#138 本気で本音を


 こーたが帰って来た。


 言葉にすればたったそれだけのことが今は無性に嬉しくて……同時に途轍もない緊張を感じてしまう。

 それはこーたの方も同じなのか、対面に腰を降ろして肩を大きく揺らしながら息を整えても、どこか気まずそうで落ち着きがなかった。


 話をする気にはなったものの、どんな言葉で切り出せば良いのか分からない。


 幾ばくかの沈黙が過ぎていく中で、真犂さんが徐に立ち上がった。


「っよ、康太郎。すっかり元気になったみたいだな?」

「ぇと、まぁ……おかげさまで」

「こっちも丁度話が終わったところだ。っじゃ、あたしは出てくぞ」

「「えっ!?」」


 さも当然のように玄関へ向かう姿に、アタシとこーたは揃って驚きの声を上げてしまう。

 思わずこーたの方を見ると目が合って、弾かれるように逸らした。


 どうしよう、気まずい……。


 その様子がおかしかったのか、真犂さんはニヤニヤと笑いを堪えながら玄関のドアに手を掛ける。


「くくっ。これから話すのに三人目が居たら邪魔だろうが。車の中で待ってるから終わったら連絡寄越せよ」


 そう言って彼女はドアを閉めて出て行ってしまった。


「……」

「……」


 残されたアタシ達の間に、再び静寂が訪れる。


 空気がヒリついて居心地が悪くて落ち着かなかった。

 口を開いて声を出そうとしても、喉が詰まったように苦しくて言葉にならない。


 こーたの方をチラリと見ても、やっぱり気まずそうなのは同じだ。


 今までだって口喧嘩くらいはしたことはあるし、その度に謝ったりした。

 けれどもそんなのが比じゃない緊張感で息が苦しい。


 それでも、言わなきゃ。

 ちゃんと自分の口から、話をするより先に大事なことを言わないと。

 深呼吸しても固まったような胸を押さえながら、こーたへ届くように祈りなが口を開く。


「ぁ、っ……こー、た」

「! ぉ、おぅ」

「……」


 全然声が張れていないし、全身に入った力が抜けない。

 でも呼び掛けた以上、もう後戻りするワケにはいかないと目をキュッと閉じながら勇気を振り絞って喉を震わせる。


「ごっ……ごめん、っなさい!」

「……何が?」


 精一杯の謝罪に対して、こーたの返事は酷く素っ気なかった。

 何に謝ってるかくらい察してくれても良いのに……ううん、そう思うのは甘えてるだけだ。


 言葉が足りてないアタシが悪い。

 ちゃんと怒らせてしまった理由に気付けたんだって、こーたに伝わるように言わなきゃ。


「っ……ぁ、アタシ、こーたに甘えるだけで、こーたの気持ち……全然分かってなかった……! アタシが、しっかりすれば良いだけなのに、勇気が出なくて逃げて閉じ籠もってた! 嫌われたくないクセに、嫌われるようなことばっか言って、ごめん……」

「……」


 声がつっかえて上手く言えなかったけれど、ちゃんと言葉にすることが出来た。


 謝ったところでこーたが許してくれるのかは分からない。

 恐くて目を開けられないまま、ただこーたの返事だけを待つ。


 やがて小さな吐息が聞こえたかと思うと……。


「──俺が星夏に傷付けられたこと、今回が初めてじゃないんだけど?」

「ぇ……」


 とても冷たい声音で、けれども火傷しそうな怒りが滲んだ問いが投げ掛けられる。

 思いも寄らなかった言葉につられるように目を開けると────こーたが鋭い眼差しでアタシを見据えていた。


「海で告白した時に言ったよな? 俺が星夏を好きになったのは命を救われた時だって。お前が元カレ達としたことも気にしないって」

「ぅ、うん……」


 憶えてる。

 そんなに前からアタシのことが好きだったんだってビックリしたから。

 けどなんでその話を持ち出したんだろう?


 胸の中に沸いた些細な疑問は……。


「気にしないって言ったの、嘘な。特に約束した半年後に彼氏が出来たって訊かされた時、俺がどれだけ傷付いたと思ってるんだ?」

「ぁ……」


 ズタズタに抉った傷を刻む刃になった。


「死のうとしてた腐れ縁に身体許したり、幸せが見つかるまで傍に居るとか約束したり、めちゃくちゃ思わせぶりなことしておいて、なんだそれって泣きたくなるくらいショックだったんだぞ」

「ぇと──」

「星夏が彼氏作る度に傷付いて、その度になんで俺を選んでくれないんだってムカついて仕方がなかった」

「……っ」


 別に忘れてたワケじゃない。

 あの頃はこーたがアタシを好きだなんて思わなかったからだ。


 こーたから見れば、確かにアタシがしてきたことは最低だと思う。

 でもそれなら……。


「ぃ、言ってくれたら、良かったのに……」


 イヤだって言えば良いだけの話だ。


 そんな反論を訊いたこーたは、鼻で笑って一蹴してから続ける。


「反対して嫌われたくないことくらい察しろよ。普通の友達ならともかくセフレだぞ? なおさら言える訳がねぇっての」

「~~っ!!」


 小馬鹿にしたような態度に、一気にムカついて来た。

 それはもうカチンってスイッチを押されたみたいに。 


 あ~そうですかそうですか。

 そっちがそういうならこっちだって不満はいくらでもあるんだからね~?


「それってこーたがヘタレだっただけじゃん。アタシのことが好きならもっとそういう素振りはいつでも出来たはずでしょ?」

「あ? 俺なりにアプローチしたのに気付かなかったクセになに言ってんだ?」

「いや全然記憶にないんだけど」

「嘘だろオイ。今年のバレンタインとか風邪引いたお前の看病した時とか、色々あっただろ?」

「え、あれが? もっとハッキリ言わなきゃ分かるワケないじゃん。自分が日和ってたのを人のせいにしないでよ」

「は?」

「セフレだってイヤなら断れば良かったのに。結局、自分の好きな女子とエッチ出来る環境に甘えてたんでしょ? こーたのエッチ、スケベ」

「コイツ……っ」

「ぷっ、顔真っ赤。図星衝かれてますって丸わかりじゃん」


 さっきまでの緊張が嘘みたいにスラスラと言葉が出て来る。

 それも今までならこーたに絶対に言わなかったようなことを。


 蓋を開けてみれば次々に出て来る文句に、こーたは目に見えて怒りを露わにしていた。


「そもそもこーたはアタシにもっと感謝するべきじゃない? 命の恩人に加えて童貞貰ったげたし、初恋だって知らないままだったんだよ。自分の立場分かってる?」

「三つとも俺から望んだ憶えはねぇぞ。そっちだって俺が何回、元カレ達とのいざこざから助けて来たと思ってるんだ? そうじゃなきゃレイプされたっておかしくなかった状況が数え切れないくらいあったからな?」

「この期に及んで恩着せがましいこと言う!? それはこーたが勝手にやったことで、アタシから助けて欲しいなんて言ったことないし!」

「初めから星夏が危なっかしい真似しなきゃ骨折ったりしねぇよ! 何が理想の人を探すだ。少女漫画好きのオタクだってもっと現実見てるぞ」

「はぁっ? だったらこーたがさっさと告白したら良かったじゃん!」

「ふざけんな! それが出来たらこんな苦労しねぇんだよ! お前だってもっと近くにいた俺を見たって良かっただろうが!」

「開き直る上になにその言い草!? 小四の頃にあんな手際よく助けられたら、男性観が凝り固まるに決まってるでしょ!」

「小四? 俺なんかやったのか?」

「う~わっ、なにそれ。アタシにとって大事な思い出なのに忘れてたんだぁ。ひっど」

「あぁっ!?」


 あー言えばこう言う。

 売り言葉に買い言葉。


 腐れ縁として九年も付き合い続けた中で、アタシとこーたはこんなにもたくさんの不満を隠し続けていたんだ。

 けれどもお互いの話を遮ることはせず、最後まで聴いてから反論しあう。

 これだけの応酬を繰り返しても、アタシ達の初めての口喧嘩は止まる気配がなかった。


「つーか前々から思ってたんだが、マジでバカみたいな性欲してるよな? 付き合ってる方を少しは労れっての。俺以外だとヘタしたら命に関わるぞ」

「言うに事欠いてセクハラとかサイテー。いっつも絶倫レベルに出しといてどの口が言うの? アタシが相手じゃなかったら身体持たないんだからね?」

「毎度あんなクソエロい姿見せられて興奮するなって方が無理だろ」

「だからって人のおっぱいを触りすぎたり揉みすぎたり吸いすぎじゃない? 赤ちゃんみたいで軽く引くんだけど。今度やったら赤ちゃん言葉で『よかったでちゅね~』ってあやすよ?」

「訳分かんねぇ脅しすんな。裸の胸を見せられた男なら誰だってやるし、そんなデカい胸なら尚更だっつの。当たり前のことにいちいちツッコむなよ」

「雑に扱われると形崩れたり色変わったりするからやめてって言ってんの。っていうか男子の当たり前を説かれても分かるワケないし」


 気付けばエッチに対する文句の言い合いになっていた。


 これだけ言い合ってもまだまだ言い足りないことがある。

 だからアタシ達の舌戦は続く。


「バイト早退して行ったのが海涼ちゃんの家だったの!? ふんっ、どーせアタシは海涼ちゃんみたいに美人でお淑やかじゃないもん!」

「だから靡いても仕方ないって言いたいのか? 見た目で簡単に目移りなんてしてたら、二年も初恋拗らせてないって何回言ったと思ってんだ。星夏以外の女子とロクに関わってない時点で気付けよ」

「だったらアタシの好きなとこ百個言ってよ!」

「無茶言うな! んな気安くポンポン言える程、俺の気持ちは軽くねぇんだよ!」

「ケチ! 分からず屋! ちゃんと好きって言って大事にしてくれないと分かんないんだから!」

「分からず屋は星夏の方だろ! 小四の時に男性観が俺で固まったなら、俺以外と付き合っても長続きする訳ないって普通に気付くだろうが!」

「だってそんなの、こーたがいつもさり気なく助けるせいでしょ! 都合が良すぎて逆に分かりにくいし、甘える度に応えてくれたら好きになるに決まってるじゃん! それを言うならこーたこそ、アタシとセフレになった時点で脈ありだって自信持っても良かったでしょ!」

「それこそ都合が良すぎて躊躇ってもおかしくないっつーの! むしろ気持ちが固まって他の女子なんか見向きもしなくなるくらい分かれ!」


 ここまで来ると、何が言いたいのか自分でも分からなくなって来た。

 それでもアタシ達の口喧嘩は加速する一方で、一層白熱を極めていく。


「いい加減にしろよ! 俺の方が星夏を好きに決まってる! 先に好きになったんだからな!」

「違いますぅ~! アタシの方がこーたを好きだし、初恋だってもしかしたら小四の頃だもんねぇ~!」

「無自覚にも程があんだろ……なら、少なくとも他の女子と付き合わなかった分、俺の方が有利じゃねぇか」

「むぅ……元カレ達でもこーた以上に好きになれなかったんですけど?」

「いや俺の方が上だし」

「ううん、絶対にアタシの方」

「あ?」

「なに?」


 挙げ句にはどっちが相手を好きか競い合う始末だった。


 こんなにハチャメチャで支離滅裂な口喧嘩は他にないだろうなぁ。

 口調は言い争ってるはずなのに、内心ではもう楽しくて仕方が無い。

 だってアタシもこーたも怒ってなんかなくて、すっかり笑みを浮かべちゃってるもん。 


 なんだか、悩んでたのが馬鹿馬鹿しくなる。

 あぁでも……一つだけ確かなことが分かった。


 ──アタシがここまで素直になれるのは、こーたの前だけだって。


 口喧嘩を通して、こーたの信頼が心の奥底に伝わって来る。

 お互いに好きじゃなきゃ、こんな風に言い合えないよ。 


 それだけは……何があっても変わらないんだって理解出来た。


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