第2話 革財布と酔っ払い

 ピンポーン。


金沢かなざわ まいです。ツヨシくんいませんか?」


「今、準備するから待っててー!」


「あっ、ツヨシくん。うん、待ってる」


「ほらケイコ、散歩に行く時間だぞ」


「ワウワウ!」


「マイお待たせ。今日も一緒に公園まで行こうか」


「うん。私がケイコちゃんのリード持つね。私でいい?」


「ワウワウ!」


「本当にケイコはマイのことが大好きだよなぁ」


「私もケイコちゃんのことが大好き。ねぇ、ケイコちゃん、今の『ケイコはマイのことが大好き』のケイコはってどういう意味なんだろうねぇ」


「ワウワウ!」


「え? どういうこと? 俺わかってないんだけど」


「ううん、何でもない。私の塾の始まる時間が17時からで、時間がもったいないから早く公園に行こうよ。歩いている時も話をしてもいい?」


「おう、散歩しながらでいいよ。どんな話をするの? オチが無い話は嫌だよ」


「オチっていうか、ツヨシくんに質問なんだけど……」


「質問?」


「一緒に散歩に誘ってくれているのは嬉しいんだけど、どうして待ち合わせ時間が16時なの? 私が学校帰りに直接ツヨシくんの家に向かったら、もっと早い時間に来ることが出来るのに」


「俺にとっては、16時〜18時がマジックタイムなんだよねぇ」


「マジックタイム?」


「1日の間で夜の時間は寝ているし、そもそも夜に中学生が外を歩いていたら警察に補導されるだろうし、午前中や学校のある時間に外を歩いていても中学生がこの時間に何をやっているんだと補導されるだろうしさ。そして、学校帰りの15時台は同じクラスや違うクラスの帰宅部の子たちに会うのが嫌だし、18時を過ぎると今度は部活帰りの子たちに会うのが嫌なんだよねぇ」


「ということは、1日の間で外に出られる時間が16時〜18時の、ツヨシくんが決めてるマジックタイムしかないってこと?」


「うん、今はそうだねぇ。外に出られる魔法の時間だから」


「……学校に来ればいいじゃん」


「あのねぇ……、その言い方は、俺にケンカ売ってんの?」


「あっ、ごめんなさい……」


「……まぁ、学校に行けていない俺が悪いんだけどさ」


「ワウワウ!」


「ケイコちゃんもごめんね。私が変なことを言ったから……」


「ワウワウ。クゥー……」


「でも、ケイコには本当に感謝しているんだよ。ケイコがいなかったら散歩に行っていないから、俺はずっと家から外に出ることはなかったかも」


「……そう、ケイコちゃんは本当にツヨシくんから感謝されているんだね」


「ワウワウ!」


「ん? なんだよケイコ」


「ワウワウ!」


「あっ! マ、マイにも感謝してる……」


「なにそれー。めちゃくちゃ私が言わせた感じになってるじゃん」


「なんだよ。思っているだけじゃなくて、ちゃんと口に出して言ったからね。そんなこと言うならもう言わないから」


「……ツヨシくん、ありがとう」


「ほら、会話してたら公園に着いたぞ」


「私の塾の時間まで、いっぱいお話をしようね。公園ではケイコちゃんのリード離してもいい?」


「リードは持っておいて。疲れたら俺が持つからさ」


「うん、わかった。疲れてないから私が持っておくね」


「前に公園で放し飼いにしてたら、他の犬とドッグファイトって言うのか盛大にケンカしたことあって。俺が止めに入ったんだけどさケイコが意地になっちゃってさ、次第に観客みたいに人も集まって来ちゃって、その観客の1人のオッサンが『こんなドッグファイト、一生に一度しかお目にかかれねぇぞ』なんて言うんだよ」


「なにそれー。何かの映画のセリフみたいじゃん」


「うん、そんなことがあってから家の外ではリードをずっと持ってるんだよ。ケイコは怒ったら手に負えなくなるからなぁ……」


「ワウワウ!」


「ケイコちゃんもそうなんだね。私みたいな性格なんだね」


「えっ?」


「ううん、なんでもないよ」


「あっ言い忘れてたけど、マイに謝らないといけないことがあって……。北海道旅行が無くなったからさ、約束してたお土産は買えない。ごめん」


「ううん、そんなの全然気にしてないよ。ツヨシくんのお父さんの病気があるから旅行に行けないのは仕方がないよ……。ツヨシくんの方がショックだよね、『初めて飛行機に乗るんだ』ってすごく楽しみにしていたのにね……」


「飛行機は……。大人になってから自分のお金で乗るよ。まぁ、中学校に行けてないから俺は大人になれるかわからないけど」


「ワウワウ。クゥー……」


「ツヨシくん……」


「ねぇ、マイはさ、旅行に行くとしたらどこに行きたい?」


「旅行?」


「そう。お金の事とか気にしなくて現実的じゃなくてもさ、今すぐじゃなくても、大人になってからでもいいからさ、こういう場所に旅行に行ってみたいとかある?」


「それ考えるの楽しそう! うーん、旅行は芝浜しばはまとかの埋立地に行ってみたい!」


「埋立地? 海ってこと? 綺麗な砂浜とかじゃなくて?」


「私は昔の地図が好きで、埋立地に行くと、昔は海だった場所に私が立ってるって思うと感動するの」


「あははっ! それは変わった趣味だね」


「ワウワウ!」


「なにそれー。ツヨシくんもケイコちゃんも私のことをバカにしてるでしょ?」


「バカにはしてないけど、マイにそんな趣味があるなんて知らなかったから意外でさ」


「他には、東海道五十三次とうかいどうごじゅうさんつぎおく細道ほそみちにも行ってみたい!」


「奥の細道?」


松尾芭蕉まつおばしょうが俳句をみながら歩いた場所だよ。『夏草なつくさつわものどもがゆめあと』などが有名でしょ」


「あぁそれか! なんで行ってみたいの? 昔の道だから?」


「うん。昔の人たちが歩いた場所に私も立ってると思うと感動するの」


「なるほどねぇ。なんかその話を聞くと今日の夜、マイが夢に出てきそう」


「夢?」


「古い街並みで、無邪気なマイがはしゃいでる姿が目に浮かぶからさ。今日の俺の夢の中で、マイが得意げに俳句を詠みそうだもん」


「……ツヨシくんの夢の中に、私が出て来る予定なの?」


「そうそう! きっと出てくるよ。なんだかもうマイが好きなことがわかってきた気がするし」


「本当? すごく嬉しい。……じゃあ、私が好きな人はわかる?」


「マイが好きな人?」


「ワウワウ!」


「うん」


「その人は俺が知ってる人?」


「ワウワウ!」


「……うん」


「俺が知ってるとしたら、『スーパーミラクルファンタジー』っていうアイドルとか?」


「もう知らない!」


「ワウワウ。クゥー……」


「えっ、なんで怒るの?」


「ツヨシくんはバカなの? それとも酔っ払いみたいに私のことをからかってるの?」


「まだ中学生なんだからお酒を飲んでるわけないだろ。どうしてマイが怒ってるのか全くわかってないだけだよ」


「……私は塾の時間だからもう行くね」


「ちょ、待てよ!」


「ウゥー! ワウワウ!」


「キャッ! ……ごめんなさい。ケイコちゃんの強く引っ張る力に驚いて、リードを放しちゃった…。ケイコちゃんが急いでどっかに行っちゃう」


「大丈夫だよ。おい、ケイコどこに行くんだよ? また、いっぱいウンチでもするつもりか?」


「ウゥー! ワウワウ! ウゥー!」


「おいおい、ケイコどうしたんだ?」


「あっ、ケイコちゃんがこっちに戻ってきてくれた。何か口にくわえてる?」


革財布かわざいふの落とし物? ケイコは財布についている天使みたいな裸の赤ちゃんキーホルダーが気に入ったのか?」


「ワウワウ!」


「公園で誰かが落とした革財布をケイコちゃんが拾ってきたってこと? 一応、革財布の中を確認してみるね」


「さすがに勝手に中を見たらマズイだろ」


「運転免許証があれば、落とし主がわかるかもしれないから」


「あー、なるほど。マイは頭が良いな」


「……ちょっとツヨシくん見て! 私こんな大金見たことないよ」


「俺も、1万円札が束になってるのを初めて見た……。夢じゃないよな?」


「ワウワウ! ガブ!」


「痛っ! ケイコ噛むなよ。痛いってことはこれは夢じゃない!」


「ちょっとツヨシくん、ケイコちゃんと遊んでないでよ」


「マイごめん。運転免許証はあったか?」


「無さそう。でも、ツヨシくんこれも見て」


「これは何?」


「ハワイ行きの飛行機のチケットだよ。というか、空港でチケットを発券する時に必要な書類じゃない?」


「俺に聞かれても、飛行機に乗ったことないから詳しくわかんないよ」


「ワウワウ!」


「……ねぇ、ツヨシくん」


「ん?」


「……私、思ったんだけど」


「どうした?」


「これだけの大金があったら、ツヨシくんのお父さんの治療代になるんじゃない? これで病気が治るんじゃない?」


「バ、バカ! マイは何を言ってんだよ! 絶対に人の財布の中のお金を盗んじゃダメだろ!」


「……そうだよね。変なことを言って本当にごめんなさい。私、ツヨシくんのお父さんに元気になってもらいたくて……」


「わ、わかったから泣くなよ。この革財布は警察に届けようぜ」


「交番だったら、塾に行く途中にあるから私が1人で届けてくるね」


「まぁ、俺はどうも警察が苦手だから、マイが1人で交番に届けてくれるなら、そっちの方が助かるけど」


「うん! 私が届けてくる。もうすぐ塾の時間だから、今から急いで交番に行ってくるね! ツヨシくんまたね!」


 夕陽が落ちていく中を走るマイちゃんの後ろ姿をツヨシは手を振って見送りました。

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