#127 アンタなんか

※DANGER※


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 アタシが裸を見られたせい?


 お母さんに殴られた理由を訊かされて、けれどもその内容は全く理解出来そうになかった。

 あれは清水さんも言ったとおり事故なのに、被害に遭ったアタシのどこが悪いの?

 わかんない……お母さんが何を考えてるのか、何も分からない……。


「じ、事故だって清水さんも言ったじゃん……」

「彼氏と離れるのがイヤだから、コイツを手っ取り早く追い出そうとアンタがそう仕向けたんでしょ。こうやって迷惑掛けて来るから連れ戻したくなかったのよ」

「……っ、うんざりしたいのはこっちの方だよ!!」


 事故のことを知ったらそういうかもって予想はしていた。

 でも実際に耳にするそれは理不尽に満ちていて、今まで募って来た不満もあってついに大声で怒鳴ってしまう。


 だけど撤回するつもりはない。

 あまりに身勝手なお母さんの態度に、堪忍袋の緒が切れたんだから。


「アタシは帰るつもりなんてなかったのに強引に連れ帰って来たのは誰!? 大体、清水さんがこんなことした原因はお母さんが相手しなかったからでしょ!」

「はぁ? 私に面倒見とけっていうの? 何様のつもり?」

「夫婦なら当たり前なのに面倒って何? じゃあお母さんは何のために清水さんと再婚したワケ!?」

「そんなの幸せになるために決まってるじゃない。分かり切ったこと訊かないでよ」

「どこが!? アタシはここで暮らしてから幸せなんて感じてない!!」


 清水さんの前で本音をぶつけあって良いのか、なんて躊躇いはない。

 むしろ厄介払いでも何でも、アタシを自由にしてくれるなら清々するくらいだ。


 一方でお母さんは無責任なことしか言わなかった。

 幸せになるために結婚をする……そこは間違っていないかもしれないと思う。

 でもこんな生活でアタシはそんな気持ちを懐いたことはなかった。


 むしろ苦痛と退屈ばかりで、まるで子供のおままごとに付き合わされている気分でしかない。


「アンタの気持ちなんて知ったことじゃないわよ! あぁもう、ホントにウザいウザいウザいウザい! そもそも私の人生がこんなのっておかしいじゃない!」

「全部、お母さんが自分で招いたことじゃん!」

「うるさい!!」

「っ、あぅ……!」


 髪を掻き毟って癇癪を起こしたお母さんが怒鳴ると同時に、感情任せに振るわれた平手打ちで殴られた。

 勢いよくぶたれたせいで床に倒れ込んでしまう。

 唇が痛い……切ったかもしれない。

 それでも痛みを堪えながら起き上がろうとするけれど、不意に髪を引っ張られて顔が持ち上げられる。


 強引に顔を合わせられたお母さんの表情は、かつてないくらいの憎悪に満ちていて……。


「私の人生が狂い出したのは全部アンタを産んでからよ! この疫病神!! こんなことになるんだったら昔の私に言ってやりたいわ!!











 ──金持ちなだけの浮気男とのに、ってね!!」


 そう声高に告げた瞬間、緊迫していたはずの空気が嘘のように静まり返った。


 好きでもない男?

 結婚するための材料?

 ゴムに……穴?


 真っ白になった思考で反芻した言葉を、心が勝手に咀嚼して呑み込んでしまう。

 少しずつ意味を理解していく度に、煮え滾っていたはずの腸が凍り付いていく。 

 あまりの寒さに身体は震えが止まらなくて、頬や唇の痛みすら忘れてしまう。


「──う、そ……だよ、ね……?」


 それでも受け入れたくない一心で、震える声音で否定を求める。


 認められるはずがない。

 アタシはまだ、小さい頃に幸せだったはずの家族の姿を覚えているんだよ?


「あ、アタシは……愛し合って結婚した二人の間に、産まれて……」


 なのにそんな言い方はまるで……。

 目尻にじんわりと熱が集まるアタシに構わず、お母さんは続ける。


「金持ちと結婚するならその方が手っ取り早いじゃない。のに無駄にしかならなかったけれど」

「む、だ……って」


 思い出が……ガラスみたいに割れて砕け散る音が聞こえた気がした。


 間接的にお母さんがアタシを妊娠した時、お父さんだった人がなんて答えたのかも否応でも突き付けられたのだ。

 もう聞き間違いだったと目を逸らすことも出来ない。


 ──アタシは後になって要らなくなったんじゃなくて、初めから望まれても愛されてもなかったって。


 ……そっか。

 だからお母さんはずっとアタシを煩わしそうに見るんだ。

 過去の自分の失敗が娘っていう形を持っている上に、何も分かってないのに理解者みたいな顔して接して来るんだから、いつも不機嫌になっていたのも頷ける。


 家族ごっこをしていたのは……アタシの方だったんだ。


「っ、グス……ぅ、ぁあ……」


 もうどんな例え方をしていいのかさえ分からない程に、心に大きな絶望がのし掛かる。

 涙が溢れて止まらなくて、アタシは嗚咽を交えながら泣くことしか出来ない。 


 今になってやっと、両親が事故で亡くなって独りなったこーたの気持ちが分かった。

 こんな辛い気持ちを抱え続けていたら、死にたくなるのも当然だと思えてしまう。


 …………そうだ、こーただ。


「ひくっ……こーたぁ、帰りたいよぉ。グスッ、こーたぁ……」


 出生の真実を知って打ちのめされたアタシが縋れるのは、もうこーたしかいなかった。

 こーただけはアタシを必要としてくれるから。


「は? アンタまだあの時のガキと付き合ってたの?」

「帰して……こーたのとこに、帰らせてよぉ……」

「ッチ、めそめそ泣いて鬱陶しいわね」


 最初から要らない子だったんなら、早く捨てて欲しい。

 そうすればこーたの家に帰れる。


 今求めているのはただそれだけだった。


「アンタみたいな疫病神、どうせ捨てられるに決まってるわよ」

「っ、こーたは、そんなことしないもん……!」

「どうでもいい。っていうかむしろ、じゃない」

「──……ぇ?」


 お母さんが言ったことの意味が全く理解出来ない。


 アタシが……こーたを捨てる?

 なんでその方があり得るって言うの?

 だってアタシはこーただけが好きなのに……。


「こーたを捨てたりなんて、しない……」

「いいや捨てるわよ。今は好きでもその内に飽きて捨てて、違う男に乗り換えるに決まってるわ」

「そんな根拠、どこにも……」

「あるじゃない」


 茫然とするアタシの様子を見て何が可笑しいのか、お母さんはほくそ笑みながら告げた。


「アンタが学校でなんて言われてるか知らないとでも思ってたの? 男を取っ替え引っ替えしてたビッチってね」

「──ぁ」


 心臓が鷲掴みにされた気分だった。


「な……なんで……?」


 どうしてアタシに興味なんてなかったお母さんが、そのことを知ってるの?

 息が詰まりそうな胸を押さえながら、知った経緯を尋ねた。


 すると髪を掴んで離さないまま、縦横無尽に振り回される。

 髪を引っ張られる痛みと急に頭を揺らされたせいで気持ち悪い。

 堪らずむせてしまうアタシを尻目に、その答えを伝えられる。


「いつだったか学校からアンタのことで連絡が来たのよ。どういう教育をしてるんだってね。なんで私がアンタなんかのことで怒られないといけないわけ? ってむかついたらよぉく覚えてるわ」

「けほっ……い、今は、そんなこと、してない……」


 多分、噂が回り始めた頃に何も解決してくれなかった先生が、電話だけで事実報告をしたんだ。

 自業自得だけど……何もこんな時に掘り返して欲しくなかった。 


 それでも今は違うと否定する。

 ちゃんとこーたを一途に想うって決めたんだから。


「口ではなんとでも言えるわよ。むしろ納得したくらいだったわ」


 納得って、何を……?

 そう問い掛けるより先に、お母さんは言った。





「──私を捨てたアイツと同じ、平気で人を裏切るクズの血がアンタにも流れてるんだってね。そんなヤツが一人を好きで居続けられるわけないでしょ」

「──っっ!!」


 ずっと目を背け続けていた事実を。


 途端、過去に付き合っては別れて来た元カレ達に笑みを振りまく自分が過った。

 好きでもないのに好きになろうとしたり、どうせ身体目当てだって分かってるのにエッチしたり、思っていたような交際が出来なくなったら別れたり。


 アタシがやって来たことは全部、アタシが一番嫌いなことそのものだって分かってた。

 でも最後にお互いを想い合える人が出来れば、それで良いんだって気付かない振りをして……。

 やっとこーたと両想いになったのに、好きになってからの方が不安になることが多くなっていく。


 その原因はこーたがアタシを好きじゃなくなることなんかじゃない。


 好きになればなる程、こーたを好きじゃなくなるかもしれない時が堪らなく恐かったんだ。

 アタシの身体には浮気をして捨てた過去を忘れたお父さんと、自分以外の人を踏み台にしか思っていないお母さんの血が流れているんだから。

 クズとクズと間に必要もないのに産まれたクズの子供だって。

 全身を掻き毟りたくなる程の嫌悪感に、張り詰め続けていた糸がプツリと切れるような錯覚がした。 


 ──あぁ、もうダメだ。


 目の前が真っ暗にしか映らない諦観から、涙すら流せない虚しさに心が沈んでいく。


「ふん」

「……っ」


 絶望したアタシの表情を見て話は終わったと踏んだのか、お母さんは掴んでいた髪を床に叩き付けるようにして放した。


「疫病神のアンタなんかもう要らないから、お望み通り彼氏のとこに行きなさいよ。それで飽きて捨てて、色んな男に媚び売っていくんだわ。アッッハハハハハハハハ! クズのアンタにはお似合いじゃない!!」

「……」


 嘲笑を交えながら、口頭上で絶縁を告げる。

 それに対して否定する気力はもう残っていなかった。


 荷物を纏める必要はない。 

 部屋の隅に置いてあるバッグに、いつでも帰れるように準備してある。

 普段使いのカバンと一緒に抱えて、別れを告げることもなく一目散に出て行く。


 外に出て寒さに震えながら、そういえばと録音状態にしていたICレコーダーを停止させる。


 やっとこーたのところに帰れるはずなのに……身体と心はかつてない程に傷だらけになっていた。

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