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少し傾いて開けにくくなっている引き戸を静かに開けると、微かにかび臭いような、古書店特有の香りが鼻をかすめた。
「おや、東雲さん。久しぶりだね」
いつものおじさんが気軽に声をかけてくれたが、目礼を返して小説の文庫版の棚を目指す。気になるのをピックアップしていると、背表紙のない赤い本が目が入った。
手にとって見てみたが、どこか外国の原初版のようで何が書いてあるのか全くわからない。
どこかで見たことあるような気がするのだけど……
少なくとも書かれている言語は英語やフランス語じゃないことはわかるが、読めないのでは意味がないと思いつつぱらぱら捲ると、途中にいくつか挿絵があることに気がついた。
曼荼羅のようなものや植物らしきものが多い。なんとなくその挿絵には惹かれたが、古本とはいえ読めないものを買う余裕はないので棚に戻した。
なんかあれみたい、ヴォイニッチ手稿だっけ……
資料画像で見たことがあるだけの記憶だったが、なんとなく印象が重なった。だから見たことがあると思ったのだろうと結論づけた。
「お願いします」
カウンターに2冊の文庫本を置く。
「いつもありがとう。そういえば、今夜は月食らしいね」
にこやかに対応してくれるおじさんの言葉に一瞬ざわっとした。
「そう、なんですね……月食……」
「あんまり興味はないかな」
おじさんが少し照れたように笑う。
「いえ、そういうわけでは……」
「僕は天体観測が好きでね」
言葉を濁したのは月食という言葉に必要以上に反応してしまいそうだったからだが、おじさんは気にするでもなく話を続けた。
「そういえば、随分前に東雲台で月食のときに現れた女の子がいたね。どうしてるんだろうねえ」
「……さあ?」
まあ、知るわけないよね、と苦笑交じりに手渡された本を受け取り古書店をあとにした。
*****
おじさんの世間話はいつものこと。今日のだって特に意味はない。
私、今日が誕生日なんですよとか言うような社交性が自分にあったらもう少し会話が成り立つのかもしれないが、そんなコミュニケーションスキルを自分は持ち合わせていない。しかも、誕生日といったところで、たぶん本当に生まれた日ではない。
それでも、自分くらいは自分を祝ってあげようなんて気分になり、帰りに小さなケーキを一つ買ってみた。
自室でひっそり自分の誕生日を祝う……ケーキを目の前にして虚しさを覚え、少し後悔した。少し後悔はしたが、ケーキに罪はない。
ご丁寧に小さなケーキは箱に入れられ金色のシールで留められていた。ナイフを使うのが面倒で手で無理やり開けたら人差し指を小さく切ってしまった。
小さく嫌な気持ちになったが、小さなため息と共にその気持ちは吐き出した。
たぶん18回目の誕生日……不確かな自分がこうやって生きていること自体が不思議な感じがするが、有り難いことともいえるだろう。誰にともなく感謝しつつ、今日買った小説を片手にケーキを口に運ぶ。
小説を中程まで読み終えた頃、とっくにケーキ皿は空になっていた。このまま読みすすめるか、皿を片すか迷い顔を上げた。カーテンも閉めずに読みふけっていたことに、正面の鏡に外の景色が映し出されているのを見て気がつく。
外の景色……部屋の照明がついているのに、なぜ?
ふとした疑問は、不穏な空気を感じさせた。赤い月が映っている鏡から目が離せない。
あ……月食……
そのまま見つめ続けていると、少しずつ月が黒く欠け始め、その反対側から青白く光り始めた。
……!!
鏡が歪んで、粉々に砕け散った。
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