#129 いつか見た表情


「ん?」


 ふと目が覚めた。

 次に気付いたのは身体が怠いということ。

 程なくして寝るまであった出来事を思い出した。


 チラリと横に目を向ければ、そこには裸で毛布に包まる星夏の姿がある。

 もちろん俺も全裸だ。


 否応なしに昨夜のアレコレが夢ではなく現実だったと突き付けられてしまう。


 久しぶりの逢瀬は餌を焦らされ続けた獣のように貪り合う程だった。

 何度も何度も乞われるし、それに応えられる自分の精力に呆れるしかない。

 ……それだけ身体の相性が良いという証拠はなるのだが。


 それ以上に頭が痛くなりそうなのが、流されたとはいえ星夏との約束を破ってしまったことだ。


 お互いの着けるべきけじめを着けるまで、セックスは禁止にしよう。

 そんな約束を交わしてから四ヶ月近くも経った訳だが、普通の男女仲から見ても持った方だと思いたい。


 でも噂は解消されつつあって達成まで近かった分、破ってしまった罪悪感はかなり重くのし掛かる。

 だからといって誘って来た星夏を責めるつもりもない。

 むしろ……。


「約束を破ってでもしたくなるくらいに、イヤなことがあったってことだよなぁ……」


 あんな様子を見せた彼女が心配でならない。

 今も穏やかな寝息を立てている星夏を見やりながら、そんな推察を零す。


 星夏の性欲の強さは、両親の離婚による人肌恋しさが起因している。

 他にも抱えきれないストレスを感じると、それを性欲に置き換えて発散する面もあった。

 前者が俺と一つ屋根の下から離されたこと、後者を母親から何かしらの罵詈雑言を受けたと思えば辻褄は合う。


 それでも昨日は明らかに様子がおかしかった。


「そういえばICレコーダーを持たせてたよな」


 母親の保護責任者遺棄罪を立証するための証拠作りとして、会長が星夏に持たせていたICレコーダーの存在を思い出した。

 出来るだけ肌身離さずにするように言っていたから、ベッドの脇に脱ぎ散らかした制服の近くにあるかもしれないと当たりを付けて探す。


 思いの外すぐに見つかったが、漠然と一人で聴くのは躊躇してしまう。

 星夏が自棄を起こす程の会話を聴いて、母親相手に殴り込みに行かない自信が無い。

 放課後にでも会長と一緒に再生するのが妥当だろう。


「って、今何時──っげ!?」


 学校での予定を組んだついでに現時刻を確かめようと時計に目を向けのだが、針が差していた時間に思わず呻き声を出してしまう。


 ──午前十時。


 ホームルームの開始が九時であるため、盛大に遅刻していたのだ。

 単なる寝坊じゃなくて、幾度もの性行為の末に寝落ちしたのだから笑い話にもならない。


「……午前中の登校は諦めるか」


 焦る気持ちを落ち着かせながら、潔く妥協する。

 シャワーやら洗濯やら着替えに食事……これからやることの多さを考えると午後に登校する方が良い。


 ただ……星夏も遅刻している以上、クラスメイト達の勘繰りは避けられないだろうなぁ。

 面倒だし信憑性も無いだろうが、寝坊したの一辺倒で押し通すしか無い。

 ひとまずの方針を決めたところで、まずは星夏を起こすことにした。


「星夏、起きろ。朝だぞ」

「ん、むぅ~……」


 肩を揺すりながら声を掛けると、眉を顰めながらゆっくりと目を開ける。

 寝惚け眼でジッと見つめてから彼女はギュッと俺の腕にしがみついた。

 よっぽど寂しかったんだなと苦笑しつつ、ソッと星夏の頭を撫でる。 


「えへへ……」


 撫でられた嬉しさから、だらしなく破顔するが生憎と悠長にしている時間は無い。


「おはよう。思いっきり遅刻してるぞ、俺ら」

「何時に寝たんだっけ……全身が怠い……」

「俺も覚えてないんだよなぁ。とにかくシャワー浴びようぜ」

「ん……こーたが先で良いよ」

「自分が家主みたいに言うなよ。じゃあ先に行くぞ」

「ん~」


 寝起きというのもあるだろうが、それでも元気が無いのはすぐに分かる。

 本当に向こうで何があったんだか……とりあえず支度を優先することにした。


 =========


 シャワーを浴び終えて予備の制服に着替える。

 夏服になるが星夏の分もウチに置いてあって良かった。

 上からブレザーやコートを羽織れば、まぁ登下校の間くらいなら寒さも凌げるだろう。


 そうして部屋に戻ると、俺の格好を見た星夏が何故か驚いたように目を丸くしていた。


「え……こーた、どこに行くの?」

「いや、どこも何も学校だけど……星夏も早く着替えろよ。ただでさえ遅刻してるのに午後もサボったら、せっかくマシになってきた評判がまた悪くなるぞ」


 愕然とする星夏にそう説明するが、彼女は不安げな面持ちを浮かべたまま一向にベッドから降りようとしない。

 そうして目を伏せながら毛布に包まり、ポツリとある言葉を零す。


「──学校、行きたくない」

「え……?」


 星夏が発した呟きの意味を咄嗟に呑み込めず、思わず茫然としてしまう。


 母親のところに帰りたくないって言うならまだ分かる。

 だが学校に行きたくないなんて、ビッチの噂が目立ってた頃ですら言ったことがなかった。

 学校で何かあった訳じゃないのは俺がよく知っている。


 だとしたら星夏がこんなことを言い出した原因は、母親と何かあったからとしか考えられない。


「……なんでだ?」

「だって、学校に行ったらこーた以外の男子と会うから……だったら、行かない方が他の男子に目移りしなくて済むから……」

「目移りって……星夏はそんなことしないだろ?」

「無いって本当に言い切れる? アタシ、こーたがずっと近くに居たのに違う男子と付き合ったりエッチしてたんだよ? また同じことしないって保証はどこにもないじゃん」

「保証なんて俺が星夏を好きで、星夏が俺を好きでいるならいくらでもあるじゃねぇか」

「じゃあその好きが無くなったら? 今はこーたが好きでも、もしかしたら他の男子を好きになる可能性はあるよね? そうならないって根拠はどこにあるの?」

「星夏……?」


 どう見ても様子がおかしい。

 なんというか、自分に対する猜疑心に満ちていて俺の言葉を信じられていないようだった。


 昨日の時点で不安を感じていたが、こうも際立つと胸がざわついて仕方が無い。


「だからね? アタシがずっとこーたを好きで居続けるために、学校に行かない方が良いって思ったの。もちろんずっとじゃないよ? って思われないようにちゃんと頑張るから。こーたさえ傍に居てくれたらアタシは大丈夫だから」

「……」


 開いた口が塞がらなかった。


 俺が星夏を要らない?

 ありえないだろ。

 可能性の話でもそんなことを言われたことが、だ。


 俺は星夏が必要だから好きな訳じゃない。

 星夏が好きだから必要なんだ。


 そんな義務感のような気持ちだと暗に言われたことが酷く心外だった。


 いいや、違う。

 今考えるのはそんなことじゃない。


 心の底に沸いた負の感情を思考から投げ捨てた。

 このまま一人で考えても悪い方向に考えが行ってしまう。

 とりあえず話を切り上げるしかない。


「……分かった。星夏がそういうなら、学校には俺から休むって伝えておく」

「ゴメンね。ちゃんと掃除とかご飯作ったりするから……」

「無理すんな。何があったかは分からねぇけど、今は休むことに集中しろ。……じゃ、行くからな」

「うん……」


 星夏の頭を軽く一撫でしてから家を出る。

 彼女の一変にはICレコーダーの内容が関わっているのは明らかだ。


 ただ何よりも不穏に感じていることがある。

 星夏の言葉の節々に滲んでいた表情だ。


 まるで……自殺に踏み切ろうとした時の俺みたいに、今の彼女は自分に対して失望しているようだった。


「本当に、何があったんだよ……」


 その疑問の答えは漠然とした予感を遙かに上回る醜悪さで以て齎されることを、この時の俺は考えもしていなかった。


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