#100 ズルい
「荷科君の推察通り、あの時私を襲ったストーカーは捕まっているんです。それも事件から一週間も経たない内に……」
「……思ってたより随分と早かったな」
公園から家に戻る途中、隣を歩く眞矢宮がそう切り出した。
そのあまりの呆気ない終わりの早さに思わず呟きが漏れてしまう。
梅雨を過ぎた頃ぐらいに考えていたが、そんなに早く捕まっていたのは思っていなかった。
「別件で逮捕されていた被疑者のDNAが採取されていたストーカーの毛髪と一致したこと、自宅のパソコンに私を盗撮した画像データが入っていたそうです。それによって犯人はストーカー行為を認めたことで再逮捕されたんです」
頭では理解していたつもりだったが、報道されていないだけでこういった事件はいくつも起きているのだと改めて認識させられた。
ともあれ結果的には眞矢宮が再び襲われるようなことは無くなった訳だ。
しかし、話はそこで終わらなかった。
「最初は普通の生活に戻れることに安堵しました。けれども……ストーカーが捕まった以上、もう荷科君が私を家まで送る必要も無くなったことに気付いてしまったんです」
ストーカーがまた襲撃して来る可能性を考慮した真犂さんや眞矢宮の両親からの頼みで、バイト終わりの彼女を俺が家まで護衛することになっていた。
ならその犯人が居なくなれば、俺の役目が終わることは至極当然の流れだ。
だがそうはならなかった。
「私、バイト終わりに荷科君と帰る時間が何よりの楽しみになっていたんですよ」
少しだけ前に出た眞矢宮がそう告げる。
後ろにいる俺にはどんな表情をしているのかは分からないが、その声音には溢れんばかりの慈しみに満ちていた。
「そこまで忙しくありませんけどバイト中の私語は厳禁ですし、通っている学校も違うんですからどうしても一緒に居られる時間が限られてしまいますよね? ストーカーから守るための名目であっても、好きな人と二人で過ごせる時間はとても幸せでした。……それが一週間にも満たない内に終わることが、どうしても受け入れられなかったんです」
別に何か特別なことをしていた訳じゃない。
眞矢宮を不安にさせないように、互いの学校の出来事やバイトのことだとか他愛の無い話をしながら歩いていただけだ。
俺からすればそんな認識の時間が、他でもない彼女にとってはかけがえのないモノになっていた。
だからこそ眞矢宮は……。
「──ですから両親と真犂さんに、荷科君にはストーカーが捕まったことを内緒にして欲しいとお願いしたんです」
──まるで服の裾を小さく摘まむ様な嘘を付いた。
「荷科君は本気で心配してくれているのに、肝心の私は自分の我が儘で嘘を付いていることが、苦しかった……」
ずっと忍びない気持ちだったんだろう、優しい性格をしている彼女らしさが窺えた。
ましてや嘘を付く相手は好きな人で犯罪者から救った人なんだ。
助けてくれた恩に最低な仇で返す形になった罪悪感による苦痛は、まさに身を切るような思いだったのかもしれない。
それでも眞矢宮は俺と一緒に居たい一心で、罪悪感で痛むを心をひた隠しにして来た。
真犂さんや眞矢宮の両親は何も言わなかったのだろうか?
いや、言ったとしても彼女は嘘を付くことを曲げなかったのかもしれない。
ただ好きな人と同じ時間を過ごしたい。
やり方が間違っていると分かっていても、その想いから終わりを拒んだのだろう。
「そう遠くない内に本当のことを言わなければいけないとは思っていました。けれども荷科君と過ごす時間があまりにも温かくて楽しくて……いつか言おうと思うだけで行動は出来ませんでした。そうやって『いつか』を何度も先延ばしにし続けて……」
人は不幸には耐えられるが、幸福には逆らえないと訊いたことがある。
眞矢宮にとって俺と過ごす時間は、後ろめたさを感じていても捨てられなかったんだ。
そうして少しでも幸福を引き延ばそうとして行った結果……。
「──フラれたのも、バチが当たったのなら当然ですよね」
そう自嘲する眞矢宮は酷く切なげな苦笑を浮かべていた。
実態としては俺が星夏を諦められなくて断っただけで、バチがどうこうなんて微塵も関係ない。
それは恐らく彼女自身も理解しているはずだ。
だが理解していても納得出来るのとは別の話で、そうでも思わないと眞矢宮は失恋の悲しみに耐えられなかったのだろう。
そうであっても告白に踏み切ったのは俺への強い恋情からか……もしくは自らの嘘に傷付き続けた苦しみから逃れようとする、無意識の理由作りだったのかもしれない。
「それでも荷科君が好きな人と進展しそうに無いなら、まだチャンスはあるんじゃないかなんて思ったんです。……何より、フラれただけで諦められそうに無かったというのが大きいんですけれど」
フラれた勢いのままストーカーが捕まったと言えば、嘘を付き続ける必要もなかったはずなのに、眞矢宮は俺を想い続けることを選んだ。
あの瞬間にどれだけの逡巡があったのか想像も付かない。
「でも……荷科君と星夏さんの間にあった過去を知った時、私なんかじゃ敵わないなんて思ってしまいました」
紆余曲折を経て中学時代のこと話し終えた時、彼女の声は切なそうに震えていた。
あれは自殺する気だったことや星夏の噂のことに胸を痛めていたと思っていたが、本当は恋が実る可能性がないことに対する諦観だったようだ。
そんな悲観に暮れても想いを捨てきれないのは……鏡映しに自分を見つめている様な錯覚すら憶えてしまいそうだった。
「振り向かせられないと分かっていても、荷科君を諦められませんでした。フラれてもストーカーの逮捕を秘密にしていれば、ただのバイト先の同僚には戻らなくて済むだなんてズルいことばかり考えて……」
前を歩いていた眞矢宮が立ち止まり、くるりと俺の方へ振り返る。
その表情は一見すると笑顔なのだが、目の奥に形容出来ない感情が渦巻いているように見えた。
「そんな気持ちを抱えたまま旅行から帰った時にあの手紙です。荷科君の予想通り、アレは雨羽さんが用意していたモノだと後になってから報せて頂きました」
そこで雨羽会長の名前が出された。
正直、俺と眞矢宮の関係にけじめを着けるためだと分かっていても、あの人の行動には憤りを覚えている。
ここまでして彼女が傷付くことくらい予想出来ただろう。
発端の一部に自分が関わっているものの、もっと穏便に済ませる方法だってあったはずなのに。
そんな俺の内心を察したからか、眞矢宮が苦笑しながら口を開く。
「あの、あまり雨羽さんを責めないで下さいね? 元はと言えば荷科君に嘘を付いていた私が悪いんであって、断らずに協力を頼んだのは私自身の意志です」
「……俺と一緒に居たかったから?」
「っ……はぃ」
会長の協力を拒まなかった理由で以て聞き返すと、眞矢宮は恥ずかしそうに赤い顔を俯かせながら小さな声で肯定した。
我ながら自惚れが過ぎると思っていたが、否定されないとどうにも気恥ずかしくなってしまう。
だがただ好きな気持ちだけで、わざわざ一つ屋根の下で過ごすように誘導する必要は無かったはずだ。
それがいつもの帰り道だけで満足出来なくなって嘘に嘘を重ねたなら、まだシンプルに捉えられていた。
「荷科君と一緒の家で過ごした時間はとても楽しかったです。アレが嘘で作り上げた状況だった点が唯一の不満でしたけれど」
居もしないストーカーに怯える演技をしていたとはいえ、その感想は紛れもない本心なのだろう。
「──私、分かっていたんです」
「……何が?」
「荷科君と星夏さんが、恋人に限りなく近い関係になったことを」
「……あぁ、やっぱりそうだったんだな」
打ち明けられた気持ちを知って合点がいった。
さっきの返事より前に、眞矢宮は俺達のことを察していたのだ。
「お互いを見る目が旅行前後で変わっていることくらい、分かりますよ。……いえ、分かってしまったって言う方が正しいかもしれませんね」
真相に気付くことが必ずしも好転に繋がるわけじゃない。
眞矢宮としては俺と星夏との進展は知らない方が良かったのだろう。
けれども察しが良い彼女は知ってしまったのだ。
皮肉にも、それが好きな人のことをよく見ている証拠だった。
だから眞矢宮は会長から提案された、偽装ストーカーの申し出を受け入れたのだろう。
歩きながら話している内に眞矢宮の家に着いていた。
門の前で立ち止まって、彼女は手慣れた調子で鍵を開ける。
「荷科君の想いが叶ったことは……悔しいですけれど良いことだとは思いました。でも……」
そこで言葉を区切り、眞矢宮が顔を合わせる。
「──ズルいな、って気持ちが拭えませんでした」
震えた声音でらしくない言葉を吐露した。
何がズルいか……なんてことを俺が訊くのはやぶ蛇でしかない。
目尻に涙を浮かべながら眞矢宮は続ける。
「私が欲しい荷科君の全部を持っている星夏さんが……ズルいなって羨ましくて堪らなかったんです」
一見すると仲が良いように見えていたが、眞矢宮の中で星夏に対する羨望はずっと燻っていたんだ。
自分が好きになった人が、出会うより先に違う人を好きになっていた。
そんなどこにでもあって聞けるような、ありふれた残酷な話が何よりショックだったのだろう。
「私は違う学校なのに小学校からの腐れ縁なのがズルい。好きな人が一番辛かった時期に傍で寄り添えられたのがズルい。嘘まで付いて繋ぎたかった関係を紡いでいるのがズルい。命の恩人なんて大きすぎる立ち位置がズルい。合鍵を貰って一緒に過ごしているのがズルい。何があっても好きで居続けられる想いを向けられているのがズルい。好きになった瞬間から恋人になれないだなんて……あんまりじゃないですか……!」
頬を伝って流れる涙と共に、今まで内に秘め続けていた不満を口にした。
自分が先に出会っていれば、なんてたらればを言ってもキリが無いのは彼女も理解しているのかもしれない。
それでも言わずに居られないくらい、俺に好かれている星夏が羨ましかったんだ。
ここまで強い想いを突き付けられているのに、何も言えそうになかった。
──好きな人と一緒に居るためだけに、好きな人に嘘を付き続けた。
その彼女の気持ちだけは、つられて泣きそうなくらいに解る。
彼女がストーカーのことを隠していたように、俺も星夏と離れたくなくて自分の気持ちに蓋をしていた。
同じなんだ、俺と眞矢宮は。
だから……掛けられる言葉が、見つからなかった。
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