2章 夢に壊れる
第4話 消えない火傷と止まない雨
アスファルトが焦げる様な臭いがする。排気ガスに似た独特の臭気は、ある天気の変化の前触れだ。
空が暗い。まだ日は出ている時間帯のはずなのにどんよりとした曇り空がこちらの気分まで暗くする。曇り空が人の気分に影響するのはどうやら科学的にも証明されているらしいと、何処かで聞いたような気がする。具体的には、曇り空が多い地域と青空が多い地域では自殺率が違ってくるのだとか。
明石と並び、靴箱へ向かう。
明石の方を見る。
まだ会って日も浅いのに、どうしてこの人は自分を信用してくれたのだろうか。あるいはそう見えているだけなのか。
「部活は入らなくて良いの?」
当たり障りのなさそうな質問をしてみる。
「うん……面倒だし。バイトもしなきゃいけないからね」
「理由は一緒かぁ。自分もバイトがあるから部活は出来ないな」
「そういえば、荷物はどうしたの?」
明石からの質問。
「全部、ロッカーに放置。今日とか雨降りそうだし」
「そっか、私もだよ」
どこか拙い会話が続く。何だか、いつもの調子が出てこない。
「あ」
(くそう、雨が降ってきたな)
窓の外を見るとぽつぽつといった様子ではあるが雨が降っている。階段の踊り場、明石が立ち止まる。
(どうしたのだろうか)
一瞬、明石が親の敵を見るかの様な歪んだ表情で窓の外を見ていた。何事か、分からず視線の先を明石に気付かれないように見る。
しかし、外には何も見えない。
何か、とても見てはいけないものを見てしまった様な気がする。
「雨の日って、気圧で頭が痛くならない?」
明石が聞いてくる。ほっとした。
「明石さんは、偏頭痛持ち?」
「そう。こんな日は頭痛薬が手放せないよ」
良かった。さっきの表情は背筋が寒くなるほどのもの。他愛のない会話をする内に、靴箱の方へ着いてしまった。
「傘は持ってる?」
一応、明石に確認してみる。雨が本格的に降り始めた。
「うん。持ってるよ」
そう言って、傘立ての方へ明石が向かう。自分も傘を探しに同行する。雨の日、傘立てで自分の傘がなかなか見つからない時間が地味に嫌いだ。だから、自分の傘にはランタンの形をしたキーホルダーを付けている。
(そういえば、傘って……)
いつだったか、夢で傘を探していたような。
でもこの傘、この前コンビニで買ったやつだし……
変な幻聴染みたものに左右されるのもおかしな話ではあるが、あの違和感にはどうにも心を乱されてしまう。
「帰ろう」
明石も傘を見つけた様だ。
「ん?」
明石の持ってきた傘、それは紳士用の大きなものだった。
別段、紳士用の傘を女子が持っていても不思議ではない。
しかし、明石の持つそれはどこか異様だった。
色は黒。持ち手はアーチ状に曲がっておらず、鉄パイプの様に太い芯が剥き出しになっている。傘の骨も、一般的なものに比べ太く頑丈そうだ。長く使っているのか、布部分には小さな穴がいくつか開いている。
「あ、これ? すごいでしょ。台風並みの風にも耐えられるんだよ」
ジロジロと傘を見過ぎていたのか、明石が説明してくれる。
「確かに、凄い頑丈そうだ」
ありがちな、面白みもない回答しか出来ない。
(どうしてしまったのだろうか)
普段から会話が上手いわけではないが、思考に霞がかかったような気分だ。明石の傘について話題を広げることも出来ただろうに。
「相合い傘じゃなくて残念だったね」
悪戯っぽく明石が言う。
「本当にな」
何故か、心からそう思った。少しでも彼女の隣に居ることが出来ないことに、自分は心底残念に感じたのだ。雨脚が強くなってきた。
「そ、そっか」
傘を開いて、明石は足早に外へ出てしまった。
(どうして、本当の顔を見せてくれないのだろう?)
一瞬、思考と足が止まる。
(今、自分は何を考えていた?)
「あ、ヤバ」
明石が雨の中こちらを振り向き、来てないことを心配している。
(向かわなくては)
学校の校門を出て、少し離れた交差点で追いついた。明石は信号待ちながら、こちらの何回か振り向いて自分の様子を確認していたようだ。
「どうしたの?」
明石は心配そうに聞いてくる。
「いや、何でも無いよ」
素っ気ないかもしれないが、本当に何もない。交差点は雨という天気もあってか普段よりも車が多い気がする。アスファルトの地面にはいくつか水溜まりが確認できる。走行する車の中には地面の水を跳ねているものもいた。
不意に、トラックが目の前の横断歩道を横切る。その際、付近の水溜まりから大量の泥水を巻き上げ、自分と明石は正面からそれを浴びることになってしまった。
(あぁ、もうツイてない)
自分は良いが、明石に泥水をかけたのは許せない。
「大丈……」
「見ないで!!」
明石を心配し、自分の右にいる彼女を伺う。彼女は今まで聞いたことのない大きな声で自分の声はかき消される。
「なっ」
一瞬だけ見えた彼女の左頬。そこにははっきりと分かる程、残った火傷の跡があった。
「見ないで、お願い……」
傘は落とし、地面にうずくまり、自分から顔を背けている。
(まずいな、周囲の人が反応している)
何事かと人だかりが出来始めていた。
優先すべきは。
自分の学生服の上着を脱ぎ、明石に頭から被せる。明石の耳元で小さく必要最低限の情報を話す。
「走るよ」
自分の傘を閉じ、同じ手で明石の傘を拾う。
もう一つの手で明石の腕をつかみ一気に走る。足取りは弱々しく、すぐにでもこけてしまいそうだ。
(ならば、)
人混みを抜け、路地に入る。
一度、立ち止まりつかんだ腕を放す。腰を落とし、準備をする。
「……おぶる。とりあえず家までは送るよ」
何が最善解か、分からない。でもこうするしか思いつかなかった。上着で顔を隠した彼女が小さく頷く。
あの傷は明石にとって余程見られたくないものだったのか。
推測だがあの傷は化粧品の類いで隠していたのだろう。こうも早々にばれてしまっては隠してた意味が無い。先程跳ねられた泥水なのか、水滴は絶え間なく滴っている。
「傘、返して」
「ああ、うん」
声はいつにも増して元気がない。
傘を受取り、開くと明石は負ぶさってくれた。
「ごめんな」
先程、つい驚いて声を出してしまった。
そのことに対する謝罪だった。
「許さない」
(そうか、それで良い)
憎しみだけじゃない、その感情の内側へ。
いつか触れることを許してくれるだろうか。
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