#136 真犂怜の秘密



【星夏視点】


「……」


 ベッドの上で仰向けになってボーッと天井を眺める。

 何もする気が起きないし、何も考えたくない。


 少しでも思考を働かせれば──。


『……今の星夏とは、したくない』

「──っ!」


 こーたからの拒絶を思い出しそうになる。

 頭を振って払おうとするけれど、記憶から囁かれる声が耳と脳裏にこびり付いて離れてくれない。


 あんなに大きな声で、今にも貫きそうなくらいに目を鋭くして怒鳴った。

 こーたに怒られたのは初めてだ。

 どうして?


 こーたを信じてないってどういうこと? 

 アタシはただ、こーたと一緒に居られるならそれでいいのに……。


 ひょっとして海涼ちゃんのことを疑ったから、あんなに怒ったの?

 なんで?

 本人が怒るならまだ分かるけど、こーたがあんなに怒ることなくない?


 もしかしてこーたは海涼ちゃんと──。


 そこまで考えたところで、反射的に思考を中断した。

 けれども一度針で空けられた心の穴は無視出来ない。


 何度も送ってるメッセージに一つも既読が付かないのも相まって、枯れることを知らない涙がまた流れ出す。


「──やだ、やだぁ……アタシを一人にしないでよ……こーたぁ……!」


 耐え難い孤独の恐怖を前に身を震わせてしまう。


 どうしよう、どうしたら良いの……?

 今からこーたのバイト先まで行って謝る?

 でもこーたと海涼ちゃんが仲良くしてる姿を見たくない。

 そもそも外に出て人とすれ違うのがイヤだ。


 考えても考えても不安を消す方法が思い付かなくて、こーたに捨てられるかもしれない恐怖は大きくなる一方だった。


 そんな時、不意に玄関のドアが開かれる音が響く。


 ──こーた!


 弾かれるようにベッドから起き上がって、足早に玄関に向かう。

 まだバイトが終わる時間じゃないのにどうしたんだろう?

 忘れ物かな……なんにせよ、次は間違えないようにちゃんとしないと。


「こー……ぇ」


 そう前向きに出迎えたけれど、玄関に居たのは予想外の人だった。

 こーたじゃない。


 赤みがかった長い茶髪と切れ長の瞳、シンプルなデザインのコートを羽織っているこの人は……。


「よっ。お望みの康太郎じゃなくて悪かったな」


 こーたのバイト先の店長……真犂さんだった。

 アタシの反応を見て出会い頭に謝られたけど、そこに誠意は感じられない。


 むしろ期待を裏切られたのもあって苛立ちを煽るだけだ。


「こ……こーたは……?」


 帰ってなんて言うのは簡単だけど、こーたがどうしているのかはこの人に聴くしかない。

 怒りを抑えながらか細い声音で問うけれど……。


「ちょっと体調崩してるから休ませてる」

「どこに……?」

「康太郎がどこにいるのか知ってどうするんだ?」

「か、帰って来てって話を……」

「それで?」

「ぁ……アタシを独りにしないでって伝えるだけ、です……」

「……はぁ~なるほど、こりゃ重症だな」

「っ!」


 何もおかしなことは言っていないのに、真犂さんは何故か呆れたような表情を浮かべる。

 その態度がとても癪に障って、瞬く間に苛立ちが募っていく。


「バカにしに来たの? そうじゃないならさっさとこーたの状況を教えて!」

「おいおい、そんなカッカすんなって」

「真犂さんが勿体ぶるせいでしょ!? アタシとこーたの邪魔をしないで!!」

「はぁ……」


 尚もおどけた調子を崩さない真犂さんに怒号をぶつける。

 けれども彼女はため息をつくだけだった。


 それが余計にムカついて仕方が無い。

 何のつもりで来たのか不気味だ。

 もう無理矢理にでも出て行って貰おうとした時だった。


「──だったらお前。なんで康太郎の心配をしないんだ?」

「は……?」


 あまりにも予想外な問いが投げ掛けられて、思わず茫然としてしまう。


 アタシがこーたの心配をしてない?

 何を言ってるの?


 真犂さんの言っていることがまるで理解出来なかった。


「最初に言ったよな、康太郎は体調を崩して休ませてるって」

「……それが何ですか?」

「普通、好きなヤツが体調を崩してるって知ったら真っ先に容態を訊くだろうが。なんでお前はアイツの居所を優先して訊いた?」

「だ、だってアタシの知らない所で他の女の子と何かあったらって心配で──」

「あのなぁ……」


 真犂さんは髪を掻きながら切れ長の瞳を鋭くして告げる。


「その心配ってのは自分の心配をしてるだけだ」

「ぇ……」

「自覚の有無はどうであれ康太郎を心配してるように見せ掛けてる分、我が身可愛さ全開の余計に質がわりぃタイプのな。アイツに怒鳴られたクセになんにも分かってねぇじゃねぇか。お前、そのままだと遅かれ早かれ破局するぞ」

「~~~~っ!!」


 分かったような口振りで言われたことに、アタシは堪えきれない怒りを覚える。


 ムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつく!!!!


「なんでそんなこと言うの!? 好きな人が浮気しないか心配するのは当たり前でしょ! それにアタシとこーたは両想いなんだから破局なんてあり得ない!」

「う~わぁ、今度はヒステリーか。相当めんどくせぇ」

「うるさいうるさい!!」

「現状確認だけでこんな有り様とか……康太郎はよく一週間もこれの相手が出来たもんだなぁ。あたしじゃ絶対に無理だわ」


 これ以上何を言われても耳障りなだけだ。

 もう話を聴く気は無いと両手で耳を塞いで、目を瞑って顔も伏せて拒絶する。


 真犂さんがこんな行動に出た理由は分からない。

 でもきっとアタシからこーたを奪って、海涼ちゃんと付き合わせるつもりなんだ。

 そんなのイヤに決まってる。


「お~い。あたしの話はこれからなんだが~?」


 何を言っても関係ない。

 アタシは絶対にこーたと幸せになるんだから。

 あの人が言ったようなことになんてさせないし、しない。


「ふぅ~仕方ねぇな。言わずに話が出来るならそれで良かったんだが、こうも聞く耳持たないってなら話を聴く気にさせるしかないわな」


 話を聴く気にさせる?

 そんなの無理に決まってるじゃん。


 そう高を括ったアタシに真犂さんは言った。









「──梓河あずかわ晋吾しんごって知ってるよな?」

「っっ!!」


 手の平越しでも耳に届いた名前を尋ねられて、脱力した手を下ろしながら恐る恐る真犂さんの方へ顔を向けてしまう。


 ──どうしてその名前を知ってるの? 


 怒りが霧散した胸中に降って沸いた疑問がそれだった。

 だってそれは記憶の奥底にこびり付いて消えてくれないモノの一つだ。


「その表情を見る感じだと忘れてないみたいだな」


 アタシの反応を見た真犂さんが、どこか悲しげに微笑みながら彼女にしか分からない確信を得ていた。

 分からない。

 あの名前を確かめたのも、この人がどうしてそんな顔をするのか。 


「なんで……真犂さんが知ってるの? アタシ、言ってないのに……」


 ワケが分からないことばかりで、気付けばそんな問いが口から漏れていた。


 思い出せる限りでもその名前を口にしたことはなかったはず。

 アタシとこーたの過去を知ってる海涼ちゃんにも教えてないんだから。


 もしかしたら雨羽会長は知ってるかもしれないけど、無闇に個人情報を洩らす真似はしないはず。

 そもそもアタシと繋がりがあるなんて、普通は思いもしない。 

 だからこそ真犂さんが知っている理由が分からなかった。


 無理解に苛まれるあまりに頭が痛くなって来た。

 そんなアタシに真犂さんが声を掛ける。


「まどろっこしいのは苦手なんだ。だから単刀直入にあたしが知ってる理由を教える」


 そう前置きしてから告げた。









「あたしがお前の父親の浮気相手だった。それだけの話だ」

「ぇ……」


 真犂さんが……?


 予想もしなかった真実に茫然と立ち尽くしてしまう。


 どういうこと?

 海であったハルちゃんの母親が浮気相手じゃなかったの?


 感情が追い付かなくてどうしたらいいのか分からない。

 激高するのも恨みをぶつけるのも違う気がして、思考が上手く纏まらなかった。


 そんなアタシに対して真犂さんは、居たたまれなさそうに頭を掻きながら口を開く。


「まぁ驚くよな。あたしの方は海涼に星夏の家庭環境を知らされてから、薄々そんな気はしてたんだがな……」


 その声音はどこか切なげで、目に見えない何かを皮肉るような言い回しだった。


「ここに来る前に康太郎に訊いたんだよ。お前のをな。流石、腐れ縁というか一途な康太郎らしいというか、さも当然のように教えてくれたんだけどよ……ホント、世の中ってのは訳の分かんねぇ繋がりがあるもんだな」

「こーたが……」


 言われて納得する。

 確かにこーたとは両親が離婚して苗字が変わる前からの付き合いだからだ。


「色々と言いたいこととかあるかもしれねぇけどさ。とりあえずあたしの話から聴いちゃくれねぇか?」

「真犂さんの……?」

「おぅ。……バカな女の失敗談だ」

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