#150 将来に向けて



 俺と星夏が向かったのは、真犂さんが営んでいる喫茶&バー『ハーフムーン』だ。


 とは言っても俺達は客としてではなく、バイトの身としてだが。

 星夏もバイトするようになった経緯は、後見人となった真犂さんが彼女に社会経験を積ませようという計らいだ。


 働き始めてもうすぐ一ヶ月になるが、常連客には早くも新しい看板娘として周知されて初め、売り上げも先月より上がっているんだとか。

 それも当たり前だろう。

 何せ星夏は明るい美少女でありスタイルも良いのだから、人気が出ない訳がない。


 尤も……不埒な真似を目論んだり下卑た眼差しを向けようモノなら、俺と真犂さんが黙っていないが。


 まぁそんな裏事情はさておき、今日も今日とて俺達はバイトに勤しんでいた。


「いらっしゃいませー! 一名様ですか? カウンター席へご案内致しまーす」


 程よく朗らかに、けれども喫茶店の雰囲気を損なわない程度に声量を抑えた星夏の接客が耳に入る中、俺はカウンターで注文されたケーキを用意する。

 星夏が接客を担うようになり、余裕が出来たので真犂さんにコーヒーの入れ方を教わるようになった。

 将来的にはバリスタの資格も取ろうと考えている。


 まだ進路が定まった訳じゃないが、出来ることは一つでも多い方が良い。

 その練習のためにも、カウンターの方が都合が利くというのが理由だ。


 早速、教わった通りにコーヒーを入れてみたんだが……。


「普通。美味いと言えば美味いが、不味いと言えば不味い。そんなとこだ」

「厳しいっすね……」

「でもまぁ、教えて一ヶ月でこれなら筋は良い方だろ。天才だろうが凡人だろうが誰だって何事もヘタから始まるもんだ。そう考えたら康太郎は向いてるんじゃないか?」

「はぁ……」


 真犂さんからのそう褒められても、上手く実感が沸かない。

 自分で飲んでみても、前より上達したか分かっていないからだろう。


 こういうのも経験を積んで、味の善し悪しを見極められるようにならないといけない。


 内心でそんな目標を立てていると、積極が一段落した星夏がカウンターに寄って来た。


「怜さん。こーたの入れたコーヒー、どんな感じだった?」

「普通だぞ。飲むか?」

「うん、飲む飲む。ミルクと砂糖入れて~」

「凄まじい勢いで俺が入れた意味が無くなってないか?」

「だ、だってぇ……ブラックのままじゃ苦過ぎて飲めないし……」

「ッハハ。まぁその辺は好みの問題だからな」


 真犂さんはそう笑いながら、星夏の要望通りにミルクと砂糖を用意し始める。


 真犂さんが後見人になってから、星夏は彼女を怜さんと呼ぶようになった。

 初めてそう呼ばれた時の真犂さんの表情は、珍しく嬉しそうに頬を緩めたのには内心でビックリしたものだ。


 約束通り週に一度、星夏は彼女の元へ帰っている。

 家族という程にまだ近くは無いが、そう思えるくらいには打ち解けていた。


「こーたはバリスタの資格取って大学卒業したら、怜さんみたいにお店開くの?」

「真犂さんのは特殊例だろ? 俺に同じことは出来ないって」

「こーたにはアタシが居るでしょ?」

「え?」

「こーたがコーヒー入れて、アタシが接客。そうやって二人三脚で行けば簡単でしょ?」

「……」

「あ、ちょっと良いかもって思った?」


 楽観的過ぎる未来設計に思わず黙り込んでしまうが、その理由を敏感に察した星夏がニヤリとからかってくる。


 良いと思ったよチクショウ。

 でも実際問題、口で言う程にそんな簡単じゃない。


 星夏の方もそれは理解しているんだろう。

 けれども夢想せずにはいられない。

 彼女の心情としてはそんなところだろうか。


 なんて悟った時だ。


「星夏さん。私、仕事中のイチャイチャは厳禁だって言いませんでしたか?」

「ぁ……み、海涼ちゃん……」


 青筋を浮かべながら微笑む眞矢宮の登場に、星夏がタジタジになって震える。


 同じく三年生になった彼女もここでのバイトを続けているのだ。

 当然居るに決まっているし、何より新人である星夏の指導係が眞矢宮だったりする。

 星夏曰く、彼女の指導は丁寧かつ分かりやすいらしい。

 友達兼同僚として仲が良いのは安心なんだが、ご覧の通り怒る姿を見ることが多くなった。

 理由は俺と星夏が仕事の途中でイチャつくからだ、

 いやそれに関しては本当に俺達が悪い。


 ただでさえ失恋した彼女からすれば、俺と星夏がイチャつくのは拷問に等しいだろう。

 それこそ、智則以上に精神的に辛いはずだ。

 にも関わらずあくまで咎めるのは仕事中だけで、休憩中はいつものように柔らかな笑みを浮かべて俺達と接してくれる。


 その点に関しては、智則より人が出来ている眞矢宮の美徳だろう。


「全く。日頃から口酸っぱく言っているのに、どうして直らないんですか?」

「うぅ……だって、こーたと一緒に居るだけで嬉しくて幸せでつい……」

「いや分かりますけれど、公私の分別を身に付けて下さいって言ってるんです」

「はぃ……」

「荷科君も! いくら恋人でも、星夏さんを甘やかし過ぎてはいけませんよ?」

「わ、悪い……」


 だから自重するべきなのは俺達なのだ。

 諸々の申し訳なさで、二人揃って彼女にはすっかり頭が上がらない。 


 しかしなんだ……こうしていると、眞矢宮がまるでオカンみたいに──。


「今何か失礼なこと考えてませんか?」

「考えてない考えてない……」


 しかも前にも増して察しの良さが鋭くなってる気がする。


「はぁ……もう良いです。今はお客さんもいませんし、過剰で無ければ目は瞑ります」

「あはは……そ、そういえば海涼ちゃんは進路はどうするか考えてるの?」


 盛大に呆れを含んだため息を吐く眞矢宮に、星夏が冷や汗を掻きながらそんな質問を投げ掛ける。


 随分と強引な話題の変え方だなぁ


 眞矢宮の方もそう思ったのか無言でジト目を浮かべながらも、咳払いをしてから口を開く。

「もちろん考えていますよ。とは言っても今のところは進学するだけですが」

「へぇ、学部とか決まってるのか?」

「教育学部にしようと思ってますよ。教職に就くかどうか決めた訳ではありませんが、人に教えるのは好きなので……もっとハッキリ決まってたら良いんですけどね」

「それでもある程度見据えてるのはすげぇよ」

「っ……ぁ、ありがとうございます……」


 眞矢宮に比べたら俺なんて不鮮明そのものだ。

 相変わらず眞矢宮は尊敬出来る。

 朧気でも道が見えている彼女に素直な称賛を送ると、眞矢宮は頬をほんのりと赤く染めながら礼を返された。


「えと、荷科君の方はどうなんですか?」

「俺は進学するって決めてるけど……」


 眞矢宮の問いに答えつつ、チラリと横目で星夏を見やる。

 その視線に気付いた星夏は、話の流れから自分の番だと悟るや否や苦笑を浮かべながら口を開く。


「アタシは……進学してこーたとキャンパスライフってのも良いんだけど、就職してお金を貯めとくってのもアリかなって迷ってるんだよねぇ」

「え、意外でした。てっきり荷科君の専業主婦になると思っていたんですが……」

「流石に高卒で専業主婦それはちょっと、ね? 自業自得でも苦労した例を知ってるから慎重にもなるよ」

「あ……っ」


 よく言えば慎重で悪く言えば臆病な星夏の物言いに、眞矢宮がその言葉の裏腹を察して悲痛な面持ちを浮かべた。


 言うまでもなく、星夏が口にした例とは行方が知れない元母親のことだ。

 離婚後の暮らしを知っているからこそ、彼女は進学か就職で悩んでいるんだろう。


「もちろん、最終的にはこーたの専業主婦になるつもりだから心配しないで」


 重くなってしまった空気を払拭しようと、星夏は朗らかにそう締め括る。

 さり気なく逆プロポーズされた気分だが、心情的には安堵の方が強い。


 そんな星夏の様子を見て、眞矢宮はクスリと笑みを零す。


「ふふっ。えぇ、必ずそうして下さい」

「うん! 海涼ちゃんも、もし恋愛で相談したいことがあったらいつでも言ってね? アタシ、学校でも頼りにされてるんだから」

「はい、いずれそうさせて貰います」


 女子達はそうしてほのぼのと話に興じる。


 ちなみに眞矢宮にも俺が入れたコーヒーを飲んで貰ったんだが、その感想は真犂さんよりも非常に手厳しいモノだったとだけ伝えておく。

 多分、彼女の方がセンスあるわ……。


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