第3話 汚れた白米と施しのクリームパン
朝の授業開始前、明石を一木たちに紹介出来たのは今日一番の収穫だっただろう。
昼休み前の4限目。
授業は憂鬱だ。だって何を言っているのかが分からない。
(よく高校入れたよな。)
数学の授業のはずだが、教科書を開いた瞬間、見慣れない数式の数々に感じたことといえば、これノートにたくさん書いてたら格好いいだろうなという実に子供じみた妄想だけだった。
明石の方へ目線をやる。彼女は教室の一番窓側、その中程にいた。まっすぐと黒板を見つめる姿は一種の理想の学生像のような気さえする。自分はというと窓側から二列目後方、つまりは合法的に明石を視界に入れることが出来る位置に鎮座。
(教卓から見ると、不自然極まりないことに触れてはいけないぜ!)
ふと、明石のノートに目線を移す。
(すごいな、分かるのか)
綺麗に取られた板書は白紙に規則的な文字列を配置する。おそらくは質問しようと考えているのか、はてなマークの下に箇条書きにされた文言が確認できる。ノート右端に何か書いてある。
「ん……ハッ?!」
猫だ。猫の絵だ。しかも彼女がペラペラとその位置のページだけめくっていることから察するに……
(この子、授業中にパラパラ漫画描いてル~)
明石によって命を吹き込まれた猫はヨチヨチと行った様子で歩き、最終的には丸くなる。なんとホッコリした情景か。
明石のノートばかりが気にかかり、あっという間に昼休みになった。
クラスメイトは各々の弁当、もしくは学食、購買に駆け込む中、来島は考えていた。来島は弁当勢だ。されどその弁当を開くのには躊躇いがあった。
一つ、ため息を吐く。およそこの世で最も必要無い覚悟を決めて、弁当の蓋を開ける。中身は一面を埋め尽くす程の白米。そしてわずかばかりに添えられているのは紅生姜。こういった日の丸弁当にありがちな梅干しは、苦手だ。
ましてや万年金欠状態でおかずを豪華にするなど、不可能。自炊も出来ないことは無いがより値段を抑えたりするよりは、もういっそのこと食べないという手段をとった。紅ショウガ以外も漬けてみると良いかも。
こんな弁当を誰かに、特に明石には見られたくないので今日のランチタイムは体育館裏である。ヤンキーのたまり場とか有りそうなモノだが、ひっそりとした雰囲気と日陰が同居しており、中々良い感じだ。
それにさもしい偽日の丸弁当とも明日からはおさらばである。
「明石が作ってくれんのかぁ」
なんとも感慨深い。高校デビューというやつだろうか。人生好転期に入ったといっても過言ではないかも……
ビシャッ。
鳥の糞が弁当に直撃。幸い制服への被害は免れたが、白い汚泥がくっついた弁当を食べようとは思えない。うんだけにとか言ってなんとか気持ちを前向きにしたいところだ。
「うん、過言だったわ!!」
若干、涙目になりながらも残りはゴミ箱にシュートした。
「ぶはははは!」
誰か吹き出した声が聞こえた。
(まさか、見られたあ!)
こちらを指さし嗤っている人がいるではないか。
(つか、人を指さすんじゃないよ!)
不運続きすぎである。人生転落期にでも入ったというのか。
「やっっば! 鳥の爆撃されるだけでもレアなのに! 弁当に落ちるとか! やっっば!」
う、うざい。
言われっぱなしでは、腹の虫も収まらないというモノ。
「うるせェ! 見せもんでねえぞお」
振り返りつつ、威嚇をしてみる。肝心なとこが何だかナマってしまい非常に残念なやつになってしまった。
「あはは! ゴメン、ゴメン。あんまりにも面白かったからさぁ」
爆笑してるのは色素薄めな髪をショートカットにした女子。身長は165以上はありそうだ。つり上がった猫目が近寄りがたい印象を与える。だが先の話し方から割とフランクな人物でなのか。右手に購買のジャムパン、左手には飲み物でも入っているのか、ビニール袋を持っている。
「うっ」
ここで問題発生。
(スカートが短すぎであります! え、何怖い!)
人のファッションにとやかく言いたくはない。またこれがセクハラに当たるかもしれない。
(生足に目が行ってしまう罪深き私をお許しください、神よ。そして、ここまでの思考0.1秒!!)
「おっ、緑の上履きってことは君は一年かぁ」
(あっ、はい。自分の葛藤はスルーなんですね)
この学校、県立峰富高校は学年によって上履きの色が違う。今年の一年は緑、対する少女は青。て、ことは二年。
「うっす、先輩」
態度は華麗にトランスフオーム。お辞儀は頭を45度下げるんだっただろうか。
「礼儀はしっかりしてるみたいだな。感心、感心」
上機嫌にうなずく姿はどこか子供っぽくも感じる。
「ところでウンコくんは、入学早々ボッチ飯かい?」
あだ名と偏見のダブルパンチである。
(やだ! あたい生きていけないかも!)
「先輩、そのあだ名はご勘弁を。あとボッチ飯なのは訳があるんです」
「まぁ、そんなのはどうでもいいんだよォ。名前は?」
(えぇ、よくないよォ)
会話におけるペースを完全に持って行かれた感じが否めない。
「ううぅ、来島善。1-Dっす。好きな食べ物は学食のジャムパンです。パンツは黒のボクサーです」
「後半が要らない情報のオンパレードだなぁ。あと、このジャムパンはあげないよォ」
先輩が右手に持つ、ジャムパンを隠す。
(チッ、貰えるかと思ったのに)
「私はね、
ヘラヘラと笑い、自己紹介。
何だか掴み所のない人だ。
「そっすか、伏見先輩」
「おっ、分かってるねえ。いきなり彼氏面してきたらぶん殴ってたよォ」
「何なんすか、そのアメリカンなノリは」
(あっっぶねえ)
「君、気に入ったよ。気に入ったから、これあげる」
そう言ってジャムパンを持っていた手とは反対の手に持っていたビニール袋をガサゴソとあさる。
「ほい」
「こ、これは!!」
ただの購買のクリームパンである。
「先輩からの施しだよォ。ありがたく受け取るがよい」
「ふへぇ、ありがたやぁ!」
一気にがっつく。正直腹が減っていたので食べ物なら何でも嬉しい。
「何かぁ、野良犬に餌付けしてるみたい」
「(ご自分でやっといて一連の流れを引かないでくれますかねぇ!)」
奇妙な出会いを経て、昼休みが終わった。
午後の授業は怒号の勢いで過ぎていった。具体的には寝ていたがために、時間が早く過ぎたように感じただけである。自分は目を開け、良い姿勢のまま寝ることが出来る特技があるため生まれてこの方、授業中の居眠りに気付かれたことはない。
(絶技、インビシブルスリープと名付けよう)
阿呆くさワールドを最大出力で展開させ脳内のハッピーを保つ。
放課後、時計は16時15分を指している。21時からバイトのため体力は温存したいとこだ。
「ねえ、来島くん」
「ん? どしたの」
今日は放課後部活動の見学会もあったはずだ。自分はともかく明石は参加しなくて良いのだろうか。
「一緒に帰らない? 帰る方向、同じでしょ」
(ふええ、勘違いしちゃうよぉ)
ラブコメならお約束、ドキドキの下校タイムが始まる。
(もう! アタイ、振り回されちゃう!)
あまりの動揺に脳内音声も心なしかオネエじみてきた。
「お、おう。ええで」
(ヤバい、陰キャ丸だしの返答……)
明石の方を見る。明石が背にしてる窓ガラスには後ろ手に小さく握りこぶしを作っているのが映っていた。
これはどういう反応だなのだろうか。
喜びのガッツポーズなら嬉しいし、可愛い子とこの上ない。
もしかして殴ろうとしてるモーションだったら悲しい。この子の表情のデフォルメはどうやら微笑状態の様で、何を考えているか伺いづらい。
「じゃあ、帰ろ」
「あ、うん」
(何か、極端に語彙力が死んできたな)
人とは緊張するとこんなにもポンコツになるのか。それとも自分がポンコツなだけなのか。
外を見る。
今日は夕方から天気が急変すると天気予報で見たが曇っているだけで、今すぐにでも降り出しそうな気配はない。だがどうにも不安で今日は自転車登校は止めて傘を持ってきた。
(そういえば、)
「行きも一緒に登校すれば良かったなあ」
独り言をつぶやく。確か明石は自転車を持っていなかった様に思う。
(くそォ、自分に誘う勇気があればなあ)
無い物ねだりであろうか。
(明日は朝会う時に、誘ってみよう)
つまらないことに思考をさくから、声も同調している。
「そっか……」
か細い声で、密かに明石は相好を崩し、頬も微かに朱に染まっていた。
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