増田朋美

ある日、蘭の家にいつも通りに杉ちゃんがやってきた。多分買い物に行こうとか、そういう事だと思われるが、その日蘭は、回ってきた回覧板を開いて、何か考えていた。

「どうしたの蘭。そんなに深刻な顔しちゃって。」

杉ちゃんがいつも通りそういうことを言うと、

「いやあねえ最近、通り魔がよく出るんだって。なんでも、障碍者手帳を持っているか聞いてきて、持っていると答えると、ハンマーで殴るとか、ナイフで刺すとか、そういうことをするらしいよ。どこに潜んでいるかわからないから、気を付けるようにって、この回覧板で。」

と、蘭は答えた。

「はあ、馬鹿な通り魔だねえ。障碍者を狙うなんてどういうこっちゃ。僕たちが、金をたくさん持っていると思う?そんなわけないでしょう?何を考えているんだか。」

杉ちゃんは、いつもと変わらない明るい口調で言った。

「理由なんてわからないけどさ、すでに、男性一人が殺害されていて、もう一人は重傷なんだって。一寸僕たちも気をつけなくちゃ。」

蘭は、杉ちゃんの顔を見ながら一寸注意するように言ったが、

「そんなこと言ったって、僕らには防ぎようがないだろう。そんなこと気にしていたら、僕らは買い物にも行けなくなっちゃうよ。まあ、通り魔に会った人は、運が悪かったというか、そういう風に考えるしかないだろうが。さあ早く、買い物行こう。」

杉ちゃんには効果なしだった。

「そうだけどねえ。すでに、二人も被害者が出てんだ。犯人が逮捕されるまで、しばらく家にいた方が良いってことじゃないの?」

と、蘭が聞くと、

「そうだけどねえってさ、だって食料もなしで、生きていくわけにはいかないでしょ。ネットショップだって、直ぐ届くわけじゃないし、買いに行かなきゃどうしようもないだろうが。さあ、気にしないで、買い物に行こうよ。」

と、杉ちゃんは、でかい声でそういうことを言うのだった。全く、こんな事件が、僕たちの身の回りで起きているんだし、もうちょっと用心した方が良いのではないかと、蘭は思っていたのであるが、杉ちゃんは、気にもしないで、ショッピングモールの公告ビラを眺めて、今日は何が安いかなとか、そういうことを言っていた。

不意に、蘭の自宅の固定電話が鳴った。

「蘭、電話だよ。」

杉ちゃんに言われて、思わず、わかったよ、と蘭は言った。固定電話にかけてくるというのだから、なじみ客ではないだろう。初めて刺青の予約を取る人かもしれない。

「はい、もしもし、伊能ですが。」

「あの、彫たつ先生のお宅でいらっしゃいますでしょうか?」

電話をよこしたのは中年の女性だ。

「はい、そうですが、お宅様はどちら様ですか?」

蘭が聞くと、

「はい、先生のところに、御願いをいたしました、小島優子の母でございます。」

と、女性がそういった。蘭は、急いで、手帳を開く。確かに、明日の午後一時に小島という女性に施術することになっている。確か、リストカット痕を消してほしいという依頼だった。

「はあ、優子さんがどうしましたか?」

蘭は、一寸緊張してそう聞いてみた。

「ええ、非常に申し上げにくいのですが、優子が今日お茶屋さんに行ったときに通り魔に襲われまして。今はやりの、精神障碍者ばかりを狙っている通り魔、話題になってますね。其れに引っかかってしまったというわけで。」

と、お母さんは申し訳なさそうに言う。

「そんな!で、彼女は大丈夫なんですか!」

蘭は急いで聞くと、

「ええ、もみ合ったときに刺されて、いま病院にいます。幸い、腕を切られただけでそれ以外、命に別状はないそうですが、そういうわけで、明日の予約は取り消していただけないでしょうか。」

と、お母さんは一寸どぎまぎしているような感じでそういうことを言った。

「そうですか!それでは、優子さんはどこの病院へ?」

「はい、藤整形外科です。五針ほど、縫っていただいて、意識もあります。」

お母さんの説明を聞いて、蘭は、

「わかりました!すぐに藤整形に伺いますから。お嬢さんにはくれぐれも落ち着いてくださるように、言ってください!」

と言って急いで電話を切った。そして、すぐに岳南タクシーに電話して、すぐに藤整形に連れて行ってくれるようにお願いする。

「一体どうしたんだよ。そんなに慌てちゃってさ。」

と、杉ちゃんが聞くと、

「いや、僕のお客さんの女性が通り魔に襲われたらしい。幸い、命に別状はないそうだが、一寸彼女が心配なので、会いに行ってくるよ。」

と蘭は急いで身支度をしながらこたえた。

「彼女は確か、対人恐怖症を抱えている。これのせいで、余計に症状が悪化してしまわないか、心配だから、こういうときこそ、味方は必ずいると思わせてあげなくちゃ。」

「はあ、まったく。ついさっきまで、通り魔が出るから家にいろといったのは誰だよ。まあ、蘭の事だから、そういうやつを放っておけないのはよく知っているよ。僕も一緒に行く。」

杉ちゃんは、蘭と一緒にUDタクシーに乗り込んで、藤整形外科病院に直行した。

二人が、病院について、小島優子さんはどこにいると聞くと、病室は五階の一番奥の部屋ですと言われた。急いで二人は、いわれた通り五階に行った。そして、一番奥の部屋に行くと、本来なら何人か報道人が詰めかけていてもおかしくないが、小島優子さんの病室は誰もいなかった。

「あの、優子さんは、優子さんは、大丈夫なんですか!」

と、蘭は、病室のドアをガラッと開けて、どんどん入ってしまう。優子さんはベッドにいて、お母さんがそばについていてくれていた。

「彫たつ先生、きてくださってありがとうございます。先生が来てくださって、優子も安心したと思います。」

お母さんは、蘭にとりあえずの挨拶をした。

「幸い、娘は腕を切られただけで、大きな怪我はしませんでした。でも、きっとものすごい怖かったのではないかと思います。」

事実、小島優子さんはよほど怖かったのだろう。涙を流して泣いていた。

「大丈夫ですからね。小島さん。世の中には、こういう風に、あなたの事を大切にしている人間はいっぱいいますから!」

と、蘭は彼女を励ました。お母さんも、彫り師の先生が来てくれたんだから挨拶ぐらいしなさいと言ったが、小島さんは返事もしなかった。

「まあ無理やり返事をさせるのは、一寸かわいそうだ。彼女が落ち着いてから、もう一回で直した方が良いんじゃないの?」

と、杉ちゃんが言うと、

「失礼ですが、この方は。」

と、小島さんのお母さんは言う。

「はい、伊能蘭の大親友で影山杉三と言います。」

と杉ちゃんが自己紹介すると、お母さんはてっきり、その言い方からおっかない人と思ってしまいましたと言った。杉ちゃんは、そんなことありませんとカラカラと笑った。

と、同時に、病室のドアをノックする音が聞こえてくる。

「おう、誰だよ?」

と杉ちゃんが聞くと、

「ああ、杉ちゃん、俺だ。一寸はいらしてくれないかな。犯人について、特徴が分かれば教えてもらいいたいんだ。」

声の感じから、華岡だとわかった。華岡は失礼しますと言って、病室に入ってきて、お母さんと小島さんに警察手帳をちらりと見せた。その態度に、小島さんは、一寸びっくりしたような顔をした。多分、犯人が要求させたことがまた起きたので、びっくりしたのだろう。

「ごめん華岡。彼女はまだ安定していない。彼女から事情聴取するのは、もうちょっと待ってくれないかな。」

と蘭が言うと、

「いやあ、こっちだって、事件を調べなきゃいけないからね。時間もなかなかないんで、一寸質問させてもらうよ。被害者のけがは大したことないっていうし、口は利けるって、お医者さんが言っていたから。えーと、まず初めに、犯人はどういう風にあなたに近づいてきたんでしょうかね?」

と華岡はそれを無視して彼女に聞いた。

「ちょっと待ってくれ!先ほど事件にあって、まだ、彼女は事件の事を話せるような状態じゃないよ!けがは大したことないかもしれないが、心の衝撃はすごかったと思う。それを整理するのは大変なんだよ。」

蘭は急いで華岡にそういった。

「それに彼女は、障碍者認定もされている。こんなところでそういうことを言うのは難だけど、精神の障碍というのは、見えるものではないけどつらいものなんだ。幾らけがは大したことないと言ってもな、そっちのことが在るんだから、捜査は慎重にやってくれ!」

蘭が華岡に続けて言うと、彼女がしくしく泣きだした。お母さんが大丈夫よ、と彼女の体をさすってやっている。其れは、もう40歳近い彼女に対してすることではないのかもしれないけれど、そういうことをしなければならないのだから、やっぱり彼女は障害者なのだ。

「そういうわけだから、華岡さん。今日は帰ってくれないか。彼女の様子が落ち着いたら、お前さんのところに電話するよ。事件をスピードで解決させることが、警察の美徳ではないよな。」

杉ちゃんが華岡にお母さんの代わりのセリフを言った。

「それでは、何日くらいしたら、おちついてくれるかな?」

と華岡は、しょんぼりしてそういう事をいう。

「そんなことわかるわけないじゃないか。例えば、脳梗塞でぶっ倒れて、意識が戻るのに何日かかるかなんて決まってないよな。其れと同じだよ。そういう風に、なんでも数字で表せるもんじゃない。直ぐに楽になるやつもいれば、何十日かかっちまうやつもいる。それに甲乙つけてはいけない。そういうわけだから、彼女を事情聴取するのは、気長にお待ちください。」

杉ちゃんはテレビの宣伝のような言い方で、そういうことを言った。

「そうかあ。被害者が話せる状態だと聞いたので、この事件は意外に早く片付くかと思ったのに、それではだめか。」

「しょうがないだろ。華岡さん。相手は生身の人間だ。機械みたいに電池を入れたらすぐに動き出すものじゃないよ。早く事件を片付けようとかそういうことは、よほど運がいい時にしてくださいね。」

「そうか。じゃあとりあえず、今日は帰るが、話せる状態になったら、すぐ電話して頂戴ね。」

華岡は杉ちゃんに言われて、病室を出ようとしたが

「いえ、大丈夫です。刑事さん。私、ちゃんと話せます。」

と優子さんは言った。

「無理しなくていいんだよ。まだ、ちゃんと話せる状態じゃないでしょう?」

蘭が心配そうに言うと、

「ええ、でも、彫り師の先生がお見舞いに来てくださったから、私は一人ぼっちではないとおもえました。だから、今度は私の番です。事件のことは、一寸記憶があいまいになっているところもありますが、出来る限り、話をしますので、なんでも聞いてください。」

と、優子さんはきっぱりといった。

「そうですか。それではいくつか質問をさせてください。まず初めに、犯人がどんな感じであなたに近づいてきたのかを教えてください。」

華岡はメモとペンを出して彼女に聞いた。

「はい、私は、美容院に行く途中でした。ただ道路を歩いていただけなんです。障碍者手帳は、何かあったときのためにいつも持ち歩いていました。そうしたら、向こう側から、人が歩いてきて、私にぶつかりました。其れで鞄を落としてしまって、その時に障碍者手帳が落ちたんです。そうしたら、別の方向からバイクに乗った人が来て、私の腕をナイフで切りました。」

と、彼女は一寸すすり泣きながら、そういう事を言う。

「そうですか。では、犯人の顔について伺います。丸い顔だったか、長い顔だったかなど、犯人について、何か覚えていることを話してください。」

と、華岡が言うと、

「ええ、顔の形までははっきり覚えていません、ごめんなさい。でも、二人の背丈とかから、女性のような気がしました。近づいてきた方も、切りつけてきた方も。」

と、彼女は答えた。

「そうですか。其れは残念だ。でも、女性のような気がしたというのは、本当なんですね。」

華岡は、そこをもう一回聞いた。

「そうですね。其れで、私はもう何がなんだかわからなくなってその場を動けなかったんですけど、二人は私を一度切りつけただけで、そのままバイクに乗っていってしまいました。私が覚えているのは、これだけです。ほかの事は、もう記憶が参らしてしまっていて、お話することができません。ごめんなさい。」

小島さんは、申し訳なさそうに頭を下げた。お母さんが、申し訳ありませんと言って、彼女の体をさすってやっている。

「わかりました。じゃあ、本日はここまでにします。もし、何か思い出したことが在りましたら、すぐに、私の方へ連絡をください。」

と、華岡は、小島さん親子にそういうことを言って、軽く一礼し、病室を出ていった。蘭は、すごいことをやりましたねと小島さんをほめてやった。

それから数日後の事である。蘭と杉ちゃんが食事をしていると、いきなりインターフォンがなり、

「おーい杉ちゃん。いるか。一寸何か食べさせてくれないかなあ。」

と、玄関先で華岡の声がした。その声が何とも言えない悲しそうな声だったので、杉ちゃんはああいいよ、入れ、とでかい声で言った。華岡はそれと同時に、食堂へ入ってきて、勝手に座った。杉ちゃんは、急いで冷凍しておいたカレーを温めて、ご飯を器に盛りつけ、カレーをかけ、華岡の目の前に置いた。いただきまあすと言って華岡は、カレーを食べ始める。

「うまいうまい。うまいなあ。さすがに、杉ちゃんのカレーは最高だ。でも、そのカレーの味がおいしくないって考えるやつもいるんだよな。」

華岡は、カレーをたべながらそういうことを言った。

「どうしたの華岡。いきなりそんな発言するなんて、お前らしくないな。」

と蘭は、心配そうに言うが、

「ああ、事件は一応方向転換した。あの通り魔をした女性二人が、自首してきたんだ。私がやりましたって。」

と、華岡はそういうことを言った。

「そうか。やっぱり女性だったのか。彼女たちはどういう女性だったんだ?」

蘭が聞くと、

「ああ、何でも普通に学校に通って教育を受けている女性二人だった。同じ高校に通ってたらしい。でも、彼女たちの動機が、ちょっとおかしいな俺はおもった。」

と、華岡は言った。

「おかしいって何が?」

杉ちゃんが聞くと、

「ああ、あの二人は、働いていないで親のすねをかじっている精神障碍者を征伐したと言っているんだ。そういう障碍者は、何をしても無駄だからというんだが、俺は正直わからないよ。だって、彼女たちだって学生だろ。働いてないと言えば同じことじゃないか。其れなのになんで、征伐すると思うんだろうか?」

と、華岡は、カレーを食べながら言った。

「そうか、何だろう。働きもしないで、家族と一緒に暮らしているしかない障碍者が、憎いとでも思ったのかな。自分の勉強があまりにもつらかったから。」

と、杉ちゃんが言うと、華岡は、そうかもしれないなといった。

「彼女たちが通っている高校を調べてみたが、ずいぶん厳しい指導だったらしいから。」

「厳しい指導ねえ。僕のところに来るお客さんもそういうことを言ってたよ。伝統ある学校だったけど、蓋を開ければ、国公立国公立でうるさすぎて、精神がおかしくなったという子に、何人かあってきたし。」

華岡の発言に蘭は、付け加えるように言った。

「それで、親の金を使って遊んでばかりしている精神障碍者にけがをさせて、二度と遊べなくさせようという気持ちで通り魔をやっていたと言っていたよ。」

華岡も蘭の発言に合わせた。

「それにしてもさあ。」

不意に杉ちゃんがそういうことを言う。

「でも、彼女たちは、高校生だったよな。其れなのに、なんで精神障碍者の存在を知っているんだろうか。」

「なんで知ってるって?」

華岡が聞くと、

「だってそうじゃないか。普通の高校へ通ってればだよ。そういうやつらの事を勉強する機会はあるか?それはないだろう。そういうやつらに触れるのは、自分の家族にそういうやつが出てからじゃないと、経験できないってのが、今の時代なのに。」

と、杉ちゃんは言った。確かに、杉ちゃんの言う通りだ。今の社会のレールから外れずに行けば、障碍者と触れ合う機会などないだろう。確かに親や兄弟にそういう人物がいればそうなるが、大体の教育機関は、障碍者と健常者が触れ合うことなく作られている。それが、今の学校の問題だとしている評論家もいる。

「そうだな。杉ちゃんの言う通りだ。障碍のある人が、自分を卑下するのは、いろんな人が居て社会という教育を受けてないから、ということもあるよなあ。」

蘭は、杉ちゃんの話に同意した。

「そうだろう。其れを知っていて、しかも憎むということは、彼女たちの身近に、そういう人物がいた、ということじゃないの?」

と、杉ちゃんが華岡に聞くと、

「それがねえ。俺たちが調べた限りでは、彼女たちの身の回りに精神障碍をはじめとして、そういう障碍者と呼ばれる人物は誰ひとりいなかった。其れだから、彼女たちの動機が見えてこないんだ。」

と、華岡は答えた。

「うーんそうか。其れじゃあ、マインドコントロールされたとしか思えないな。彼女たちが通っていた学校は、ものすごく厳しかったとお前はいってたよな?」

蘭は華岡に言った。ああいったよ、と華岡はこたえる。

「あの高校はいわゆる教育困難校というのだろうか。そういうところだから、学校の先生も、かなり汚い言葉を使うそうだ。なんでも、自殺の練習をさせられた生徒だっていたそうだぞ。」

「なるほどねえ、、、。」

と蘭はまたため息をついた。

「そんなところ、教育機関でもなんでもないよ。ただ生徒をおかしくさせるだけじゃん。そういう風に、働かざる者食うべからずということを教えると、変な風に解釈してしまう生徒が出てしまったということになる。彼女たちが直接の犯人であるかもしれないが、本当の犯人は彼女たちをそういう風にしてしまった、学校ということになるな。」

「確かに、ああいうところは生徒を閉じ込める、密室見たいなところだからねえ。ある意味カルトにも近いと思うよ。」

杉ちゃんもそれに同意した。

「まあそう考えると、彼女たちもそういう教育のせいで、おかしくなったわけだから、ある種の被害者と言えるのかもしれないね。」

杉ちゃんにそういわれて、本当に世の中変だなと蘭も、華岡も、大きなため息をついたのだった。




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増田朋美 @masubuchi4996

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