#130 咲里之侑香について
午後に登校したことに関して、寝坊という嘘──あながち嘘でも無い──はあっさりと信じられて、安堵したはずなのに軽く拍子抜けしてしまう。
星夏が休んでいることについては家庭の事情と暈かしてある。
俺達が両想いだと知っているクラスメイト達には多少訝しがられたが、毅然とそれ以上のことは知らないとシラを切り続けた。
そうして訪れた放課後、俺は生徒会室で雨羽会長と顔を合わせる。
前もって登校中に会長には星夏の様子を報告してあるが、ここでICレコーダーの再生を行うことにしたのだ。
再生ボタンを押すと録音された内容が露わになり、十五分程で終了した。
一通り聞き終えた俺と会長の間には重い空気がのし掛かる。
星夏があんな不穏な状態になっていたから、多少は覚悟していたつもりだった。
けれど彼女が直面した出来事は、あまりにも理不尽に満ちていて悍ましさを隠せない。
再婚を報せるメッセージが送られて来た時、何が何でも行かせるべきじゃなかった。
仮に通報されようが無視すれば良かったんだ。
あの女が何をしようが、こっちも強引に連れ戻すなりしていれば良かった。
そうしていれば、星夏はあんなにも追い詰められなくて済んだはずだったのに……。
拳を握る力が強すぎて、震えが止まらない程の怒りを覚えている。
後悔ばかりしていても仕方がない。
もう片方の手で震える腕と逸りそうな心を抑えながら、俺は口を開く。
「……会長。これ、証拠になりますよね?」
「今までのが不必要なくらいにね。むしろ余分よ」
自分でも驚く程に低い声が出たが、答える会長の語気にも憤りが含まれているように感じた。
彼女はそのまま両手で顔を覆い、長い息を吐いてから続ける。
「ふぅ~……。今までも相当勝手な人達の話を聴いて来たけれど、それにしたって今回はあまりにも惨いわ……」
「……」
聴いたことを後悔していそうな感想に、言葉を返せないながらも内心で同意する。
それだけ耳にした会話の中身は身勝手で理不尽で、あまりにも醜いモノだった。
もし一人で聴いていたら、間違いなく殴りに行っていたと思える。
再婚相手の清水さんが性欲を抑えきれず、魔が差して星夏の下着に手を出した。
確かに彼の我慢が利かなかったのが悪い。
だが音声の中でも星夏が言及したように、一番の原因はあの母親──そう呼ぶのも憚られる以上は咲里之と呼ぶことにしよう──が相手をしなかったのだって原因の一つだ。
それを棚に上げて事故で裸を見られただけの星夏を責め立てる様は、身勝手以外の何物でも無い。
何より酷いのが星夏の出生に対する責任感の無さだ。
少なくとも当時は愛し合って結婚した両親の間に産まれたと、星夏は信じていた。
なのに実際は愛情も無く道具として産み落とされただけという、とことんまで命を軽視した浅はかな理由だ。
その真実を知った時、俺は堪えきれない悍ましさを感じた。
皮肉なことにあの女がそんな軽率な行動に出ていなければ、星夏と会えなかった俺はこうして生きていないのだ。
腸が煮えくり返る激怒を感じているのに、かつての暴挙を責めたら星夏の存在を否定することになる。
そんな矛盾からさらに苛立ちが募るばかりだった。
そして最後の星夏がいずれ俺を好きで無くなるという妄言。
一方的な決めつけのそれを聴いて、ようやく今朝の彼女の様子に納得が行った。
今の星夏には俺しか縋れないのだろう。
自分の気持ちを信じられなくなっているから、他の異性と接触する機会を絶つことを選んだ。
そうすれば彼女が言った通り、俺を好きで居続けられる。
けれども俺は、そんな生き方をして欲しくない。
だからこのままで良いなんて思えなかった。
一人で色々と思案している最中、おもむろに顔を上げた会長が数枚の書類を取り出す。
「それは?」
「立証の参考になるかと思って調べた星夏ちゃんの母親……いえ、咲里之侑香に関する経歴をまとめたモノよ」
「なるほど……それで結果は?」
抜け目の無い会長らしい行動に感心しながらも、調査結果について尋ねた。
その問いに対して会長は眉を顰めながら告げる。
「昔から問題行動が多かったから思いの外すぐに集まったわ」
「問題行動?」
「イジメや恐喝行為に果ては援助交際と枚挙に
「……」
あの女の過去を知って、不思議と驚きはなかった。
録音されていた娘への態度から、あの性格は先天的なモノだと悟っていたからなのかもしれない。
そうでなければあんな無責任な言動は出来ないはずだ。
「イジメや恐喝か……妙に手慣れてる訳だ。きっと自分が気に入らない相手を貶める常套手段だったんだろうな」
「流石に自殺まで追い込んではいないようだけれどね。ただ、援助交際についてはある傾向が見られたわ」
「ある傾向?」
かつての星夏よりも悪質な行動に、会長が何やら共通点を発見したらしい。
どういうことなのか聞き返すと彼女は書類に目を落としながら続ける。
「相手がいずれも企業の御曹司やエリート社員に医者……つまりお金持ちなのよ」
「金目当てってことですか?」
「そう見て良いでしょうね。離婚した元夫は会社の御曹司で、清水さんは日本でも有数の保険会社の社長秘書よ。彼女が就いているホステスの仕事は収入面というより、出会いの場として選んだのかもしれないわね」
「そういうとこに通う男は金を持ってるからってことか……」
初婚も再婚も、まさに金と結婚するためにしたようなモノだ。
生きるためには確かに必要かもしれない。
だが……その価値観は星夏の命が金以下だって意味に捉えられる。
腑に落ちはするが……。
「──ふざけんな」
納得なんて出来る訳がない。
脳裏には亡くなった両親のことが過った。
二人の生命保険から出た金を渡された時、両親の命はこの金額分の価値だと告げられたような憤りは今でも覚えている。
あの時は万が一のために俺のことを思って遺してくれたんだと理解を示せるようにはなった。
でも星夏の場合はその思いすら無い。
自分勝手な欲望のために産んでおきながら、彼女の命に対して何の責任も負うともしない上に、金食い虫だと言わんばかりに疎んじる始末だ。
亡くなっても両親に愛されていた俺と、生きているのに両親に愛されなかった星夏。
こんな残酷な対比……知りたくなかった。
「康太郎君が憤るのも当然ね。一刻も早く起訴して今までの報いを受けさせないと」
「なら俺も──」
「君は星夏ちゃんのケアを優先して。傷付いたあの子が頼れるのは康太郎君だけなんだから。ただし決して無理はしないこと。この際、文化祭や作戦のことは無視しても良いからね? とにかく星夏ちゃんのことは頼んだわよ」
「……はい、分かりました」
理路整然と方針の指示を飛ばされ、逆らう理由も無い俺は頷くしかなかった。
今も待っている星夏の元に早く駆け付けたい気持ちが顔に出ていたんだろう。
起訴に必要なことの大半は会長が済ませてくれるはずだ。
だから俺は、俺に出来ることをしようと生徒会室を出るのだった……。
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