#78 吐き出した母猿断腸
「ハルちゃんの父親が……星夏の父親?」
「うん。昔と全然変わってないからすぐに分かったよ」
「ま、待て待て……え、は……?」
昨日の自分が助けた迷子のお父さんと、浮気してアタシとお母さんを捨てたお父さんが同一人物だったことに、こーたは混乱のあまり顔を青ざめさせていた。
まぁそうなるよね。
浮気で家庭を壊した元凶が、一体どの口で家族は大事にして当然なんてほざくのかって、呆れを通り越してひたすら悍ましくて気持ち悪かったもん。
如何にしてアタシの家族が壊れていったかを知っているこーただからこそ、目に見えて動揺しているんだと思う。
あのままだと形振り構わず暴れたり吐いたりしただろうから、逃げるだけに留まったのを褒めて欲しいくらいだね。
「まさか海に来て顔を合わせるなんて思わなかったよ。ま、向こうはアタシが過去に捨てた娘だって気付いてなかったっぽいけど」
「ぁ……」
自嘲するように吐き捨てた言葉に、こーたが小さな声を漏らす。
そう、アレは人の顔色が分かるくらいに見ていたはずなのに、動揺の一つもせずに初対面の様な反応をしていた。
それはつまり……。
「嘘だろ? いくら七年前に別れたっきりとはいえ、成長した娘が分からないなんてことがあっていいのかよ……」
「むしろやらしい目で見てきたら速攻でぶん殴ってたね。まぁあの人にとってはアタシとお母さんは七年あれば忘れられる程度の存在ってことでしょ。本音なんか知りたいとも思わないからどうでもいいけどさ」
「……」
傍から見れば理想の父親みたいに見える人が、かつて家族を捨てたことがあるなんて誰が予想出来るんだろう。
かつてない暴言の連発に、こーたは絶句したまま黙り込んでしまった。
衝撃が大き過ぎて、どう反応すれば良いのか困ってるみたい。
捨てられた側のアタシの心情が測れないって言うのもあるだろうけど。
あぁでも七年かぁ……もうそんなに経ってるんだ。
「こっちは忘れたくても忘れられないのに、向こうはケロッと忘れて新しい家族を作って幸せそうにして……腹立つし憎いしワケ分かんないよ」
改めて流れた時間の長さに、どうしようもなく胸がざわめく。
喉が、肺が、胃が、ズキズキと痛んで仕方が無い。
「もういっそ全部ぶちまけちゃおっかな~、なんて考えたりもしたんだけどさ……」
あの時『アタシは七年前にあなたに捨てられた娘です』って打ち明けたら、どうなってたのかな?
いきなり意味不明なことを言い出す病人みたいに見られるだろうし、もしかしたら思い出して慌てふためいたりしたのかもしれない。
どちらにせよ、あの憎いくらい幸せそうな家庭にヒビを入れることに変わりは無いと思う。
でも、アタシはそれをしなかった。
何せ……。
「ムカつくけどお父さんが同じってことは、
ハルちゃんはアタシの腹違いの妹ってことになるでしょ?」
「──っ!」
「あの子の家庭を壊して、アタシと同じ目に遭って欲しくなかった」
親が離婚したからって、アタシみたいになるとは限らないけど可能性はゼロじゃない。
もう会えないだろうけど、半分でも血の繋がった妹には幸せでいて欲しかった。
それが一番嫌いな人の手であってでも。
まぁ妹に恨まれたくないって自己保身だって無きにしも非ずだけど。
何より一番はあの子の幸せを願ったからだ。
そこに嘘は無い。
あぁでも……。
「──羨ましい」
「……」
「アタシの手から居なくなった家族を持ってる妹が羨ましいよ。娘の顔を見ても気付かないお父さんを忘れたいのに憎くて忘れられない。こーたの気持ちに気付かないまま他の男子と付き合ってた自分がイヤで仕方が無い。もう、何もかもめちゃくちゃで、ワケ分かんない……」
ほんの少しだけ漏らした本音につられて、目に熱い涙が浮かんで来る。
グルグルと何度も心に過る羨望と失望が鬱陶しくて、頭が考えることを放棄したいのに止まってくれない。
気持ち悪くて胸が痛くて辛くて……。
「もぅ、やだよぉ……こんなことばっかり、耐えられなぃ……」
立てた膝に顔を埋めて泣き言を吐き出した。
ハルちゃんみたいに家族の幸せな時間があったはずなのに、全部あの人が浮気したせいで壊れたんだ。
今日みたいに自分がしたことを棚に上げて、平気な顔で家族は大事だなんてほざいて……あんな人が自分の父親なんて事実が心底嫌で嫌で仕方がない。
お母さんは笑顔が思い出せないくらい怖い顔をする様になって、会話どころか目を合わせることすら嫌そうにする。
何も裕福な暮らしなんていらない。
ただ普通の母娘でいられたらそれだけで良かったのに、それすら程遠いくらい関係は冷えきってしまっている。
そんな二人を見てきたから、もし自分が結婚するのなら絶対に浮気されない様な人が良いって理想を懐いた。
思えばこの頃からアタシは恋に恋してたんだと思う。
自分の間違いに気付かなかった結果が、ビッチの噂なんてとんだ自業自得だ。
その反面、こーたの隣はとても居心地が良い。
突拍子のない我が儘にいつも付き合ってくれて、イヤなことがあればすぐに縋っちゃうくらい優しくて、あまりにも都合が良すぎて甘えていた。
本当にバカだよね。
それを無償の優しさとか命の恩人だからなんて勘違いして、こーたの好意に全く気付かなかったんだから。
本当の意味でアタシを大事にしてくれたこーただからこそ、隣に居て安らいでたクセに前提から間違っていた。
こーたの気持ちを知ろうともせず、何度も何度も元カレの愚痴を話したり思わせ振りなことを言ったり……。
こんなアタシじゃ、両想いでもこーたと何一つ釣り合わないよ。
好きなはずのこーたをアタシが苦しめて不幸にしちゃうなんて、そんなの耐えられない
そんなどうしようもなくちっぽけなアタシを……。
「星夏」
「ふ、ぇ……?」
こーたが背後から抱き締めた。
優しく回された腕と背中から伝わる暖かさに、冷たかった心が仄かに温もった気がする。
「こー、た?」
「……」
恐る恐るこーたを呼ぶ。
なのにすぐに返事をしてくれなくて、その代わりみたいに抱き締める力が強められた。
そして、余った手でアタシの頭をゆっくりと撫で始める。
一回撫でられる度に心が安らいでいくようだった。
アタシにそんな優しくされる資格なんて無いのに、こーたは撫でる手を止めようとしない。
そのままこーたは……。
「──我慢するな」
「っ」
そう切り出される。
耳元で囁かれたその言葉に、どんな慰めよりも強張っていた心が解される様な気がした。
「父親に捨てられて、母親に空気みたいに扱われて、付き合った男子には性欲の捌け口としか見られなくて、それでも懸命に頑張る星夏は凄いと思う。けどな、泣きたい時は泣いて良いし、辛い時は辛いって言って良いんだ」
「でも……」
「でももだってもあるか。耐えられないなら我慢せず、腹の中の不満も愚痴も全部吐き出しちまえばいいさ」
「……」
表情は見えないけれど、張り詰めていた糸を一本ずつ丁寧に解きほぐす様に言葉を重ねられた。
このままこーたの言葉に甘えてしまいたいけれど、寸でのところで堪える。
だってアタシにはその資格が無い……そう思いたいのに。
「痛いのも苦しいのも辛いのも無くならないなら、せめて受け止めて一緒に背負ってやる。どんな愚痴だろうが俺は星夏を受け入れてみせるよ。今までだってそうだったし、少なくとも俺はそうやって貰えて救われた」
「──っ」
こーたはずるいくらいの優しさで、今までアタシが欲しかった言葉を紡いだ。
醜いところも全部包み込むような暖かさに、どうしようもなく胸が締め付けられて、息が詰まりそうになる。
痛いはずなのに嬉しくて幸せで堪らない。
あぁダメだ。
そんなのズルいよ。
「あ、アタシは……」
気付けば涙を流しながら、ポツリと言葉が漏れ出る。
たったそれだけで心にしていた蓋が瞬く間にヒビ割れていって……。
「──アタシは……! お父さんなんかだいっっきらい!!」
いとも簡単に決壊した。
喉が痛い程の怒号が海へと響いていく。
「アタシとお母さんを大事とか言っておきながら捨てたクセに、自分だけ何もなかったみたいに新しい家族を作るな恥知らず!! こっちはイヤでも憶えたままなのに簡単に忘れるなんて最低!! おまけに成長した娘も分からないとかふざけんなクソ野郎ぉっ!!」
最初に飛び出たのは七年間も燻り続けた、お父さんだったあの人への憤りだった。
本当に信じられない。
捨てたアタシ達への負い目とか、全くなかったのがとにかく気持ち悪かった。
人としてどうかしてると思う。
「お母さんも酷いとこばっか!! お父さんに裏切られたからってアタシに八つ当たりしないでよ!! 自分だけが不幸だとか思ってるワケ!? 被害妄想するにしても歳を考えなよ恥ずかしい!!」
怒りの矛先をお母さんへ向ける。
事情が事情でも、一人娘を放置して良い理由にならない。
家族の顔色を窺わなきゃいけないのがどれだけしんどいか、きっと分からないんだろうなぁ。
「人を性欲でしか見ない男子達もマジ無理!! 曲がりなりにも告白して付き合うんだから彼女の一人くらい大事にしろぉ!! なのにすぐにセックスセックス……バカの一つ覚えしたエロ猿かっての!! 彼女はおもちゃじゃなくて人間なんだよ!? お人形遊びでオナニーがしたいなら一人で勝手にやってればいいじゃん!! 付き合わされるこっちの身になって反省しろ脳カラども!!」
次は今まで付き合ってきた元カレ達。
ビッチの噂があるからって勝手に人を下に見て何様だ。
なんでアタシがそっちのイメージに合わせなきゃいけないの?
誰か一人でもこーたみたいに、ちゃんと女の子扱いしてくれたら良かった。
単にアタシの引きが悪いだけかもしれないけど、それにしたって人を軽く見過ぎだ。
まぁ、もう二度と受け入れることもないけど。
「こーたもこーただよ! こーたの告白だったら好きになる前でもヤリモクとか思わずにちゃんと考えたよ!! もっと早く告白してくれたらあんな男子達と付き合わなくても済んだのに、遅いよバカァァァァっ!!」
「……」
今度はこーたに飛び火した。
気付かなかったアタシも悪いけど、本人が言う様にもっと早く告白してくれたらここまで思い悩む必要がなかったのは事実だ。
自分に自信がないにしても、勝手にアタシが勘違いすると思われてたのが一番あり得ない。
セフレとしてでも身体を許してるんだから、ある意味で特別だって分かるでしょ。
告白されたらちゃんと考えて……付き合っていく内に好きになってたと思う。
そう確信出来るくらい、アタシはこーたが好きなんだから。
……それでも、やっぱり。
「ずっと欲しかった理想が近くにあったのに、遠くばっか見て気付かなかった自分が……イヤだぁ……! ぅ、うぁぁぁぁっ! わぁぁぁぁ!!」
アタシはアタシを許せない。
ずっと溜め込んでいた不満を吐き出し終えたアタシは、ずっと愚痴を聞いてくれたこーたの胸に顔を埋めながら、小さい子供みたいに泣き喚く。
そんなアタシをこーたは無言で抱き締めてくれる。
その暖かさに触れて、止め処ない後悔が溢れ出してしまう。
海涼ちゃんにはあぁ言ったけれど、デートもキスもエッチも全部こーたが初めてだったら良かった。
最初からこーたを好きになっていれば、こんな歪な恋をしなくて済んだのに。
理想を求めることに必死で、もっと近くに一番欲しかった気持ちがあったことに気付けなかった。
やっと気付いた時には周りは茨だらけで、進む度に足や腕にトゲが刺さって痛みを増していく。
何度も何度もこーたの気持ちを踏み躙って来たアタシには、相応しい罰だと思う。
むしろ全然足りていないくらいかもしれない。
なのにこんなアタシを、こーたは一途に想い続けてくれた。
少しは他の女子に目移りしたり、海涼ちゃんみたいな良い子と付き合ったりするはずなのに、二年以上もアタシだけを好きでいてくれたんだよ?
嬉しくないワケがない。
気付くのが遅かったアタシが、本当にこーたと釣り合うかは分からないけれど、ただこれだけは絶対に間違いなく言える。
──アタシは、こーたが──荷科康太郎という男の子が大好きだって。
=======
次回は6月20日に更新です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます