#94 小さくても大きな約束
眞矢宮に手を引かれるまま歩き続けて五分くらい経っただろうか。
歩いている間の俺達に会話はなく、すれ違う人の喧噪だけが耳に入っていく。
目的もなく先導する眞矢宮の背を眺めつつ、さっき彼女が大木に言い放った言葉を思い返す。
なんの前触れも無しに両親と死別したことによる虚無感を、中学時代の俺は暴力で誤魔化し続けていた。
誰彼構わず襲う真似はしなかったものの、発端となった事件で因縁を付けて来た先輩から売られたケンカを買い続けていれば学校で孤立するも当然だろう。
今になって思えばなんとも短絡的な行動だったと反省するばかりだ。
尤も、ケンカを繰り返していたことの全てが悪かったと言えばそうでもない。
場数を踏んだ経験があったからこそ、星夏や眞矢宮を助ける力になっていたのも事実だからだ。
全く気にしていない訳では無いが、星夏に救われたのもあって過去のことはそれなりに割り切れている。
だが……。
『康太郎くんは暴力に縋ったことを本気で反省しています』
『同じ間違いを犯さない様に、頑張って前を向いて懸命に生きているんです』
あんな風に言って貰えたのは、素直に嬉しかった。
関わった全員に当時の俺が抱えていた感傷を理解して貰いたいなんて、そんな面倒なことを考えていた訳じゃない。
それでも俺の気持ちに寄り添おうする彼女の言葉は、確かに心の奥底へ届いた様な感覚だった。
なら、この沈黙を破るためにも感謝の気持ちは伝えておくべきだろう。
そう考えて口を開く。
「──ありがとな、海涼」
「っ! いえ、あれはあの人達の態度に私が我慢出来なかっただけなので……」
いきなり話し掛けられたからか眞矢宮は驚きを見せながらも、礼を言われる程の事ではないと謙遜する。
「それでもだ。事情を理解した上で庇ってくれたお礼は言いたいんだ」
「……康太郎くんがそういうのでしたら、ありがたく受け取ります」
少し強引に感謝の気持ちを押し付ける形になったが、小さく苦笑を浮かべる眞矢宮になんとか受け取って貰えた。
「それにしてもあの人……あんな性格なのによく星夏さんと付き合えていましたね」
「俺が切っ掛けで喧嘩別れした様なもんだけどな」
「康太郎くんはあくまで切っ掛けの一つで、あの様子では遅かれ早かれだったと思いますよ」
十分とない会話の中で、眞矢宮の大木に対する印象は最悪のところに位置付けられたようだ。
まぁ数人で囲まれてナンパされた上に、好きな人を侮辱することを言われたら大抵の人は頭に来るかもしれない。
特に眞矢宮の場合、セフレだった頃の俺と星夏の関係に怒りを見せたこともあったくらいだ。
いつだったか真犂さんが言ったように、大人しそうな見た目に反して強かな性格をしているなと実感させられる。
そうして話も一段落したところで、俺達は昼食を摂ってから他の店を回ることにした。
そんな時だ。
同年代くらいの女子達が浴衣コーナーで楽しそうに笑い合っている姿を見掛けた。
どうやら今度の夏祭りに着て行く浴衣を選んでいる様だ。
それだけなら特に気にすることはないと思っていたが、眞矢宮が足を止めて彼女達を見つめているのに気付いた。
横顔から見える桃色の瞳には一言では言い表せない様な羨望が窺える。
浴衣と言えば夏祭りなんだが……。
と、そこまで考えたところで眞矢宮の心情を察した。
そういえばストーカーの手紙を見つけるまでは、星夏と祭りの話で盛り上がっていたはずだ。
だが今の眞矢宮を取り巻く状況のせいで気軽に行ける状態じゃない。
祭りに行くとなるとデパート以上の人が集まるだろうから、はぐれたりする可能性が高いので今日以上に危険だ。
早くストーカーが捕まれば問題ないが、長期戦になった場合は残念だが今年の夏祭りには行けそうにないだろう。
もし祭りに行けたとしたら……その時に彼女の隣にいる人物が誰なのかを考えると反応に困る部分はある。
が、それ以上に楽しみにしていた姿を知っているからこそ、参加できない状況に心が痛むばかりだ。
それでもせめて叶えられるなら……。
「海涼」
「──あっ。す、すみません。ちょっと考え事をしていました。次のお店に行きましょうか」
呼び掛けに対して眞矢宮は小さく驚きつつも、諦観を隠す様に笑みで取り繕ってそそくさと進もうとする。
「待ってくれ」
「えっ?」
そんな彼女の手を掴んで引き止めた。
突然のことに眞矢宮は、歓喜と驚きが混じった表情を露わにして俺を見やる。
……嬉しそうだったのは紛らわしい真似をしたせいだろう。
その点に関しては一旦おいておくとして、呼び止めた理由を伝えないといけない。
若干の緊張を覚えながらも俺は口を開く。
「夏祭りの会場に行くのは難しいけどさ、花火だけはなんとか見れるはずだよな?」
「はい? え、えぇ……」
前置きの問い掛けに眞矢宮も緊張した様な硬い声音で頷く。
俺の言葉を飲み込めていない様子を見て、あまりに唐突過ぎたと気付いた。
「悪い。ストーカーが捕まってない時に誘うべきじゃなかったよな……」
「い、いえ! 行きますっ!」
我ながら空気の読めない失言だったと反省しながら取り消そうとするより先に、桃色の瞳をこれでもかと輝かせた眞矢宮が食い気味に誘いに乗ってくれた。
ただ身を寄せて来た際に、一輪の花を髣髴とさせるフローラルな香りが否応なしに鼻を擽られて無性に胸が高鳴ってしまう。
「だ、大丈夫か? 別に無理はしなくても良いんだぞ?」
あまりの近さに半身を後ろに逸らしながらも最終確認をするが、眞矢宮は首を素早く横に振ってから続ける。
「無理なんてしていません! 康太郎くんと二人で花火が見たいんです! ですから絶対に一緒に行きましょう!!」
「……あぁ。約束だ」
「はい、約束ですよ」
半ば捲し立てる様な勢いで快諾した眞矢宮と夏祭りの花火を見る約束を交わした。
息抜きが目的だったのに何とも落ち着きのない時間だったが、彼女の表情を見る限り目論見は一応だが成功したみたいだ。
その後はもう一つの目的である食料品や消耗品を買ってからデパートを出た。
これでもう帰るだけ。
そう思っていたんだが……。
デパートを出て数分、住宅街に入った辺りで不意に背後から視線を感じた。
今日中に何度も感じた眞矢宮に見惚れる好奇の視線ではなく、胸にのし掛かる様な粘っこい悪意ある視線だ。
周囲を見渡すが人気は無く、ついに来たかと内心で気を引き締める。
この視線の主は十中八九──ストーカーのモノだろう。
慎重過ぎるクソ野郎がようやく出てきたのだ。
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次回は9月16日に更新します。
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