#54 優しさの答え


 かつての自分の言葉を返された瞬間、塞いでいた栓を切ったのか走馬灯みたいな早さで、脳裏に鮮明な記憶が流れ出した。


『きっと今のこーたに必要なのは死んで楽になる事じゃなくて、頑張った分だけ休む事なんじゃないかな』 

『マラソンと同じだよ。何もプロみたいにずっと走らなきゃいけない理由も無いんだし、疲れたんだったら足を止めて気が済むまで休んで、頑張りたくなった時に立ち上がって進むの』

『それでまた疲れたら休んじゃえば良いんだよ』

 

 こーたに死んで欲しくない一心で伝えた言葉が、まさか今になって自分に返って来るなんて……。

 そんなの、全然予想出来なかった。


 愕然として何も言えないでいるアタシに、こーたは肩を竦ませながら続ける。


「大体よく考えてみろ。人生を百年としたら俺達はまだその五分の一も生きていない。それなのに貴重な高校生活を犠牲に突っ走り過ぎなんだよ。恋愛なら大学生でも社会人になっても出来るんだから、今の内に少しくらい休んだってバチは当たらねぇよ」


 アタシと同い年で一度死のうとしてたクセに、妙に老成した様な事を言い出す。

 長い目で見ればその通りかもしれないけど、いくら何でも呑気過ぎるでしょ。 

 でもなんでか、心はこれでもかと揺さぶられていた。

 

「……でもアタシが休んだところで、エッチしたがる男子が居なくならないよね?」

「かもな。だから、星夏が休んでる間は俺が守ってやる。人の身体目当てなクソ野郎の一人や二人、ぶっ飛ばすくらいどうってことねぇよ」

「……」


 またそうやって軽々しくキザな台詞を言うし。

 こーたの腕っぷしに敵う男子はそうそう居ないだろうから、多分本当にどうにでもなるんだと思う。


 こんなアタシでも守るって言ってくれる優しさは本当に嬉しいし、頼りになるのは海森の一件でも明らかだ。

 ただ、どうしても分からない事がある。

 

「なんで……」

「ん?」

「なんで……こーたはそんなに優しくしてくれるの?」


 腐れ縁でセフレでしかないアタシに、こーたがここまで親身になってくれる理由が分からなかった。

 いつもアタシを助けてくれて、いつも優しくしてくれて、甘えたい時に甘えさせてくれる。

 今みたいに面倒くさい事ばっか言うのに、どうして……?


 タダほど高いモノは無いって言う通り、それだけ心を砕いてくれてるのに見返りを求めない姿勢はあまりにも度が過ぎていて、逆に不安になってしまうくらいだった。


「アタシが命の恩人だから? 守るって約束をしたから? こーたにとってアタシってどういう存在なの……?」


 思い当たる理由を挙げても、こーたは頷かないままアタシを見つめるだけだった。

 そうなると、アタシにはもう分からない。


 そんな時、こーたはアタシの頭に手を回してから静かに自分の胸元に抱き寄せた。

 体格差があるからこーたの腕の中にすっぽりと収まってしまう。

 いきなりだしやけに収まりが良くて驚きはしたけれど、振り払うことはせずこーたの鼓動の音に耳を傾ける。


 トクン、トクン、トクン……ちょっとだけ早い気がした。

 もしかして顔に出てないだけで緊張してる?

 どうなのか聴こうとして、それより早くこーたが口を開いた。


「命の恩人なのも約束があるからなのも、俺にとってはただの切っ掛けだよ」

「切っ掛け?」

「あぁ」


 こーたは一度そこで言葉を区切って……。


「──星夏が俺にとって大切好きな人になった切っ掛けだ」

「──っ!」


 一切の虚偽も割り込ませない様な強い口調で、そう言い切った。

 

 その言葉を聴いた瞬間、心臓が一際大きく跳ねる様な錯覚をする。

 大切なんて言葉は両親や今まで付き合ってた彼氏達から、何度言われたか分からないくらい億劫な回数を耳にしてきた。

 結局、それが口先だけでしか無かったって何度も失望して来たはずだ。

 

「俺の幸せは大切な星夏がいないと成り立たないんだよ。だから迷惑なんて思わないし、勝手に居なくなろうとするな。何も返されなくたって良い。ただ傍に居てくれるだけで、俺は満されてるんだ」


 けれども、こーたが口にした『大切』だけは……今までの人と違うと解る慈しみが込められていて、泣きたくなるくらいに心を震わされた。


 ううん、もう涙はとっくに流れている。

 いつも流していた悲しい涙じゃない、こーたが受け取れてくれた嬉しさの涙だ。

 風邪で重い身体も悲観に暮れていた心も、全部を優しく抱き締めてくれたことで、アタシはやっと理解出来た。


 ──あの約束で救われたのはこーただけじゃなくて、言い出しっぺのアタシも同じだったことに。


 そう自覚すると、我慢なんて出来るワケがなかった。


「……こーたはアタシが大切だから、色々と心配するし優しくしてくれるの?」

「あぁ」

「どれくらい大切?」

「どんなに甘えて来ても余裕で許せる。でもって他の男に触らせたくないし近寄らせたくもないくらいだ」

「独占欲ヤバ。……良いの? アタシ、相当我が儘だよ?」

「我が儘上等。それくらい受け止められなきゃ男が廃る」


 甘えて良い。

 たったそれだけの言葉がとてつもなく心地が良くて、無言でこーたの胸に頭をグリグリと押し付ける。


 多少は痛いはずなのにこーたは何も言わず、背中をリズム良く擦ってくれた。

 子供扱いされてるみたいなのに全然イヤな気持ちがしなくて、むしろ嬉しくて堪らない。 


 なんだか女の子として意識されていない様で無性に悔しくなって来た。

 だからちょっと意地悪しようと、顔を上げて目と鼻の先にあるこーたの顔を見つめる。


「こーた」

「ん?」

「もし大学を卒業しても理想の人が出来なかったら、こーたの?」

「は……なっっ!?」


 言った途端、こーたの顔が一気に真っ赤になった。

 

「ばっ! おま……な、ぇ、え?」

「あははっ、うーそ。眞矢宮さんがいるのにアタシなんかにうつつを抜かしちゃダメでしょ?」

「ぁ? っ、お前なぁ……」


 思った以上にパニクるこーたに冗談だと教えたら、怒りの矛先を失くしたみたいに顔を逸らした。

 見事してやったり。

 そっちだってアタシをドキドキさせたんだから、仕返しくらい許してよね。


 内心で勝ち誇りながら、アタシはまたこーたの胸に顔を寄せる。

 まだ動揺が抜けきってないのか、心臓の音が早いのが聞こえた。


 なんだ、ちゃんとアタシを意識してくれてるんだ。

 それが伝わって来て、色んな不安が一気に消し飛んで行ってしまった。


「──鍵、返せって言っても絶対に渡さないからね?」

「ならしっかり持っておけ。いつかの時みたいに盗られたり、失くしたりすんなよ」


 あんな風にからかっても軽く泥棒染みたことを言っても嫌がってないみたいで、嬉しさのあまりどうしようもなく頬が緩んでしまう。


 胸に顔を押しつけてて良かった。

 こんなだらしのない顔は男子に……特にこーたに見られたら笑われちゃうから。

 でも、見られてないのを良い事に、風邪の怠さが残る身体を思い切り寄せる。


 まだ熱はあるはずなのに、こーたの身体はとっても暖かかった。


 =======


「ん……」


 存分に甘えている内にいつの間にか寝落ちしちゃってたみたいで、ふと眠りに沈んでいた意識が浮上する。

 ゆっくりと目を開けて見れば、部屋は真っ暗だった。

 それで陽が落ちた後まで眠っていたと察する。


 そして……。


「くー……」

「っ」


 暗い部屋でも判る程の距離に、こーたの寝顔が視界に映った。

 一瞬ビックリして肩を揺らしちゃうけど、こーたは起きること無く眠ったままだ。


 そういえば身体の怠さが無くなってる。

 気を持ち直したからか、風邪の方も快復したみたい。

 まぁまだ熱も測ってないし、完全に安心は出来ないけどね。


 それにしてもと、眠るこーたを見やる。

 看病に来たのに寝ちゃうなんて呑気だなぁ~。


 アタシが大切ならちゃんと完治するまで面倒見てよね。

 内心でそう思った時、頬が仄かに熱くなった気がした。


 大切、かぁ……。


「あんな言い方したら、アタシのことが女の子として好きみたいに聞こえるじゃん。こーたのバーカっ」 

 

 口ではちょっと悪ぶってるけど、自覚出来るくらい頬が緩み切ってるのが判る。

 だってもしそうなら……これまで言われた『好き』でも、一番嬉しい気がしたから。

 

 ハッキリ言われたワケじゃないのに、アタシの鼓動は早くなっていた。


 なんだろう、これ?

 こーたのことを考えるだけで、噴水みたいに幸せな気持ちが止めどなく溢れて胸が温暖かくなる……。


 今までの元カレ達には、こんな感じになったことはなかった。

 その経験上からこれは初めてのことだと直感する。


 自分でも良く分からない変化に戸惑いを隠せずにいると、ふと頭にある引っ掛かりを覚えた。

 それは経験じゃなくて知識として把握していた事柄だ。

 途轍もなく強く憧れていたはずなのに、実際に感じると、そのこと以外がまるで気にならないくらい鮮烈な感情だった。


 アタシはこの気持ちの名前を知っている。


 ──もしかして、アタシは……。

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