人付き合いが苦手な『深窓の令嬢』は、俺の前では甘々なようです。

@anniversary

第1話 『深窓の令嬢』

 金曜日の放課後、駅の近くのゲームセンターでアルバイトをしている俺は、ある一人の少女の姿に目が止まった。

 

「うーん……五センチ? ううん、あと三センチくらいかも……」


 俺の視線の先には、最近入荷したクレーンゲームの最新機(景品・可愛いぬいぐるみ)の前で、ガラスにおでこを引っ付けながらアームと睨めっこをする女子高生がいた。


 左手をレバーに添えて、右手の指で距離を測りながら熱心にプレイする彼女だが、俺には見覚えがあった。


「冬木さん……だよな、あれ」


 ——冬木雪葉。


 俺と同じクラスの女子生徒で、学校では『深窓の令嬢』と呼ばれている。


 ゆるく巻いた淡い栗色の長髪、化粧要らずの大きな瞳と長い睫毛。鼻筋は整っていて、ピンクの甘い唇は幼げな顔に魅惑を感じさせる。

 加えて、華奢でありながら女性的な魅力のある体付きも、特に男子から人気がある。


 だけど、冬木さんに告白をする男子はほとんどいない。

 恐れ多いと感じてしまうらしい。自分が彼女と付き合うことを想像はするが、口に出すことすらおこがましい、と。クラスの女子でさえ友好関係を築くことに一歩引いてしまうほど、彼女には独特な雰囲気と清廉さがあった。


 そして、冬木さんに対する意識が決定づけられたのは、俺たちが入学して一ヶ月がたったある日のこと。その日は一つの話題が学年に上がった。



 

 ——冬木雪葉さん、よかったら昼休みに屋上に来てくれないかな。




 そういって彼女を呼び出したのは隣のクラスの橋本くん。冬木さんほどではないが、彼も十分に有名人だった。イケメンでサッカー部の一年生エース。女子人気ナンバーワンの橋本くんだ。


 彼は以前から冬木さんについて口にすることが多かったみたいで、その噂を聞いた俺たちが『告白』の二文字を想像するのは容易だった。

 

 眉目秀麗で、将来有望なサッカー選手。成績も悪くない。

 橋本くんなら冬木さんに釣り合うだろう、俺たちはみんなそう思っていた。


 けれど——、




 指定された昼休み、冬木さんはいつものように教室でお弁当を食べて、文庫本を呼んでいた。




 彼女は告白を断った。いや、正確には応じることすらなかった。

 冬木さんの周りには淡々と彼女だけの時間が流れているようだった。


 その時、僕たちは思った。

 冬木雪葉は自分たちとは違うのだと。

 そう、思ってしまった。


 故に、

 冬木さんはいつも一人で行動している。

 休み時間に誰かと一緒にいるところを見た事がないし、授業のペア活動もいつも先生が相手をしていた。

 教室の窓際、後方の席でいつも文庫本を読んで過ごしている。

 誰よりも美しく、そして時折見せる儚げな表情から、いつしか彼女は『深窓の令嬢』と呼ばれるようになった




 ……なんて安易なあだ名だろうか。言い得て妙ではあるけど。


 俺はしばらく冬木さんを観察していた。

 なにやら先ほどからアームの位置に納得がいかないらしく、レバーを弾くように動かしてみたり、動くかギリギリのところを攻めてミリ単位の調節をしているようだ。


 たまに「あー!」とか「むー!」とか唸るもんだから、俺はおかしくなって冬木さんの姿を凝視してしまっていた。


 時間切れになったのだろう。冬木さんの「え、あれ? どうして?」という声が聞こえてきた。


 おそらく冬木さんの希望とは違う場所にアームは降りて、その爪は空を掴んだ。成果のない景品取り出し口はなんとも寂しげで、それを見た冬木さんが今度は自分の財布の中身と睨めっこを始めた。


 カウンターにいた俺はとうとう吹き出してしまい、奥にいた店長に「んー? 大丈夫?」と心配されてしまう。笑い声を堪えながら店長に「大丈夫っす」と答えて視線をクレーンゲームコーナーの方に戻すと、なにやら軽薄そうな男性の声が聞こえてきた。


「ねーねー、それさ、取れないんしょ? 俺が取ってあげるよー」


 そこには以前から問題のあった隣町の高校生がいた。

 一応、店長が出禁にしたって聞いていたけど、どうやらこういった連中には効かないらしい。


 冬木さんはチャラチャラとした男たちに話しかけられたことに困惑している様子だったが、すぐにクレーンゲームの方に向いて新しい百円玉を投入した。

 相手にしないことを選んだのだろう。冬木さんらしい。


 その隙に俺は店長を呼びにカウンターの奥に行こうと足を踏み出した。

 その時だった。


「へっ、やりー! そんじゃあ俺がやってあげる!」


 冬木さんの態度を肯定と受け取った男が、冬木さんに後ろから覆い被さるように抱きついた。レバーを握る冬木さんの手に自信の手を重ねて、右手は彼女の腹部に回していた。


「ひっ! や、やめてください……!」


 消え入るような声で訴えるが、男は冬木さんを離さない。

 それどころか、周りの男たちが「いいぞー!」「もっとやれー!」ともてはやしている。



 ……見ていて胸糞が悪かった。

 か弱い女の子を羽交い締めにして無理やり抱き締めるなんて、ただの暴漢と変わりない。

 精神的に傷を受けた彼女が、今後どうやって生きていくか、こいつらには想像できないのか。

 もしかしたら人が怖くなるかもしれない。外に出るのが怖くなるかもしれない。

 あいつらがやっていることはそういうことだ。


 意を決した俺は踵を返す。

 そしてクレーンゲームのコーナに近づくと、男たちに向かって——


「すみません、他のお客様のご迷惑となりますのでお静かに願えますか?」


 そう言いながら、俺は冬木さんを羽交い締めにする男の方を見た。


 ……こいつ、わざと冬木さんの胸に当たるように腕を回してやがる。


 冬木さんの表情は恥辱、屈辱、悲観に囚われていて、まさに絶望を感じさせた。


 ——許せないな。


「あ・の・さぁ、店員さん、見てわかんない? 俺たちいまチョーいいところなの。らぶらぶなの。邪魔しないでよ」


 ……何を言っているんだ。

 こいつら、冬木さんの嫌がっている顔がわからないのか?

 男たちの不遜で悪びれもしない態度に俺ははらわたが煮えくり返る思いだった。


「失礼ですが、そちらの女性は嫌がっているようですよ?」


「あ? んなわけねーだろ。この女が誘ってきたんだぜ? なあ?」

「そうだそうだ」

「ったりめーよ」


「……本当ですか? 男の身勝手は女性を傷つけますよ」


「はあ? なにそれ。すげームカつくんだけど。なに、ここでヤっちゃってもいいけど?」


 俺の言葉にキレて、わかりやすく脅しまで入れてくる男たち。

 ニヤニヤとした顔を見る限り、本気ではないようだ。

 

 きっと、俺が見逃せば大人しくしてくれるんだろう。

 だけど、どれは冬木さんを見捨てることになる。

 それだけは絶対に駄目だ。


 それに……こいつらは冬木さんを傷付けた。

 意思も、尊厳も。——そして、彼女自身を踏み躙った。


 彼女とはただのクラスメイトだ。

 偶然同じ高校に通うことになって、偶然同じクラスで授業を受けている。

 これといって接点はない。彼女だって、俺のことなんか覚えていないだろう。

 特別な関係なんかじゃない。ただのクラスメイト。それ以上でも、それ以下でもない。

 ……だけど、俺はこいつらを許せそうにない。


「ん? あれ? もしかしておじけついちゃった?」

「女の前だからってカッコつけるからだよ!」

「さっさと引っ込め雑魚!」


 ……ったく、言いたい放題言ってくれるヤツらだ。

 そんなに相手をしてほしいのなら乗ってやるよ。


 俺はおもむろにポケットからスマホを取り出した。

 そして画面を操作してから、男たちに向かって、


「どうやらご納得いただけないようですね。……そういえば、あなた方は当店を出禁になったと聞いております。その際、次に問題を起こせば警察に連絡すると申し上げたはずですが?」


 そういって「110」の数字が並んだダイヤル画面を見せつけた。

 

「なんだそれ、脅しか? はんっ、やってみろよ。そんなんで俺らが引き下がるとでも——」


 ああ、うるさいな。だったら押してやるよ。


 ——ほれ。


 ポチッ。プルルッ、プルルルルルル——


「はあっ!? こいつ、マジで押しやがった!」


 冬木さんに触れていた男が慌てふためく。

 その様子がおかしくて、俺はそいつらに微笑んで言ってやった。


「あなた方の言うとおり、おまわりさんを呼びましたよ。……あれ、もしかしておじけついた、なんてことはないですよねぇ?」


 多分、今の俺は相当悪い顔をしていると思う。

 俺の言葉を聞いた男たちは、


「やっべえ、おい、行くぞ!」

「え、おい待てって!」

「うっせえ、逃げんぞ!」


 と顔面蒼白になって、最後に「覚えてろよ!」と昭和の悪役顔負けの捨て台詞を吐いて走り去っていった。


 ふう、これで安心だな。まさか『MiiTube』にこんな動画があったんなんて。

 俺のスマホには【緊急時シリーズ 〜110番〜】という動画タイトルが表示されていた。

 他にも【〜119〜】【〜189〜】とあるが、意外にも効果はあったな。

 おかげでアイツらを追い返す事ができた。


 とりあえず、今あったことを店長に報告しなくちゃな。

 ついでに防犯カメラの映像を警察に持っていってやろうか……。

 そう考えていた俺だったが、このまま冬木さんを放っておくわけにはいかない。

 冬木さんに何か声をかけようと思って、 


「冬木さん、大丈夫?」


 そう言って、俺は口をつぐんだ。

 ——何を言ってるんだ、大丈夫なはずがないだろ!


 知らない男たちに囲まれ、身体を触れられて……それで無事な女の子はどこにもいない。

 俺はなんて気遣いが下手なんだ。もっと違う言葉があったはずだ。


 無神経な言葉はむしろ相手を傷つける。

 病気を患っている人に「きっと良くなる」なんて気休めにもならない。お前に何がわかるんだと不信感を与えてしまう。

 頑張ってる人に「頑張れ!」って言葉ほど残酷なものはない。精一杯頑張っているのに、それを認めてくれないどころか、さらに頑張れと言われている気分になる。

 

 それと同じだ。辛い目にあった直後の彼女に「大丈夫?」なんて無神経な言葉、余計に彼女を傷つける言葉の刃だ。

 ——それは、俺が一番よく知っているはずなのに。


「冬木さん、あの——」


 そう言いかけて、彼女が上目遣いでこちらを見ていることに気がついた。


「……よたか、くん?」


 はい、夜鷹です。名前覚えててくれたんだね。

 そんな場違いな感想を抱いた瞬間、目の前に立つ冬木さんの表情が大きく歪んで、その端正な顔に大粒の涙が流れた。


「う、ううぅ……うわあぁぁぁぁぁぁぁぁん!」


 ……うん、どうしよう。

 

その場にしゃがみ込んで泣き叫ぶ彼女の姿はまるで子供のようで、学校にいる『深窓の令嬢』の影は欠けらもなかった。

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