第12話 ラインの真珠
Guten Abend!
おじいさんの元気な挨拶だ。奥から若いお姉さんが出てきて、席に案内してくれた。
店はその南側はほとんど窓になっていて、天井も高く開放感があった。内装も落ち着いていて、おじいさんが言っていた良いレストランの意味が、建物の造りだけでわかった。
ドイツ語のメニューを渡され、何が何だかわからないまま、とりあえずおじいさんと店員のお姉さんのお勧めのものを注文した。そう時間を空けず地元のワインと前菜が運ばれてきた。ワインは淡いピンク色。ロゼワインという種類らしい。ワインの種類は白と赤しか知らなかった私は、これをドイツの特産品なのだと理解した。
入店したときは私たちを含めて二組しか客がいなかったのに、七時前になるとその席はほとんど埋まっていた。おじいさんの言う通り地元の人の間で人気があるのだろう。外国人と思しき人は私しかいない。
それが始まったのは前菜を平らげて、一丁前にワイングラスをコースターの上でくるくる回していた時だった。奥のドアが開いて、ギターを持った男が入ってきた。顔にはパフォーマンスのためか、仮面がついていた。
そうして、席が余っているテーブルから椅子を一つ持っていって、さっきのドアの横に座った。周囲の客は脈を打ったように静かになった。おじいさんは背もたれに体を預け、目を閉じ腕を組んでいた。男の左手が複雑に弦を押さえ、右手でゆっくりと弾き掻いた。
それは朔也だと詩織はわかった。彼女はまたしても頬に涙を流した。すぐにでも飛びつきたい気持ちだったが、押しこらえて演奏を聴いた。曲が終わるまで待つつもりだったが待てなかった。Aメロが終わったところで席を立ち、彼のもとへ駆けた。
朔也は弾く手を止めた。客からの目が一斉に二人へ向かった。詩織は、駆け寄ったはいいものの、果たして彼に何を言えばいいのかわからなかった。しばらくして、朔也のほうが先に口を開いた。
詩織、あれを見てよ。僕がずっと言っていた真珠だ。ラインの真珠のこと。君もこれを見れてよかった。これが僕の宝物なんだよ。
えーと、黙って出て行って悪かった。君に言うとついてくるだろうと思って言わないでおいた。でも、散々真珠の話をしたのは、どこか一緒に来てほしいとも思ってた。正直なところ。
そんなに泣かないでよ、最後に会ってからそう時間は空いてないじゃないか。一、二か月くらいじゃないか。
わかった。とりあえず、散歩でもしながら積もる話をしたほうがいいかな。
朔也は厨房に立っていた店長に一言二言事情を話し、彼女の手を取って店を出た。客は三割の残念と七割の祝福をもって二人を送った。おじいさんは妻以外の誰にも見せたことのない満面の笑みを送った。詩織はおじいさんに深々と一礼し、涙をぬぐった。
子気味の良いドアベルが耳の奥に残った。
二人の眼前には晩冬の凍える寒さと、黄金に輝く真珠が佇んでいた。
リューデスハイムの亡霊 大地 慧 @kei_to_sora
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