんだよ」
博士の語る孤児院。
正確には、児童養護施設『スギノ園』。科学者たる博士と孤児院に何の関係があるのか、それはスギノ園が児童養護施設の皮を被った人体実験場だったためだ。
医療施設風の建物は規模がそこそこ大きく、地下施設まで保有していた。その研究内容はほとんどが秘匿され、勤めていた博士も情報の全てを掴んでいる訳では無い。
孤児として連れてこられた子供は、体よく保護されたかと思いきや医療行為にかこつけた人体実験に知らず知らずの内に参加させられていた。ほとんどの子供は施設の裏側など知りもしない。里親が見つかったと言って連れて行かれた先は、冷たい手術台の上。帰ってきた者は居ない。
全ての子供が実験継続されるわけではなく、中には実験材料として不適合とされる子供もいる。そんな子供たちは廃棄物とされ、里親送りという名の廃棄処分にされてしまう。科学者らは子供たちの様子など気にも止めず、己の知的好奇心を満たそうとその幼い体を切り刻み、弄んだ。
そんな悪夢のまかり通る場所で、当時新任だった葦戸博士が着任。そして廃棄物処理の現場監督を任された。
その現場を見て、博士が何を思ったのかは知る由も無い。ただ彼は着任後一ヶ月で合流した協力者と共に、警備員・職員数名を殺害。当日廃棄予定だった子供たち8名、廃棄予備・保留者24名の計32名を連れ、施設を脱出した。この中には幼少期の自分、一木や島田も含まれる。
以降、救出された子供たちは博士とのネットワークを各々の手段で確立させ、各地に潜伏している。自分や一木たちの様に、未だ博士に差し向けられる追手を排除するため、もしくは博士の研究協力のために博士の自宅、その周囲に住む者も少なくない。
そして施設の人間から姿を隠し、時には撃退し現在に至る。
「ハア、今回も失敗か。真っ当な設備も無いとはいえ、毎回危険な目に遭わせてすまない」
「いや、それを承知で受けてお金もらってる身だし。謝らないでくださいよ」
この人は本来、実験台も自らがなり研究を完成させるつもりで居たが、孤児院時代の恩が自分はあったため、自ら被験者を申し出た。始めは断られていたが、ある理由から実験への参加を許可される。
「それに今回は失敗って訳でもなさそうですよ」
「ん? どういうことだ」
葦戸博士がこちらを向く。
「心傷風景への接続はおそらく成功しました」
「本当か?!」
博士が身を捧げ続けている研究内容。
『心傷風景と重篤な精神的
実験施設にて、凄惨な現場を目にしてしまった子供達も多く居た。その子らの心を救おうと博士は躍起になっている。
資金面が心配だが、施設襲撃事件前からの協力者が出資してくれ何とかなっているそうだ。
事前に読み取った脳波、トラウマに関する情報の入力を元に、観測者となる人物が対象者のトラウマ体験を専用装置を用い擬似体験するという研究。なお、擬似的とはいえトラウマを体験するという名目上、観測者保護のためにトラウマ体験は抽象化されている。
そして今回、初めて心傷風景への接続が出来たのだ。
(しかし……)
「博士、すいません。心傷風景への接続の前におかしな夢を見てました」
「いきなり暴れだしたり、叫んだ理由はそれか」
「はい。現実に則す形で見分けがつかなかったですね」
(そう、あれは夢だ。夢だったはずなんだ)
しかし夢とはいえ明石が死んだ。朝日のきらめきが照らし出す、カーテンレールにぶら下がった彼女の遺体。神々しい背景とはひどく不釣り合いに不道徳的な光景が、頭から離れない。その動揺は微かな怒りとなり、額に痒みを覚える。
「頭のICチップの調子も悪いのか?」
博士が聞いてくる。自分の額、傷の部分にはICチップが入っている。それは博士の実験と平行して進めている治療に関係がある。
「調子が悪いって訳ではないみたいです」
(また、嘘をつくのか?)
黙れ。博士の負担をこれ以上増やしたくない。
「じゃあ、今のところ声は聞こえていないんだな」
「はい」
(よくもまあ、スラスラと嘘が言えるもんだな)
博士の言う声とは、この永遠とうるさい脳内音声のこと。
もちろん自分以外には聞こえない。普段は思考に沿ったような発言しかしない声ではあるが、こうして内容が思考と乖離して、会話になる様なこともある。
この状態による人格分離を防ぐため、思考抑制を主としたICチップによる治療を行っている。通常の投薬治療は効果を示さなかったための措置だ。しかし、このICチップが心傷風景潜るための機器の接続にも一役買っているため、一概に治療のためだけのものではない。
「そうか、まあアレだ。無理はすんなよ」
博士への罪悪感はある。自分の様な被験者は多く居ても、博士はたった一人しかいないのに、自分の治療なんかをさせてしまっていることが苦痛だ。
(そんなこと言ったら、博士悲しむぞ)
そんなことは分かってる。物事には優先順位があることも。たまたま自分の精神状態の安定よりは、博士の健康の方が優先順位が高かった。それだけだ。
そしてまだ、解決すべき疑問が残っている。
「博士、心傷風景実験の被験者情報って、やっぱり開示出来ませんか」
「個人情報だしな、そこは諦めてくれ。こんな怪しい医者もどきを頼るくらいだ。 患者の状況も察してやれ」
至極、その通りだ。いくら被験者とはいえ守られるべき、尊厳がある。例え公認されてもいない、実験段階の治療に縋るしかないほどに心が壊れていたとしても。
先程見た、心傷風景。今日、雨降る帰り道での出来事。
あれだけ符号が一致するならば、この推測はほぼ間違いない。
(あの心傷風景の持ち主は、明石だ)
重要なポイントは抽象化されているとはいえ、ある程度分かる。
(ならば、自分には出来る事がある)
「あ、そういえば。隣に可愛い女の子が越してきただろ?」
「はい。明石さんですよね。挨拶は済ませましたよ」
机に向かいつつ博士は尋ねる。
「まあ、何だ。一人暮らしで色々と苦労してるだろうから、助けてやってくれ」
「そう、ですね」
言質は得た。
(と思って良いのだろうか)
「お疲れ、今日はもう終わりだ。ほれ、日当」
金の入った封筒が渡される。
「ありがとうございます」
「おう……飴はいるか?」
治療やバイトが終わった後、決まって博士はこうやってお菓子を勧めてくる。まるで、予防接種した子供へのご褒美シールの様に。
「いえ、遠慮しときます」
「そうか……」
断ると悲しそうな顔をするのもお決まりだ。
「冗談です。二個、お願いします」
「そうか!」
同じ言葉でも、声色に含められた感情はこうも違うものか。
「では、失礼します」
軽く頭を下げ、一○一号室を出る。
(良いのか?うっとうしい声が消えるチャンスがあったんだぞ)
それよりも優先すべき事が出来た。頭のICチップは調整せず、そのままにする必要がある。
また夢を見るために。
足早に自室、一○二号室に戻った。
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