#87 朝食とバイト


 目の前の食卓には炊きたての真っ白なご飯、引き立つ匂いが香ばしい味噌汁、小さく刻まれたベーコンが混ぜられたスクランブルエッグという、如何にも朝食らしい品々が並べられていた。

 この朝食を作ったのは俺ではなく……。 


「こちらに泊まって頂く間の食事は、三食とも私が用意させて頂きますね」


 家主である眞矢宮だ。

 簡単な品目とはいえ偏見になるが、お嬢様っぽい彼女に料理が出来るとは少し意外だった。


 ちなみに作っている様子を後ろから眺めていたが、経験者である俺から見ても危なげない腕前だ。

 場数とレパートリーが増えていけば、不足は無いだろう。

 

 寝床の提供だけでなく食事まで任せてしまうのは些か申し訳なく思ってしまうが、当人は楽しそうに作っていたから断るのも野暮かもしれない。

 ともかくさっそくスクランブルエッグを口に運んでみた。


 口の中に広がる柔らかな卵の味と醤油の風味、カリカリのベーコンの程よい肉汁……。


「……うん、美味いな」

「本当ですか! 味見はしていましたけど、お口に合って何よりです」


 素直な感想を伝えてみれば、眞矢宮は嬉しさより安堵が勝った表情で称賛を受け入れた。

 よくよく考えれば、向こうにとっては好きな人に手料理を振る舞ったことになるのか。

 通りで気合いが入っているわけだ。


 好きな人の料理と言えば俺が星夏の手料理を初めて食べたのは、確か中三の秋頃だったか。

 唐突に何か食べたい物があるか聴かれて、何も考えずに豚肉の生姜焼きって答えたらその日の夕方に家にやって来て、テキパキと作ってくれたのが最初だったはず。


 わざわざそうしたのは、恋人に振る舞うための練習とか言っていたっけ。

 毒味かよなんて思ったのはほんの一瞬だけで、すぐに好きな子の手料理を食べられる嬉しさに駆られたモノだ。

 そうして久しぶりに自分以外の人の手料理を食べた途端、うっかり泣いてしまったという少し恥ずかしい思い出があったりする。


 でもそれ以上に印象深かったのが、俺の絶賛に対する星夏の反応だ。


『そんなに美味しいって言って貰えたの、初めてだなぁ……』


 星夏は家庭環境故に料理を作っても、自分以外に食べる人が居なかったという。

 ちなみに元カレに振る舞ったのは弁当だけで、キチンとした料理を食べた男子は俺が初めてらしい。

 あの時の優越感は今でも思い出せるくらい嬉しかったなぁ。


 そんな過去の憧憬に想いを馳せつつ、眞矢宮に軽く改善点を告げてから俺達はバイトへ向かうことにした。

 

 夏の陽射しを浴びながらの道中はストーカーを警戒しながら、眞矢宮と手を繋いだまま並んで歩く。

 周囲に見せつけるような行為はあまり得意ではないのだが、これもストーカーを誘き出すためにしている恋人のフリの一環だ。

 

 だから隣の眞矢宮が無言で真っ赤な顔を俯かせていたら、俺は意図的に顔を逸らす必要がある。

 照れてない……照れてないから、通りすがりの人達はそんな微笑ましい目で見ないで欲しい。

 特に犬の散歩をしている主婦の『あら~若いって良いわね~』っていう感想が色んな意味で効く。

 

 それにしても……海でも迷子ハルちゃんに恋人だと誤解されていたが、俺と眞矢宮ってそんなにらしく見えるのか?

 男女が隣を歩いていたら持てはやしているだけなんじゃないかと勘繰ってしまう。


 どちらにせよ、そう見えるなら会長の作戦が上手く行っている証拠だと思うことにした。

 そうしないと気まずくなってしまいそうだ。


 込み上げる恥ずかしさと照れを隠しながら、会話を交わすことなく歩いていく内にバイト先である『ハーフムーン』に辿り着いた。


「よっ、康太郎。海涼。旅行は楽しかったか?」

「おはようございます真犂さん。おかげさまで楽しめました」

「真犂さんと約束した通り、お土産を持ってきていますよ」


 カウンターで備品の整理をしている店長の真犂さんと挨拶を交わす。

 昨日までの旅行の間、俺と眞矢宮はバイトのシフトを入れない代わりに土産を要求されていたのだ。

 現地の美味いモノと種類まで指定されていたので、俺は酒のつまみに良いとフロップに書かれていた燻製チーズで、眞矢宮は三種類の味が楽しめる貝殻型のクッキーを用意した。


 俺達からのお土産を受け取った真犂さんは目に見えて嬉しそうだが、ストーカーの件について報告しないといけない。

 警察や身内以外の大人で唯一事情を知っている人だから、恋人のフリに関しても説明したいと会長とは話をつけてある。

 すると思いの外、快諾を通り越して説明して協力を仰ぐべきだと薦められた。

 

 俺が知る限りでは真犂さんと雨羽会長に接点は無かったはずだが、一人で考えても仕方が無いことは片隅に追いやっておこう。


「なるほどなぁ……」


 そうして一通り事情を説明し終えると、真犂さんは胸元で腕を組みながら悩まし気な表情を浮かべた。

 あの襲撃から三ヶ月が経った今になって、ストーカーが行動を起こしたことに疑問が拭えないみたいだ。

 

「それでストーカーを誘き出すために恋人のフリか……。なぁ康太郎、そうすることがどれだけ危険な真似なのかちゃんと理解してんのか?」


 普段から鋭い眼差しが厳格に細めながら告げられた言葉は、俺に対する説教に近い苦言だった。


 どれだけ意気込もうが、自分が学生というどうしようもなく『子供』の立場であるのは理解している。

 いくらケンカ慣れしていようが、犯罪者を相手にしていい理由にもならないことも。


 けれども我が身可愛さに眞矢宮の危機を見過ごすくらいなら、無謀を承知でも彼女を守ると昨日の時点で覚悟は済ませてある。

 心配してくれる気持ちはありがたいが、真犂さんの問いは既に押し問答でしかない。 


「──もちろん。理解しているからこそ、俺はこの役目を引き受けたんです」

「……そーかい」


 俺の返答に真犂さんは小さく息を吐きながら続ける。


「っま、今のは一応バイト先の店長として言っただけだよ。ただな、一人で何でも背負い込もうとするんじゃねぇぞ?」

「はい。だからこそ、こうやって事情を話してるわけですから」

「ならいい。んで、だ。その作戦を考えた生徒会長サマと連絡は付けられるか?」

「向こうも真犂さんと話を摺り合わせておきたいと言っていたので、問題ないです」

「うし。開店まで時間あるし、早速取り次いでくれ」


 元よりそのつもりだったので、スマホを取り出して会長に電話を繋げる。

 

『おはよう、康太郎君』

「……おはようございます」


 はっや。

 ワンコールも鳴ったか怪しい早さで電話に出てきたんだけど。

 確かにバイトのシフトを教えていたとはいえ、ここまで早いとスマホの前に齧り付いていないと無理だろ。


「その、店長が雨羽会長と話したいということなんですが、時間は大丈夫ですか?」

「問題ないわ。代わって頂戴』


 内心で呆れと動揺を憶えつつ要件を伝えると、すぐに電話相手を代わるように言われる。

 特に逆らいもせずに通話状態のスマホを真犂さんに渡し、早くも二人だけで会話が進んで行った。


「どうなるんでしょうか……?」

「悪い様にはならないと思うけど……どうなるにせよ、俺がやることは何も変わらないよ」

「っ!」


 不安そうな面持ちの眞矢宮を安心させるよう、彼女を守ると返した。

 その言葉に眞矢宮は一瞬だけ桃色の瞳を丸くしたかと思うと、花が浮かぶような笑みを浮かべて……。


「……ありがとうございます」

「っ」


 感謝の意を示すかの如く、俺に寄りかかりながら手を握って来た。

 鼻を擽るフローラルな香りと手の柔らかな感触に、否応なく意識してしまう。


 星夏のことを思えば振り払うべきなのに、眞矢宮を傷付けたくないエゴで行動に移せない。

 ストーカーの件が解決するまでは先延ばしにしているが、こんな有様でけじめを着けられるだろうか。

 我ながら煮え切らない甘さに辟易しつつ、会長と話を終えた真犂さんが戻って来るまで繋いだ手が離れることはなかった。


=====


次回は7月29日に更新です。

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