#79 交錯とけじめ
【康太郎視点】
「……愚痴、聴いてくれてありがと」
ずっと溜め込んでいた不満を洗いざらいぶち撒けた星夏は、一頻り泣いた後に寄りかかっていた顔を離しながら礼を告げた。
泣き腫らした両目は赤く、よく見れば鼻水も垂らしている。
本人もそれを自覚したのか手で目尻に残った涙を拭い、鼻水はズズっとすすり上げて内へ引っ込めた。
顔色は幾分か憑き物が落ちた様で、目に見えて調子が回復したみたいだと胸を撫で下ろす。
内容だけ聴けば星夏の身勝手な八つ当たりだが、あれらは自業自得だと思って心の片隅に押し込め続けていた星夏の紛れもない本心だ。
それを塞いでいた蓋が俺からの告白と、悲運と言っても過言ではない父親との一方的な再会で決壊した。
ハルちゃんの父親が星夏の父親でもあったなんて、仮に運命なんてモノが実在するならこれ程呪いたいモノもない。
しかも七年経って成長したからとはいえ、その父親が自分のことを忘れてハルちゃんが唯一の娘みたいに扱う姿を見れば……俺が感じた悍ましさなんて羽みたいなもんだ。
そうして一度に奔流した大量の痛みを抱え切れるはずもなく、あのまま放置していたら取り返しの付かないことになっていただろう。
その結果、自分がフラれることになろうと星夏が立ち直るならそれでも良かった。
「少しはスッキリしたか?」
「ん……」
悲観的な未来を想像しながら投げた問いに、星夏は小さな首肯で返す。
諸々を思い返して、今になって恥ずかしがっているのかもしれない。
ある程度は気を持ち直せた様で何よりだ。
「で、だ」
「?」
とりあえず一段落したところで呼び掛ける。
「俺、一応勇気出して告白した訳なんだが……返事は?」
「あ……」
その質問に、星夏は空色の目を丸くしたと同時に頬を赤く染めた。
こっちも改めて言うと恥ずかしいし、あんな傷心後に言うことでもないと分かってはいる。
本当はもっと落ち着くのを待ってあげたいところだが、返事をなぁなぁにされたままでは生き殺しにされるのと同じだ。
気持ちを伝える前ならまだしも、告白したとあっては一秒ですら待てなくなってしまうのが実情である。
……まぁ、俺達が両想いなのは分かってるんだけども。
察していたのもあるが、さっきの愚痴の最中にも『好きになる前でも』とか言ってたから、脈無しでフラれることはないはずだ。
でも百パーセント恋人になれる訳じゃない。
なんだかんだで自分を責めていた星夏が身を引く可能性だってあるんだ。
そんな不安と緊張で渇いた喉を潤そうと生唾を飲み込む。
「こーたは……」
「ん?」
やがて星夏がぽつりと弱々しい声音で俺を呼ぶ。
「ほ、本当にアタシでいいの? ……い、色んな男子とエッチしてて、汚れてるん、だよ……?」
続けて発した言葉は自分が今までしてきた行いの告白だった。
頬は朱に染まっているものの、空色の瞳は拭いきれない不安が窺える。
けれども全く期待が無い訳ではなく、相反する感情に挟まれている様だ。
だったら、俺が返す言葉は決まっている。
「知ってる。でもそんな手垢くらい気にしねぇよ」
「こ、こーたの気持ちも知らずに、何度も傷付けた……」
「舐めんな。それくらいで諦められる程、二年以上も初恋を拗らせたりしないだろ」
「……アタシと付き合ったら、こーたまで色々言われちゃうよ……?」
「アーホ。そんなのとっくの昔から承知の上だ。周りがどうこう言おうが関係ない。俺が好きで好きで堪らない咲里之星夏っていう女の子への想いは、星夏自身にだって否定させない」
「ぁ……」
自分を卑下する星夏を逃がさない様に、否定に否定を重ねて彼女の細い身体を抱き締めた。
何度も抱いた星夏の身体は、少し力を込めたら簡単に折れてしまいそうなくらい細くて頼りない。
ゼロ距離で感じる彼女の体温を通して、大事にしたいとか守りたいなんて庇護欲がこれでもかと刺激される。
でもそんな義務感で大切にしたい訳でもない。
ただただ純粋に、星夏が好きだからそうしたいんだ。
「俺が好きになって愛し続けられるのは、星夏だけだ。──星夏は、どうなんだ?」
腕の中にいる彼女に、もう一度想いを告げた。
一度目よりすんなりと出たそれを聴いて、星夏は……。
「──うっ、あぁ……グスッ、ひっく……」
さっきも泣いた後なのに、また静かに泣き始めた。
だが今の涙が占めているのはきっと悲しみじゃない
そうじゃなければ……。
「──好き」
──こんな幸せそうで綺麗な涙を流しながら、言えないことだからだ。
「好き。大好き。アタシも、こーたが好き。もう、こーた以外の誰ともエッチしたくないし、付き合いたくない! だってアタシはこーたが大好きなんだもん!!」
そうやって俺の腰に腕を回して抱き返して来る。
紡がれた告白の返事は、待ち望んでいた以上の想いに溢れた言葉で齎された。
あぁ……ずっとずっと懐いていた悲願が叶った今、俺はどんな顔をしているんだろうか。
喜びとか幸せとか感動とか……いや、そんな名前なんて付けたらちっぽけになってしまいそうで怖くて仕方が無い。
他の誰かに判る様な言葉で説明して外に出してしまうには、この気持ちはあまりにも儚くて手放したくない宝物になった。
だからこの想いは一生俺の心に留めておこう。
「星夏」
そうして言葉にしない分、腕の中で泣きじゃくる愛おしい彼女へ呼び掛ける。
顔を上げた星夏と目を合わせ、無防備な唇にキスをしようと顔を近付けて……。
「──ま、まって!!」
「ごっ!?」
慌てた星夏が腕を突き出して顔を離したことで阻まれた。
端的に言うと拒否されたのだ。
……。
…………。
は?
あれ……俺達、両想いで気持ちを通わせて恋人になったんだよな?
雰囲気的にキスをしても問題ないはずなんじゃ?
まさかの拒否に甘い雰囲気が霧散してしまい、今では動揺しか残っていない。
少し、いや中々ショックだなこれ……。
とりあえず、理由を訊かないことには引き下がれない。
「……イヤだったか?」
「ち、違うの! イヤじゃなくて、その……好き同士で嬉しかったしチューしたくないワケじゃないんだけど……」
「けど?」
少なくとも拒絶された訳ではないみたいだが、星夏の態度はどこか煮え切らない様子だった。
逆にそこまで良かったのなら、何がダメだったのか全く分からない。
そんな俺の疑問を感じ取ったのか、星夏は言い辛そうに目を伏せながら続ける。
「えと、付き合うのはまだ待ってくれないかな?」
「……んん?」
両想いで告白して気持ちが通じ合ったにも関わらず、付き合うのは待って欲しいってどういうことだ?
あまりに予想外な返答に、どう反応すれば良いのか分からず首を傾げてしまう。
漫画だったら頭の上に疑問符を付けた様な感じだ。
いや本当に意味が分からない。
自分の言葉が理解されにくいと理解しているのか、星夏は両手を合わせながら苦笑を浮かべる。
「ちゃ、ちゃんとね? こーたの、か、彼女になりたいし、イチャイチャしたいって思ってるよ。でもね、学校じゃ噂があるでしょ? アタシと付き合うってことはこーたも悪目立ちしちゃうし……」
「そんなの気にしないって言っただろ?」
「それは本当に嬉しいよ。けどさ、こーたが気にしなくても……やっぱ彼氏が悪く言われるのは、やだなぁって……」
「……」
何とも嬉しいことを言ってくれるが、なるほど。
星夏の言いたいことを要約するならこうだ。
──ちゃんと恋人として見られたい。
今の彼女にはビッチの噂がある。
それが纏わり付いている状況で俺が星夏の彼氏になれば、周囲はどう考えるだろうか?
十中八九、俺が星夏の身体目当てで告白したと決め付けるだろう。
心の底から想いを通わせて恋人になったのに、星夏は自分の噂のせいで誤解されるのがイヤなんだ。
自分が悪く言われるだけならまだ良いが、俺への悪口は我慢ならないのだろう。
「自分で蒔いた種だもん。ちゃんとけじめを着けてから、こーたと付き合いたいの」
だから彼女は、自らの噂を消すことを決意した。
既に学校中で噂は広まっているため同学年はもちろん、三年生や一年生にも星夏の存在は有名で、教師ですら把握していてもおかしくない。
火の無い所に煙は立たないというが、今になって火を消したところで多くの人に煙を目撃されているのだ。
完全な根絶は不可能かもしれない。
故にきっと……いや確実に困難を極める。
けれどそれは彼女一人で火消しを行おうとした場合だ。
「なら、俺も手伝うよ」
「こーたなら言うと思った。うん、願ったり叶ったりだよ」
好きな子のために手を貸さない理由なんてない。
雨羽会長には何やら策があるみたいだし、やれることはいくらでもある。
自分に出来ることなら尽力は惜しまないつもりだ。
そう内心で決意を固めていると、不意に星夏が真剣な面持ちを浮かべる。
今度はなんだと傾けた耳に飛び込んできたのは……。
「こーたも、けじめを着けなきゃいけないこと……あるでしょ?」
「っ! あぁ……」
星夏が言った俺のけじめ……。
それは、今日の告白のために罪悪感を憶えながらも遠ざけざるを得なかった眞矢宮のことだ。
一度は彼女からの告白を断ったものの、あの時はまだ俺の片想いだったが故に諦めないと宣言され、学校が違う俺達の旅行にも参加した程の強い好意を向けてくれている。
嬉しいか嬉しくないかで言えば、嬉しい。
単純な話だが、こんな俺でも好きだと言ってくれたのだ。
仮に俺が星夏への恋を諦めていたら、間違いなく眞矢宮の好意を受け入れていたと思う。
だが俺は星夏に告白し、彼女も俺を好きだと気持ちを通じ合わせたため、結果的に眞矢宮の失恋が確定してしまった。
かといって星夏との関係が進展したことは遅かれ早かれ知られてしまう。
俺の口から、キチンと眞矢宮に説明してその上で彼女の想いを絶つ。
その伝え方にしてもかなり気を遣わないと蟠りが残ってしまうため、ある意味で星夏のけじめ以上に一筋縄ではいかない。
けれども、俺が星夏と付き合うためにも……眞矢宮からの気持ちに折り合いを着けることは避けられないんだ。
ここまで来てまだ壁があることに辟易しそうだが、そんな暇があるなら一秒でも早く乗り越えるために神経を割いた方が良い。
改めてそう腹を括った。
「……お互い、頑張らないとな」
「うん。あっ、それとね、ちゃんとけじめが着くまでエッチは禁止にしようと思うの」
「は……?」
自分と星夏に向けて鼓舞を送ったら、次の瞬間にいきなり禁止令が出された。
一瞬何を言ってるんだと思ったが、星夏の表情は至って真剣で冗談の類いでは無いと悟る。
……まぁ晴れて恋人手前まで行ったから、もうセフレで居続ける理由もない訳で。
暗にこれから身体を重ねる時は真に恋人になった時だと伝わっている。
俺としては寂しさはあるものの、星夏と居られるなら問題は無いのだが……。
「……いつまで掛かるか分からないのに、そんなに長く我慢出来るのか?」
言っちゃなんだが星夏は性欲が強い方だ。
精力はあっても性欲はそこまでない俺はまだしも、セックスが一種のストレス発散になっている彼女には少々厳しいのではと心配になってしまう。
いや、別に星夏が淫乱だって言いたい訳じゃないんだが……それでも大丈夫かと思ってしまうのはセフレ時代の彼女を見てきたが故だ。
そんな俺の指摘に星夏は……。
「──……どーしても我慢出来なくなったら、一人でするのは例外とするってことで」
思いっきり真っ赤になった顔を逸らしながら、さり気なく条件の厳しさを下げた。
あぁーよく考えた結果、耐えられる自信が無くなったんだなぁと察する
「…………出来れば俺がいない時にしてくれよ?」
「……はぃ」
消え入りそうな声音でせめてもの要求に頷いてくれた。
何とも締まらないが、なんだかんだ俺達らしいと無性に笑みが零れてしまう。
まだ恋人じゃないけれども……互いにあった壁はもうほとんど無くなっている様に感じ取れたのだった。
=======
次回は6月23日に更新です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます