#89 ストーカーの面影
「はっはー♪ 儲かった儲かった!」
やけ酒ならぬやけコーヒーを実行した客達によって、地味に売り上げが伸びたので真犂さんは実に良い笑顔を浮かべていた。
今は午後十七時頃で、ハーフムーンの営業形態は喫茶店からバーに移行し終えたところだ。
普段はもっと遅いのだが、店長である真犂さんの権限によって喫茶店の方を早めに切り上げることになった。
その理由は……。
「どうでしたか、雨羽会長?」
「えぇ。みんなのおかげで助かったわ」
本来なら店にいるはずのない人物──雨羽会長が自信ありげな面持ちで感謝の意を述べる。
今朝の真犂さんとの電話後、開店前の店に彼女はやって来たのだ。
そして裏口から来店した会長の口から、ある計画が持ち掛けられた。
それが……。
『康太郎君達が実践している恋人のフリ……それを業務中にも思い切り見せつけなさい』
……という、ある意味で恋人のフリ以上に難易度が高いモノだった。
当然ながら俺達はそんな無茶振りに等しい作戦に抗議したのだが、続けられた理由を聴かされたことで受ける以外の選択肢を無くされたのだ。
「で? 本当にウチの店に来た客の中に、海涼を付け狙ってる腐れストーカーがいたのか?」
真犂さんが訝しげに言うのも仕方の無い理由だった。
自分の店を懇意にしてくれている人の中に、従業員の女子に犯罪行為をする人間がいるなんて信じられなくて当然だろう。
それは俺と眞矢宮も同じで、出来れば信じたくなかったことだ。
「えぇ、店内の様子を見た限りでは間違いなく」
「っ……」
だが会長は確信に近い返答をした。
今日接客した人の誰かがストーカーだと告げられて、動揺しないはずが無い。
特に被害者である眞矢宮の方はショックが大きいようだ。
あまりに酷な知らせを受けた心を励まそうと、俺は無言で彼女の手を握った。
眞矢宮は一瞬だけ驚愕した表情で俺に目を向けた後に、ゆっくりと深呼吸をして気持ちを持ち直してから会長へ顔を合わせながら口を開く。
「その……今朝にも言いましたけど、警察もその可能性があると踏んでお客さん達にも事情聴取してましたよ?」
「でも全員がアリバイを立証出来た訳ではないわ」
未だに信じられない眞矢宮の言葉に、会長はピシャリと反論する。
そもそも客が疑われているのはストーカーが付き纏い始めた時期が、眞矢宮がハーフムーンでバイトを始めてから三ヶ月が過ぎた頃だったからだ。
逆を言えばそれまでは至って平穏な日常を過ごしていたことになる。
犯人が何気なく店に来た際に眞矢宮を見掛けて、常連になる程に通う内に偏愛が募って犯行に及んだ……筋書きとしては整っている方だ。
一度目の襲撃後に警察はその線で捜査を開始したものの、事件当日の動向を把握し切れない状況が続いたままだった。
そうして捜査が行き詰まっている中で今回の怪文書だ。
あれが意味することは、ストーカーが警察の裏を掻くことが出来る状態ということ。
眞矢宮が一人になった瞬間を襲う可能性は十二分にある。
そんなことにならない様に恋人のフリを引き受けたんだ。
「あなた達の関係を勘繰って挙動不審になった人は多くいたけど、その中で私が警戒したのは黙り込んだ人か茫然自失としていた人よ」
「ほ~ん? それはなんでだ?」
「人は心の底から信じられないことに遭遇すると、そのどちらかの反応が顕著に表れますからね。事実では無いとはいえ、犯人にとっては海涼ちゃんに恋人が出来たというのは相当なショックだったはずです」
「大半のストーカーは恋愛感情が暴走した結果だしなぁ。その相手が自分の邪魔をした康太郎なら尚更だろうな」
会長の狙いに真犂さんは納得がいった様な面持ちで頷く。
これで自分には芽が無いと大人しく諦めてくれたらいいんだが、そんな潔い思考を持っていたらストーカーなんてしないだろう。
むしろ俺が眞矢宮を脅したとかありもしない言い掛かりを付けて来さえしそうだ。
「それで、これからはどうするんですか?」
「とりあえずは様子見ね。もしストーカーが尾けて来たり襲って来たら、立ち向かおうとせずに警察に連絡して頂戴」
今後の方針を尋ねると会長からは現状維持という答えが返された。
何とももどかしいがこの店でも恋人のフリをしたのは、厄介なストーカーを誘き出すための作戦だ。
向こうが行動を起こさない限りは手の出しようが無いしそれ以上の行動を起こして、ストーカーに警戒されたり要らぬ逆恨みを買って暴挙に出られるリスクを考えれば、これ以上出来ることは狙い通り釣れた時までひたすら待つだけ。
眞矢宮の身の安全を考えれば起きないに越したことはないが、起きた方が早く解決するなんて矛盾した状況に頭を抱えたくなる。
それでも俺に出来るのは彼女を守れるように傍に居ることだ。
「さて、私は犯人の絞り込みをするために帰るわ。二人も気を付けてね」
会長はそう言ってから店を出て行く。
バイトは終わっているため、俺達も私服に着替えてから同じく帰宅することにした。
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今朝と同じく手を繋ぎながら夕方の住宅街を歩いているのだが、隣にいる眞矢宮はどこか浮かない面持ちだ。
どうしてなのかはそれとなく察しが付く。
「客の中にストーカーがいるかもって聴いて、やっぱショックだったか?」
「! ……はい」
図星を突かれて肩を小さく揺らして、少し間を開けてから彼女は首肯した。
そのまま表情は暗いものの、僅かな苦笑を浮かべて続ける。
「接客した方達の中にあんな手紙を送り付ける人がいると思うとどうにも……。表向きは普通に過ごしているのに、裏では犯罪に手を染めているなんて怖くて仕方が無いんです」
「まぁそうだよな。善悪の境界なんて本当に曖昧だから、怖く感じて当然だよ」
怯える眞矢宮の反応は間違ってないと宥める……というかこの場で変に励ましても却って不安を煽るだけになる。
ニュースで犯人を知る人にインタビューしたら『そんなことをする人には見えなかった』なんてことを、耳にタコが出来るくらいに聴く程なのだ。
一目見てその人が裏で罪を犯しているかどうかなんて判るはずもないのだから、眞矢宮が怯えるのも無理も無い。
とはいえ、そんなに考えすぎるのも良くないだろう。
相手が悪人かそうじゃないかなんて疑い続けていたら、それこそキリの無い話になる。
一高校生でしかない俺がこの場で考えたところで、彼女の不安を解消する様な答えは出る はずもない。
せめてしてやれることといえば傍に居て守ることだけだ。
少しでも不安が和らぐ様に、俺は彼女と繋いでいる手を離すまいと握る力を篭めた。
瞬間、眞矢宮の細い肩が小さく揺れる。
いきなり握る力を強められたことに驚いたみたいだが、桃色の瞳には仄かな嬉しさが宿っているように見えた。
心なしか頬も赤く染まっている。
そのまま小さく深呼吸をして、眞矢宮はおもむろに顔を上げ柔らかな微笑みを浮かべた。
「──ありがとうございます」
「……気にすんな」
感謝の言葉に気安く返すと、彼女の方も繋いだ手に篭める力を僅かに強くした。
手から伝わる俺より高い体温はただの安心以上の感情が籠もっている様だ。
こうやって嬉しそうにしている眞矢宮の表情を見る度に、その淡い想いを自分の手で終わらせないといけない罪悪感で胸が痛む。
その痛みを表に出さない様に堪えながら、二人で夕焼けの住宅街を進んで行く内に眞矢宮の家へと辿り着いた。
早く中に入って汗を流したいところだが、それより先に確かめないといけないことがある。
門を通って中庭を見渡すと……異質な存在感を表す一枚の封筒が無造作に落ちていた。
宛先はおろか差出人すらも記載されていないことから、十中八九ストーカーが直接投函したモノだろう。
「眞矢宮」
「……お願いします」
「おぅ。任された」
家主の一員である彼女の許可を得て、手で封を切って中の手紙を取り出し広げると……。
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ろ れ 別 ろ れ 別
別 ろ れ 別 ろ れ
れ 別 ろ れ 別 ろ
ろ れ 別 ろ れ 別
別 ろ れ 別 ろ れ
れ 別 ろ れ 別 ろ
ろ れ 別 ろ れ 別
別 ろ れ 別 ろ れ
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ろ れ 別 ろ れ 別
別 ろ れ 別 ろ れ
れ 別 ろ れ 別 ろ
ろ れ 別 ろ れ 別
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──中身は『別れろ』という単語の羅列だった。
最早、文章として読ませる気すらない様に見える。
これで伝わるのは敵意と呼ぶには生温い悍ましさだけだ。
眞矢宮には到底見せられたモノじゃないと判断して、くしゃくしゃに丸めて握り潰した。
さて、どうやら会長の狙い通り犯人は昼間の店内に居た客の誰からしい。
後で連絡するとしよう。
それにしても眞矢宮の思わせぶりな発言を真に受けて、日の沈まない内にこんな怪文書を送り付けて来るなんてどんだけ暇人なんだか。
もっと別のことに活かせそうな行動力に呆れながらも、俺達はソッと家の中に入るのだった……。
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怪文書の部分、見直しの時に自分でやったのにビビったのはここだけの話_-)))
次回の更新は8月12日です。
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