第2話 ペンペンのぬいぐるみ

 冬木さんの身体は見た目通り軽くて、想像通りに柔らかかった。

 ……いや、俺は何もしていないぞ。


 泣いていた彼女を支えて店長の元まで向かっていると、緊張の糸が切れたのか冬木さんの身体から力が抜けた。仕方がなく彼女を抱きかかえてカウンターまで向かうと、丁度出てきた店長に軽く事の顛末を説明した。


 事情を察した店長が警察への連絡と注意喚起の張り紙を作成している間、俺と冬木さんはカウンターの奥の休憩室にいることになった。


 正面のソファで眠る彼女は。俺はからすれば泣き疲れて寝てしまった子供のように見える。


 すぅすぅ、とリズミカルな寝息と、天使のようなあどけない寝顔。

 静かに動く胸部に視線が向いて、俺は何度も頭を振った。


 なんだか落ち着かないな。

 俺は気を紛らわせるために飲み物を買いに外に出ることにした。

 気がつくと外はずいぶんと暗くなっていて、大通りには帰宅途中の人たちで賑わっている。

 時刻は七時を回っていた。どうりで暗いわけだ。


 俺はゲームセンターの入り口にある自販機で水を二本買って、一本を開けた。


 今日はずいぶんと疲れたな。普段からクレーマーの対応はこなしているが、今日は特にキツかったと思う。緊張で喉がカラカラだ。

 その場で飲み干して、ペットボトルを備え付けのゴミ箱に捨てる。


「よし、戻るか」


 休憩室に戻ると、どうやら冬木さんは目を覚ましたようで、あたりをキョロキョロと見渡していた。 

 あ、目が合った。冬木さんは俺に気がつくと、「きゃっ」という可愛らしい声と同時に、かけてあったブランケットで顔を隠した。


「起きたんだ。お水あるけど、飲む?」


 何を言えばいいかわからなかったけど、とりあえず当たり障りのないことを言ってみる。

 冬木さんが頷いたのでペットボトルを渡すと、彼女はこきゅこきゅと喉を鳴らして飲み始めた。

 

 うん、かわいいな。

 素直にそう思った。


 冬木さんも喉が渇いていたのだろう。

 一気に半分ほど飲んだ彼女は満足げに目を細めた。

 

 それから俺がいることを思い出したのか、こちらを見てから顔を真っ赤にして俯いてしまった。


「あ、あの…………私のこと、知ってるの?」


 それからしばらくすると、冬木さんは俺にそんなことを聞いてきた。

 俺は驚愕した。知っているも何も、君は有名人じゃないか、と。


「もちろん。同じクラスだからね。入学して二ヶ月も経てば、クラスメイトの顔と名前は覚えられるさ」


 なんとなく、それを指摘するのは野暮だと思った。

 それに、わざわざ「あなたは『深窓の令嬢』と呼ばれています」と言うのもおかしな話だ。


「そ、そっか。……ありがとう」


 ん? ああ、水のことか。それくらい別にいいのに。


「いや、俺もさっき飲んできたからさ」


 だから気にしないで——。

 そう言って首を振ると、なぜか冬木さんの顔が険しくなった。 


 何かまずいことを言ってしまっただろうか。

 そう心配していると、冬木さんは持っていたペットボトルを強く握って「それもあるけど……」と言って、上目遣いで俺を見つめていた。


「さっき、助けてくれたよね」


 先ほどのことを思い出したのか、冬木さんの肩は少し震えている。

 あれだけ恐ろしいことがあったのだから仕方がない。


「……俺に感謝される資格はないよ。そもそも俺が早く駆けつけてさえいれば、冬木さんがあんな酷い目に合うことも無かったかもしれない」


 本当にごめん、そう言って僕は頭を下げた。


「あ、謝らないで! 夜鷹くんは、私を助けてくれたんだから……!」


「それでも……」


「お願い! 私の恩人に謝らせないで!」


 ………………。

 …………………………。


「………………ん?」


 えっと、俺に俺を謝らせるな……って、こと? 

 随分と回りくどい言い方をするんだな。


「わかったよ」


 とりあえず頷いておく。


「それに……」


 それに?


「あ……なんでもない」 


「そっか。ところで、冬木さんはよくここに来るの?」


 彼女が言い淀んだため、俺は話題を変えることにした。


「ううん、ゲームセンターに来るのは初めてで……少し気になるものがあったから」


「気になるもの?」


 そう言って自分の鞄を差し出す冬木さん。

 口は開いていて、冬木さんは鞄を開くようにしてテーブルの上に乗せている。


 ともすれば、中身を見ろ、ということだろうか。

 女子高生の鞄の中身を覗くなんて背徳的な行為、俺に耐えられるのか……?


 そんなことを考えながら恐る恐る中を除くと、俺は不意に「へぇ……」と感嘆の声を漏らして、


「……なんか、変態的だね」


 と言ってしまった。


 あまりに直球的な俺の言葉に冬木さんは耳まで真っ赤にして、それを隠すように手で押さえていた。 


 冬木さんの鞄の中身はとあるキャラクターグッズで埋め尽くされていたのだ。

 それだけなら「冬木さんって可愛い物が好きなんだ。知らなかったな」という無難なコメントを述べて終了だろう。

 

 ただ、冬木さんの持っている量がハンパじゃなかった。

 

「財布に携帯はともかく、小さいぬいぐるみをここまでパンパンに詰めるか……? って、筆記用具まで……あれ、冬木さん。これって学校でも使ってたっけ?」


 ほとんどぬいぐるみしか入っていない鞄の奥から筆箱を見つけて、俺は冬木さんに聞いてみた。


「……それは自習用。学校で使ってるのは教室に置いてあるの。……一応、家にはキャラノートもある」


 ……なるほど。

 冬木さんはこのキャラクターが好きで好きで堪らないんだろう。

 それにしても制鞄にここまでぬいぐるみを詰め込むなんて、もはや恐怖を覚えるレベルだ。


 すっかり臆してしまったが、俺はこのキャラクターをよく知っていた。


「もしかして、ペンペンのぬいぐるみを取るためにゲームセンターに?」


 ペンペンとは、察しの通り冬木さんが大好きなキャラクターのことだ。

 ペンギンをモチーフにしたマスコットで、デフォルメ化された二頭身と、その丸っこい顔と潰れた表情が特に若い女性に人気がある。

 専門ショップもいくつかあって、その人気は折り紙付きだ。


「そ、そうなの! 私ね、昔からペンペンが大好きなんだけど、あの丸っこい顔が本当に可愛くて……! 小学生の時にお母さんに買ってもらったぬいぐるみ、今でもお部屋に飾ってあるの!」


 スイッチが入ったのか、先ほどとは打って変わって冬木さんは途端に饒舌になった。


「今まで出たぬいぐるみは全部持ってるんだけど、『SAGA』とコラボしたオリジナルのぬいぐるみはクレーンゲームにしかなくて、だから————あ、」


「どうしたの?」


「あ、えっと、喋りすぎたかなって……」


「そんなことないさ。俺はそっちの方が接しやすいし、話していて楽しいと思ったよ。学校でもそんな感じでいればいいのに」


「でも私、友達が少ないの。こうやってお話しできる人がいないから……」


 友達が少ない、その言葉に俺は妙な違和感を感じた。

 たしかに冬木さんは学校でいつも一人でいるし、友達と呼べるような人を見かけたこともない。


 みんなが知っている彼女はいつも一人でいて、近寄ることすら避けてしまうほどの清廉さを感じてしまう。

 だけど、冬木さんと話したい、仲良くしたいって思っている人は沢山いるはずだ。


 それに、いまここで話している冬木さんがあの『深窓の令嬢』と一緒だとは到底思えない。

 目の前の彼女は俺の言葉に顔を赤くしたり、鈴のような可愛い声で俺の名前を呼んでくれる。


 だから——


「じゃあ、俺と友達になろうよ」


「え、いいの……?」


「もちろん、俺は大歓迎だよ」


 そう言って、俺は冬木さんに微笑みかけた。


 冬木さんは目尻に涙を浮かべて、


「ありがとっ、夜鷹くん!」


 と可愛らしい声で言った。




 こうして俺は冬木さんと友達になったのだった。

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人付き合いが苦手な『深窓の令嬢』は、俺の前では甘々なようです。 @anniversary

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