#95 一人になりたくない
「海涼」
「どうしました康太郎く──えっ!?」
隣を歩く眞矢宮に呼び掛けてから、その細い肩を抱き寄せる。
突然のことで彼女が小さく驚くが、自分の体勢を理解するとみるみる内に顔を赤らめていった。
誤解させた様で申し訳無いが、今は謝るより尾行されていることを知らせるべきだと罪悪感を飲み込む。
「こ、こ、康太郎、くん……?」
「いきなりで悪い。けど落ち着いて聴いて欲しい」
「な、なんですか?」
「今、後ろにストーカーがいるかもしれない」
「──っ!」
ストーカーの存在を明かした途端、赤くなっていた眞矢宮の顔色から一気に血の気が引いていった。
いくら彼女が強かでも大して関心の無い大木と違って、トラウマの元凶であるストーカー相手では怯えてしまうのも仕方がない。
蛇に睨まれたカエルの様に身体を震わせ始めた眞矢宮を安心させるべく、肩に触れている手に小さく力を込める。
「──大丈夫だ。俺が傍にいる」
「康太郎くん……」
たった一言、守るからと告げると眞矢宮の顔色が少しだけ赤みを取り戻した。
本音を言えば今すぐにでもストーカーのところへ殴り込みに行きたい。
けれども俺が動けばストーカーに自分の存在に気付いたと伝えてしまうことになり、取り逃がしてしまう可能性がある。
そもそも俺の役目はストーカーを捕まえることじゃなくて眞矢宮を守ることなので、逮捕は警察に任せる他ない。
仮に向こうから襲って来るのであれば話は別だが、今までの慎重振りを考えれば背後を尾けられている現状ですら十分な成果だろう。
さて、ここからどうするか。
その対処法に関しては予め雨羽会長から聞いている。
「海涼、打ち合わせ通りまずは警察に通報。ストーカーに悟られない様にスピーカーモードにして状況を伝えるんだ。俺はこのまま後ろを警戒する」
「は、はい……」
小声で改めて指示を出すと、眞矢宮は怯えながらも言われた通りに動き出した。
念のためストーカーの気配を窺うが、粘り着くような視線に変わりない。
むしろ俺が彼女の肩を抱き寄せたことが気に入らないのか、嫉妬と殺意が混じった眼差しを感じるくらいだ。
俺に意識を向けているなら好都合、通報を聞き付けた警察が来るまでの時間稼ぎになる。
「もしもし警察ですか? 以前からストーカーの件でお世話になっている眞矢宮です。今、外出先から帰っている途中なのですが、背後にストーカーが付いて来ていまして……場所は──」
眞矢宮が囁くように警察へ状況と場所を伝えていく。
このままゆっくり歩いて行けば、眞矢宮の家まで三十分程は掛かるだろう。
それだけの時間があれば警察も間に合うはずだ。
「犯人の特徴は……分かりません。振り返ると襲われるかもしれないので……あの、まだ来て頂けないんですか?」
通報中の眞矢宮の声音に焦りと不安の色が滲み出す。
彼女の伝え方が悪い訳では無く、通報を受け取った警察が事の詳細を尋ねるためにどうしても時間が掛かってしまうのだ。
必要なことだとは分かってはいるが、早く警察の助けが欲しい身としてはもどかしいことこの上ない。
「──っ! クソッ……」
その焦りが俺達の態度に出てしまっていたんだろう。
ストーカーは通報されていることを察知したのか、背中に刺さるほど感じていた視線が不意に消え失せた。
周囲を見渡すがどこにも人気が無い……完全に逃げられたようだ。
ようやく捕まえられるチャンスが来たというのに、無駄に慎重なヤツだと歯噛みしてしまう。
不安げな眼差しを向ける眞矢宮へ、無言のまま首を横に振ってストーカーが逃げたことを報せる。
すると彼女は危機が去ったことを喜べば良いのか、捕まえられなかった不満を露わにするべきか、なんとも複雑な面持ちを浮かべた。
「……すみません。どうやらストーカーは逃げたみたいです」
そういって通報中だったスマホの通話を切り、胸に募っていたであろう諸々の感情を吐き出すように長い息を吐いた。
被害者である眞矢宮からすればやっと普通の暮らしに戻れる機会だっただけに、そのやるせなさは俺以上に強いのかもしれない。
「……帰ろうか」
「はい……」
思うところはあるが、このまま外に居続ける訳にもいかないため静かに帰宅を促す。
眞矢宮も浮かない表情の頷き、俺達はゆっくりと歩き出した。
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眞矢宮の息抜きの一環として、今日の夕食は俺が作ることになっている。
ここ数日は彼女に任せたので、自分でやるのは何気に久しぶりだ。
買った食材を使って豚バラ肉の野菜炒め和えを作った。
炊きたての白米と暖かい味噌汁を合わせた簡単な定食風のラインナップで、我ながら良い出来映えだと思える。
ストーカーが現れなければもっと和やかな空気で料理を振る舞えたんだがなぁ。
食事中の眞矢宮は表面上は明るい笑みを見せているものの、頻りに窓へ視線を向けたりして落ち着かない様子だ。
無理もない。
手紙が送られただけで顔を真っ青にして怯えていたのだから、実際に背後にいると分かったらもっと怖いに決まっている。
「……とても美味しかったです。ごちそうさまでした」
「あぁ、サンキュ」
やがて食べ終えた眞矢宮から称賛を送られた。
味の感想で嘘を付く様な性格ではないのが、どうにも素直に受け取れない気分だ。
使った食器を洗う最中も俺と眞矢宮の間に会話はなく、それらが終わってリビングのソファで座ってからも沈黙が続く。
「……」
「……」
何か言わないとこの空気を破れないだろう。
今日は危なかったけど何もなくて良かった?
せっかくのチャンスだったのに、逃げられたのは悔しかったな?
ダメだ……頭の中に浮かんでいても喉から声になって出てこない。
それにどれも気休めになるかも怪しいくらいだ。
今の彼女が感じているであろう不安や恐怖は、男でストーカー被害に遭ったことのない俺には推し量れない。
──ピピピピピピピピッッ!!
「「──っ!!」」
頭の中でモヤモヤと思考を繰り返している内に、唐突に鳴った電子音によって静寂が破られた。
来客とか着信ではなく、夕食前に沸かしておいた風呂の準備が整った報せだ。
不意打ちだったから少し驚いたが、何も無いよりマシだと思ってそのまま口を開く。
「海涼。俺は後に入るから、今日は先に行ってくれないか?」
「……」
僅かに声音が固くなってしまったものの、何とか会話を切り出すことが出来て内心で安堵する。
一緒に暮らしている間にどちらが先に入るかは特に決めていないが、今日の一番風呂は彼女に譲ることにした。
些か強引だっただろうか?
まぁ入浴を済ませて少しでもスッキリすれば、鬱屈した気分も晴れるだろう。
そう思ったのだが、何故だか眞矢宮は顔を俯いたまま立ち上がろうとしない。
それどころかそわそわと落ち着きがなさそうな感じだ。
俺を気遣って遠慮しているのかと思った矢先、彼女はおずおずと手を伸ばして服の裾を掴んで来た。
「み、海涼……?」
「康太郎くん、お願いします……」
「……何を?」
消えそうなくらいにか細い声量だったため、何をお願いされたのかよく聞き取れなかった。
思わず聞き返すと、返事代わりという風に眞矢宮が俯かせていた顔を上げる。
目にした彼女の表情は、ストーカーに対する不安な気持ちとどこか恥ずかしさを押し殺した様な気持ちが混じっていた。
内心を探ろうとするより先に、深呼吸を挟んでから眞矢宮が口を開く。
「その……一秒でも一人になると不安で仕方が無いんです。ですから……、
──お風呂は……一緒に入って頂けませんか?」
恥ずかしそうに、けれども奥底にストーカーへの恐怖を滲ませる理由と共に混浴を提案して来たのだった。
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