#126 仮面の崩壊
十二月初頭……お母さんの再婚から一ヶ月が経った。
文化祭まであと二週間ちょっとだ。
説得の方はあまり上手くいってない。
清水さんが居るタイミングで言うと良いよって答えたのに、後になってメッセージで『ふざけんな』とか『文化祭くらい休め』とか、全然認めてくれないんだもん。
それでもアタシは諦めずに説得を続けたけど、お母さんが頷くことはなかった。
ちなみにあの事故以来、清水さんから話し掛けられる頻度が減った気がする。
アタシに嫌われたと思ったのか、罪悪感で話し掛けづらいのかはわからないけれど、こっちとしては少し気楽になったくらい。
その状態についてお母さんから何も言われてないから、怪我の功名ということで特に解消させることもなかった。
「はぁ~……寒すぎ~」
用があって外に出ていたアタシは、本格的な冬に差し掛かって増した寒さに愚痴をぶつけた。
制服の上にコートは着てタイツも穿いてるけど、あまり意味が無い気がする。
外出してる理由はお母さんから送られたメッセージでおつかいを頼まれたからだ。
学校から帰った直後だから早く言って欲しかった。
「それがコンビニ限定のジュース一本とか、これくらい自分で買えば良いじゃん」
なんて文句を言ったら怒られるから、文章では景気よく返事しといたけど。
しかも悪いことは重なるモノで、家から近いコンビニはどこも売り切れてたし。
少し遠いとこでやっと見つけて買えたのがついさっき。
時間的にも清水さんが先に帰ってるだろうなぁ。
なんだったらお母さんも帰ってそうだし、アタシの頑張りは徒労に終わってるかもしれない。
まぁそんなの昔からよくあることなんだけどさ。
「精々上手くいったのって、こーたとの関係くらいだよねぇ」
ついでに買ったフルーツオレを飲みながら思い返す。
生きる気力を失くしたこーたをなんとか止めたこととか、恋をして両想いでいられることとか、何もかもってワケじゃないけどアタシにしては良い傾向だと思う。
このまま付き合い続けていずれは……。
そこまで考えて浮かび掛けた考えを振り払う。
いくらなんでも気が早いし……結婚したからって別れる可能性は残ったままだ。
こーたのことは信じてる。
でも……万が一って不安がどうしても消えない。
「……一人で考えててもキリがないや。早く帰ろっと」
モヤモヤを一旦置いといて、駆け足で帰路を急ぐことにした。
膝、カチカチに冷えて痛い。
シャワー浴びて温まらなきゃ。
「ただいま~。遅くなってゴメンね」
そんな思いで家に着いたアタシは、空元気で笑みを繕いながら帰宅を告げた。
なのにおかえりって返事が聞こえて来ない。
誰もいない……なんてことはないはず。
鍵は普通に開いてたし、玄関には清水さんとお母さんの靴がある。
お母さんだけなら返事がなくて当然だけど、清水さんがいるのに何もないのはおかしい。
何か用事中?
もしくは……そういうことなのかな?
とりあえず様子だけ見ようと胸ポケットに忍ばせてたICレコーダーの録音ボタンを押してから、居間に行くと清水さんとお母さんの姿が見えた。
そのことに安堵して声を掛ける寸前で、どこか不穏な空気に気付く。
清水さんがお母さんの前で頭を下げていた。
それだけじゃない。
「……」
「……」
何故か無言なのだ。
お母さんが清水さんの前で黙ってるなんて見たことがなかったから、部屋を包んでる沈黙がやけに歪に感じる。
どうしてだろ、凄くイヤな予感がした。
それでも知らないままで居たくなくて、思い切ってお母さんに尋ねる。
「お、お母さん? 何かあったの?」
「……」
胸に燻る恐怖を抑えながら呼び掛けると、お母さんはゆっくりと振り返ってアタシを横目でジッと見つめる。
その目は清水さんの前じゃ絶対にしなかったはずの、見慣れた不機嫌な眼差しだった。
どうしてそんな目を、なんて疑問より先に……。
──アタシの視界がブレた。
遅れて自分が床に倒れたことに気付いて、ジンジンと痺れる頬の痛みで何が起きたのかを悟る。
殴られた。
誰に?
……お母さんにだ。
恐る恐るお母さんの方へ顔を向ければ、その表情は憎悪すら感じさせる程の怒りを露わにしていた。
──謝らなきゃ。
咄嗟に浮かんだのは、今までに刷り込まれた恐怖に対する逃避方法だった。
「……じゅ、ジュース買うの遅くなって、ごめ──」
「なにしらばっくれてんの? ちゃんと考えなさいよ」
「ぇ、え……?」
ジュースのことで怒ってるんじゃないの?
だとしたら、お母さんが何に対して怒ってるのか全く分からない。
そもそもどうして清水さんの前なのに素で話してるの?
ワケが分からなくて彼の方へ視線を向けて……足元に落ちていたあるモノに気付いて、ただでさえ覚め止んでない動揺がさらに強くなった。
目に留まった淡い桃色のそれは────アタシの下着だからだ。
洗濯物を取り込んだとかならここまで愕然としていない。
じゃあ何に動揺してるのかって……だって違うんだもん。
今朝、洗濯した下着とは色も柄も。
意図的にアタシの部屋のクローゼットから出さない限りは、清水さんの足元にあるのはどう考えたっておかしい。
何のために、なんて疑問の答えは頭の隅っこで浮かんでいる。
けれども心が理解を拒んだ。
そんなこと、あって良いはずがない。
そうじゃないとアタシは……。
「分かった?」
「っ!」
分かりたくもないのに、お母さんはアタシに突き付ける。
「コイツはね……アンタの下着をオカズにシてたのよ」
「……っっ!!」
耳を塞ぐ間もなく目を逸らしていた事実を告げられて、ゾワリと途轍もない嫌悪感が背筋を奔った。
腹の奥からせり上がって来る吐き気を、咄嗟に手で口を覆って抑え込む。
けれども心に過った気持ち悪さは全然拭えなくて、自分がどういう表情をしているのかさえ分からなかった。
どうしてお母さんと結婚したのに、アタシの下着でそんなことするの?
お母さんが好きだって言ってたのは嘘だったワケ?
元から良い印象なんてなかったけれど、最悪を通り越して顔も見たくないくらいに悍ましかった。
「ち、違う! ぼ、僕は決して星夏ちゃんを傷付けるつもりはなかったんだ! ただ……侑香さんと結婚してからは一度も、その……せ、セックスレスになってね? 一人で処理しても全然スッキリしなくて悩んでたんだ。そ、そんな時に脱衣所であんな事故があったじゃないか。ぁ、一瞬! 本当に一瞬だったんだけど……星夏ちゃんの、は、裸が、頭から離れなくて余計に溜まって……。ダメだって我慢していたけど、一回、だけですぐになら、気付かれないだろうって魔が差して……そうしたら侑香さんが、帰って来て……」
「……」
訊いてもいないのに、清水さんはべらべらと言い訳を宣う。
しかもその弁明は身勝手極まりない醜悪の塊だっただけに、何一つとして許容出来るモノじゃなかった。
そっちの事情なんて知ったことじゃないし、結局は裏切り以外何物でもない。
第一……我慢しているのが自分だけだったみたいな言い方が癪に障る。
アタシだって……ううん、アタシの方がいっぱい我慢してることが多い。
こんなとこよりこーたの家に居たかった。
こーたとデートに行けないのに、遠出に付き合わされて退屈なのを隠さなきゃいけない。
大して面白くもない会話に愛想笑いを浮かべて。
そうやって抑えて耐えて我慢してたこと全部、清水さんに台無しにされた。
今まで頑張って来たのが馬鹿馬鹿しくなる虚しさから、泣きたいはずが涙も出てこない。
あれ?
ちょっと待って、だったらおかしくない?
「お、おかあ、さん」
「あ?」
「清水さんが自分が悪いって認めてるなら…………なんで、アタシを殴ったの?」
今になって思い出した頬の痛みに対して、なんの答えも伝えられていないことに気付いた。
この人の行為で被害に遭ったのはアタシも同じなのに、どうしてお母さんに殴られなきゃいけなかったのか全然分からない。
そんな問いを口にしたアタシにお母さんは……。
「呆れた。まだ分かってないの?
コイツがこんなことしたのは……。
──アンタが裸見られるようなことしたせいでしょ?」
……。
…………。
「──ぇ」
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