#86 襲い来る恐怖に震えているキミを


【康太郎視点】


 眞矢宮のストーカーを捕まえるべく、俺は彼女と恋人のフリをすることになった。

 星夏と想いを通わせた直後だったため非常に受け入れがたかったが、どのみち眞矢宮との関係にけじめを着けるためには早く解決させる必要があったので、受け入れることにしたのだ。


 当然、蔑ろにする形になってしまった星夏は大変不機嫌になってしまった。

 まぁそれも抱き締めてキスをしたことでなんとか許して貰えたんだが。

 ……やってることが浮気常習犯のそれな気がしないでもないがな。


 二人の女の子から好意を寄せられてはいるが、元より俺は星夏一筋だしその気持ちがブレたことはない。

 眞矢宮と恋人のフリをするのだって、あくまでストーカーを誘き出すための作戦なんだ。

 間違ってもそのまま本物に発展することはない……はず。

 

 断言出来ないのは、この状況を好機と見るかもしれない眞矢宮がどんなアプローチを仕掛けてくるか分からないからだ。

 かこつけて来たら元気じゃねぇかと思わなくも無いが、見た目に反して強かな性格を考えればありえない話じゃない。

 

 簡単に靡くつもりはないものの、親密になればなるほど星夏との関係を打ち明けにくくなってしまいそうだ。

 けじめの方も大事だが、ストーカーの件が解決しないことにはどうにもならない。

 なんだかんだで彼女に気を許している自分を諫めつつ、眞矢宮の家に着いた俺はインターホンを鳴らしてからカメラに顔を近付けた。


 荷物を取りに行く間、眞矢宮は俺以外の男性が来た時は居留守を使う様に会長から伝えられている。

 ストーカーの人相が分からない以上、本当に荷物を届けてくれた宅配業者であっても警戒しないといけない。

 顔も分からないのに応答すれば、あれこれ理由を付けて外に出て来る様に促したり、或いはガス点検と称して家の中に入って来る可能性もある。


 尤も眞矢宮家のインターホンは、一度目の襲撃後にカメラと録画機能が付いた最新製のモノに取り替えられているから、外に出るリスクはかなり軽減されているが。

 ともあれ、向こうに俺が来たことを伝えないと。


『はい』

「すぅ……、俺だ」

『ひゅっ!? ど、どうぞ入って来て下さい……こ、


 少し緊張しながら眞矢宮を名前で呼ぶと、スピーカー越しに悶えた声のまま同じく名前呼びで許可を出してくれた。

 星夏以外の女子を名前で呼ぶのは遠慮していたのだが、これもストーカーに俺と眞矢宮が交際していると思わせるための作戦の内だ。

 

 人の目があろうと無かろうと、恋人のフリをしている間は名前で呼び合う様に義務付けられている。

 俺はともかく、眞矢宮がとにかく緊張しまくって中々慣れてくれない。

 呼べば今みたいに小さく呻くし、呼ぶ時は絞り出すようにしてようやくといったところ。

 

 果たしてこれで恋人らしく見られるのだろうか……。

 会長は『初々しくて尊い』なんて称賛していたが、俺には不安しか感じられなかった。


 そんな雲行きの怪しさを憶えながら、玄関のドアを開けて中に入っていく。


「それじゃ、よろしくな」

「い、いえ……こちらこそはす──ここっ、康太郎くんが居てくれて嬉し、頼もしいです……」

「は、ははは……」

 

 出迎えるなり、眞矢宮は恐縮しながらも隠しきれない本音が漏れ出ていた。

 

「その、恋人として上手く振る舞えるか分からないけど、出来る範囲で頑張るよ」

「だ、大丈夫です! は──こうっ、康太郎くんはとてもエスコートが上手ですよ!」

「はは、サンキュ」


 少し時間が経ったおかげで恐怖が薄れたのか、眞矢宮の表情に少しだけ元気が戻っているようだ。

 いつまでも暗い顔をしているよりはずっと良いと、内心で胸を撫で下ろす。

 

 ただ、問題はここからなんだよなぁ。


「それで俺の寝るところなんだが……本当に海涼の部屋で良いのか?」

「っ、は、はい……旅行でも同じ部屋でしたし……」


 俺の問いに彼女は赤い顔を俯かせて、指先をもじもじと絡めながら同意で返す。

 

 そう、俺は眞矢宮の部屋で一緒に寝ることになっているのだ。

 提案者はもちろん会長。

 ストーカーが夜中に忍び込んで来る可能性を考慮した結果、同じ部屋で寝た方がすぐに守れると言っていた。

 腹の立つくらい慎重なヤツが不法侵入する訳ないだろと思ったものの、全くないと言い切れる確証もないため、仕方が無く受け入れるしかなかったのだ。


 当然、それを聴いた星夏が機嫌を悪くしたのは言うまでも無い。

 作戦を詰める間にどれだけ不興を買ったのか不安だ。

 

「えぇっと、お風呂を沸かしていますので、先に入って来て下さい」

「家主より先で良いのか?」

「お客様より先というのもなんですから」

「……なら、先に入らせて貰うよ」


 若干気恥ずかしくなった空気を逸らそうと、眞矢宮から入浴に関しての話が切り出される。

 男の俺が先に入って良かったのかと返すも、彼女は気にしないと言った風に一番風呂を譲ってくれた。

 ここで遠慮したら譲り合いになるなと判断して、先に入ることを聞き入れる。


「……その、恋人としてお背中を流しても──」

「流石にそこまで要求するつもりはないって」


 仮の恋人なのにそんなことを許したら、星夏に口を利いて貰えなさそうだ。

 その光景が容易に浮かんだからこそ、恥ずかしそうに切り出された眞矢宮の提案にすかさず断りを入れた。


「……分かりました」


 口では素直に引き下がってくれたが、その表情には渋々といった未練が感じ取れる。

 思いの外、余裕があるなぁと先の懸念が形になりそうだった発言に苦笑を隠せない。


 風呂の使い方を教わってから簡単に入浴を済ませ、眞矢宮が入っている間はリビングで待たせて貰った。

 来客が来たら警戒するつもりだったが、特に誰か来ることもなく平穏なまま、寝間着に着替えた眞矢宮が浴室から出て来る。

 上気して赤くなっている頬と、濡れた髪を拭く仕草に仄かな色気を感じて胸が高鳴った。


 旅行の時にも湯上がり姿の彼女を見ていたはずなのに、どうにも緊張が拭えない。

 多分、女の子の家で二人きりという状況が特別感を強くしているのだろう。

 星夏で見慣れているからって、別の女子でも平気かと言われればそうでもないようだ。

 

 こういう隙が星夏を不安にさせてしまう証拠だと、何とか理性で以て自分を律する。


 そんな内心を隠したまま案内された眞矢宮の部屋は、彼女の性格が良く表れた清潔そのものといった雰囲気だった。

 経年を感じさせない艶やかなフローリングの床の中央には、円形のピンク色のカーペットが敷かれていて、白い壁に無駄な装飾は見当たらず、桃色のカーテンは一部の隙間も無く閉められている。

 タンスや勉強机といった家具等も色が統一されていて、まさにお嬢様といったコーディネートに仕上がっていた。


 そして普段の彼女から香る匂いが鼻腔を擽ってくる。

 女子の家に来るのは初めてじゃないが、星夏には個人の部屋がないので女子の部屋という括りでは今が初めてと言って良い。

 そのことを意識したせいか、本当にここで一緒に寝て良いのかと妙な肩身の狭さを感じてしまう。


「なんというか……如何にも海涼の部屋だなって感じだ」

「ふふっ、なんですかそれ。でもありがとうございます。普段から掃除していた甲斐がありました」


 我ながら語彙に乏しい感想に、彼女はクスリと微笑みを零した。


 普通の泊まりなら談笑も交えたりするんだろうが、時刻は既に夜の十時を過ぎようとしている。

 明日は揃って午前中からバイトがあり、これからストーカー対策に乗り出すためにも休んでおくに越したことは無い。

 

 なので、俺達は話しも程々に眠ることにした。

 ちなみに眞矢宮は自分のベッドで、俺は彼女が用意してくれた布団で寝ることにしているんだが……。


「──康太郎くん」

「ん? どうした?」


 不意に眞矢宮から呼び掛けられる。

 何の気なしに聞き返すが、ふと小さな違和感を憶えた。

 あぁそうか、俺の名前をつっかえずに言った気がする。


 すぐに行き着いた疑問の成否を確かめるより先に、彼女が数瞬早く口を開く。 


「今日だけで良いんです。……ベッドで一緒に寝て頂けませんか?」

「え?」


 全く考えなかったわけじゃないが、まさか初日から出て来るとは思わなかった提案に茫然としてしまう。

 そんな俺の反応は予想済みだったのか、眞矢宮は特に気にした素振りを見せずに続ける。


「普通に眠ったら……なんだか襲われた時の光景が夢に出て来てしまいそうで、怖いんです……」

「……」


 理由はなんてことない、懐いて当然の恐怖から来ていた。


『と、突然、背後から声を掛けられて……いきなり押し倒されて、ふ、……服の上から、身体をまさ、弄られて……逃げたくても、逃げられませんでした……』


 ふと脳裏に浮かんだのは、当時ストーカーから助けた後に通報で駆け付けた警察に向けて、事情を説明していた眞矢宮の様子だ。

 お淑やかに笑っていた表情が見る影も無く青ざめ、守る様に両腕を組んだ身体は恐怖で小刻みに震えていた。

 顔も名前も知らない相手から身勝手で醜い劣情をジワリと受け続けて、その純真な身に牙を傷付けられかけて怖がるなという方が無茶な話だ。


 俺が忘れ物を取りに戻った際に通りがからなければ、それ以上の悍ましい傷を刻み込まれていたかと思うと、寸前で助けられたことは不幸中の幸いだと言う他ない。

 あれからまだたったの三ヶ月しか経っていないのに、ストーカーはその歪で独善的な感情で以て、再び眞矢宮の身を穢そうと目論んでいる。

 そのせいで彼女は眠ることすら恐れる様になってしまっていた。

 

 ……ふざけんな。

 

 煮え滾る腸の熱を感じながら、無言で握り拳を作る。

 でもその拳で殴りたい相手は卑怯なことに影に隠れたままだ。

 やるせなくて、許せないままゆっくりと手の力を抜いていく。


 代わりに……ソッと震える眞矢宮の手を握った。

 本当は抱き締めるべきなのかもしれないが、これが今の俺に出来る精一杯の慰めだ。


 眞矢宮は驚いたように桃色の瞳を丸くし、少しだけ切なそうに伏せる。

 

「ストーカーから守るって約束したんだ。こうやって手を繋いだままなら、夢の中でも駆け付けられるから」

「……でしたら、安心ですね。康太郎くんは……約束を破らない人ですから」


 僅かでも不安を拭えたかは分からないが、ホッと安堵の表情を浮かべる眞矢宮は嬉しそうに繋いだ手を握り返して来る。

 そのまま彼女は俺の布団に身を寄せて、目を閉じてゆっくりと寝息を立てていった。

 

 星夏のこと、けじめのこと、考えることは山ほどあるが……今は眞矢宮の安眠を静かに祈ろう。

 そうして俺も眠りに就くのだった……。


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次回は7月26日に更新です。

稲妻の探索が終わらん←

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