#85 束の間の濃厚な


 ストーカーを誘き出すために雨羽会長が提示した作戦は、こーたと海涼ちゃんが恋人のフリをすることだった。

 警察の対応が行き届かない以上、敢えてこっちから罠を逆張りして尻尾を出させるっていう道理なのかも。

 危険は危険だけど引っ掛かったストーカーを捕まえられて、海涼ちゃんも怖い思いをせずに済むんだから良いことだと思う。


 けど……そのためのフリであってもこーたが海涼ちゃんと恋人になるって聴いた途端、アタシの胸に無視出来ない痛みが走った。

 頭では必要なことだって分かっているはずなのに、心ではどうしても納得出来ない。

 

「え、ええええっ!? わ、私と荷科君が。ここ、恋人?!」

「会長……確かに出来る限りのことはするって言いましたけど、それはあんまりじゃないですか……?」


 雨羽会長の作戦に対して海涼ちゃんは嬉しさ混じりの動揺を見せて、こーたは複雑そうな面持ちを浮かべている。


 海涼ちゃんの場合はフリだとしても好きな人と恋人に見られる振る舞いが出来るのだから、驚きより嬉しさが勝っても仕方が無い。


 こーたの方は……自惚れるような言い方になるけど、アタシが機嫌を悪くしないか不安なんだと思う。

 実際にイヤな思いはしてる。

 でも気に掛けてくれるだけで、ちょっぴり気持ちが楽になった。


『私だってやりたくない手だって言ったでしょ? でもこんな埒の明かない状況ではやらざるを得ない。このストーカーにとって最も見過ごせない展開は、眞矢宮さんが自分以外の異性と交際関係になること。それが自分の邪魔をした康太郎君であれば、かなりの精神的苦痛を食らわせられるはずよ』


 そんな個人的な心境を余所に、会長は恋人のフリをさせる重要な理由を述べる。

 えげつないとは思うけど、相手はこんな陰湿なやり方で人を傷付けるストーカーだから同情する余地はない。

 

『それにするのはあくまで恋人の。演技なんだから口付けまでする必要は無いじゃない。それともキミがもっと良い案でも出してくれるの?』

「それは……」

『意地の悪い言い方をしたのは謝るわ。でもストーカーを一刻も早く捕まえるためには、こっちも打って出ないといけないことも理解して頂戴』

「……」


 煮え切らないこーたに会長はちょっと……ううん、厳しい言い回しで説き伏せていく。

 その言葉にはアタシも釣られて黙り込んでしまう。

 

 どんなに理屈で繕っても、こーたがアタシ以外の女子と仲良くされるのはイヤな気持ちは隠せない。

 だからって別案が出せるほどアタシは賢くなくて、会長の案以外にストーカーを誘き出しやすい作戦は出てこなかった。

 

『それと康太郎君に掛かる負担は何も精神面だけに限らないわ』

「あ……。私と荷科君が恋人のフリをすれば、逆上して彼に襲う可能性があるからですか?」

『ご名答。まぁ康太郎君の腕っ節は信頼しているけど、向こうはキミを排除するために刃物を持ち出す危険性もあるでしょうね』

「……っ」


 会長の予測を聴かされて、心臓が小さくなりそうな程の恐怖と共に息を呑む。


 脳裏に一瞬、逆上したストーカーがこーたを刺す光景を幻視しまう。

 こーたは強いからそんな心配はしなくて良いはずなのに、ありえなくない可能性だからこそ抱えきれない不安が拭えない。

 想像だけで心が凍り付きそうな程に怖くて、現実になってしまったらと思うと頭が真っ白になりそうだ。

 

 そんな危険性があるなら今すぐにでも断って欲しいけど、それをこーたに伝えたら自分のために海涼ちゃんを見捨てると言ったのと同じ。

 いくらこーたが心配だからって、ストーカーの動向が不明な現状で言っても困らせてしまうだけだ。


「……会長。あくまでフリなんですよね?」

『えぇ。らしい振る舞いをしていれば十分よ』

「だったら、やります」

「荷科君……」

『──分かったわ。それじゃ二人の恋人としての設定を詰めていくわよ』


 そうして何も言えないまま、こーたが会長の作戦を了承したことによって細かい摺り合わせが行われた。

 その間、アタシは終始無言だったのは言うまでも無い。


 =======


 こーたと海涼ちゃんの恋人としての設定は至って単純。

 旅行先で二人は結ばれて互いを名前で呼び合う様になった、以上。

 ……ぶっちゃけアタシと海涼ちゃんの立ち位置を入れ替えただけだ。

 

 不満が無いワケがないどころか、不満だらけと言っても良い。

 こーたと両想いなのはアタシなのに~って、聴いた人に惚気話と取られてもおかしくない愚痴が浮かぶばかりだ。

 

 加えてアタシの不満の原因はまだ他にもある。

 それは……。


「ストーカーを捕まえるまでこーたが海涼ちゃんの家に泊まる、かぁ……」


 そう……恋人のフリをするだけだったはずが、期間限定とはいえ同棲までしてしまうのだ。

 アタシが羨ましがる筋合いはないんだろうけど、こーたが居ない家に独りでいるのは寂しく感じてしまう。

 かといって誰も居ないであろう自宅に帰る気も起きない。


 いっそアタシも泊まるって言いたかったけれど、ストーカーに罠だと感付かれる可能性があると踏み留まって口を噤んだ。

 最悪の場合、こーたが二股してるって勘繰って尚のこと凶行に走る線もあった。


 結局、ストーカーの件に関してアタシが力になれそうなことは何も無いままだ。


「悪い、星夏……」

「分かってるよ。海涼ちゃんを一人にするワケにはいかないから、こーたが泊まることですぐに守れる様にするのと、犯人が嫉妬する状況を作るためなんでしょ? 第一悪いのはしつこいストーカーで、こーたは何も悪くないじゃん」

「それでも、どうであれ星夏を独りにさせることに変わりはないんだ」


 着替えをカバンに詰め込んでいるこーたは必要なこととはいえ、自分の選択でアタシを放置する形になったことを本気で申し訳なさそうにしている。

 

 今は泊まり用の荷物を取りに家に帰って来たところで、アタシはそれに付いて来たのだ。

 準備が終わったらこーたはそのまま海涼ちゃんの家に行っちゃうから、解決までこうやって並んで歩くことは出来なくなってしまう。

 

 こーたはアタシが寂しがり屋なのをよく知ってるから、表情に滲ませた罪悪感が簡単に読み取れた。

 

「……心配しすぎ。寂しくないわけじゃないけどさ、留守番だと思えば我慢出来るよ」

「……」


 アタシのことは気にしなくて良いと伝えたものの、こーたは腑に落ちないのか難しい面持ちのままだ。

 多分、強がってることがバレてるんだろうなぁ……。

 まぁここまで心配を掛けてしまうくらいに、こーたには情けないところばかり見せていたから仕方が無いかも。


「──こーたは……アタシが心配?」

「……好きな子のことを心配しないヤツ、いると思うか?」

「っ……あははっ、こーたが言うと凄い説得力だね」


 顔を赤くしながら恥ずかしそうに言う姿がなんだか可愛くて、ドキッとして咄嗟に照れ隠しで笑い飛ばしてしまう。

 好きな人に好きって言って貰えると嬉しくて堪らないや。

 

「茶化すな。……星夏の意見も聞かずに勝手に話を進めて悪いと思ってるから、色々と心配するに決まってるだろ」

「ホントだよ。いくら海涼ちゃんのためでも、好きだって言った相手とは違う女子と恋人のフリをするなんて、普通なら怒られてもおかしくないんだからね~?」

「悪い……」


 腕を組みながら頬を膨らませてそれっぽく拗ねてみれば、こーたは肩身狭そうに謝罪の言葉を零す。

 ちょっと意地悪が過ぎたかなぁと思いつつ、両腕を解いて前に伸ばす。

 その動きを見ていたこーたは不思議そうに目を丸くして制止している。


「星夏?」

「見て分かんない? ハグしてよ。そしたら、許したげる」

「お、おぉ……」


 アタシの言葉にこーたは頬を赤くしながら、ぎこちない動きで抱き寄せる。

 ちょっと汗ばんでいるしょっぱい匂いと、細身なのにしっかりと筋肉が付いた男の子らしい身体を間近に感じて胸がキュンッと締め付けられた。

 とってもドキドキするけど、それ以上に人の温もりに心が安らぐ。

 でも物足りなくて、こーたの背中に手を回して密着させた。


 当然、それだけくっつけばアタシの耳にはこーたの鼓動がハッキリを聞こえて来る。

 ドキドキって少し早いソレは、アタシを意識している証拠だと手に取るように伝わった。


「……緊張してるの?」

「っ、そりゃ……良い匂いするし、色々当たってるし……」

「えっち」

「ふ、不可抗力だろ……」

「あははっ」


 真っ赤な顔で照れるこーたが可愛くて、込み上げる想いに堪らなく笑みが零れる。

 

「ね、キスしてよ。こーたの温もりがこびり付いて離れないくらい濃いのを」

「えらく難題な注文だな……約束した通り本番はしないからな?」

「分かってる。時間も無いしね。ほらほら、早くチューってして?」


 まるで遠距離恋愛する前日のカップルみたいに、アタシはここぞとばかりにこーたに甘える。

 こーたはちょっと困った風な顔をするけど、邪険にすることもなく真摯に応じてくれた。


 元々キスをするのは好きで、こーたとのキスが一番好きだ。

 理由はきっと……こーたの気持ちが直接伝わって来るからだと思う。

 元カレ達には無かった確かな暖かさが、とてつもなく愛おしい。


 その分、唇を離した時は切なさで胸が苦しくなる。

 もっとイチャイチャしていたいけど……そろそろ海涼ちゃんの家に行かないといけない時間だ。

 

 そしてそこにアタシが付いていくことも出来ない。

 寂しいけど……ちゃんと送り出さないと。


「こーた。ちゃんと海涼ちゃんのこと助けてあげてよね?」

「あぁ。きっちり終わらせて、帰ってくるよ」


 そうしてこーたは海涼ちゃんの家に向かう。

 一人残されたアタシは、こーたに心配を掛けないようにするためにも、まずは夏休みの課題に取り掛かるのだった。


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次回は7月23日に更新です!

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